少年A矯正2500日全記録(part4)
今週も、『少年A矯正2500日全記録』(草薙厚子著、文春文庫)を読んで。今回が最後だ。
移送された東北少年院で、Aは就労に向けた支援を受け始めた。そこでは、仲間もできたかわりに、関西なまりをからかわれたり、行進のときにかかとを踏まれたり、洗面器につばを吐かれたりと、軽いいじめにあって弱音を吐いたこともあった。しかし「いちいちムカついても始まらない」と受け流すことや、自分から親しみをもって話しかけること、お礼を言う時に笑顔を添えることなどを学んでいった。
ここでAは、母親と面会している。母は逮捕後からずっと聞けなかったことを聞いた。「淳君を殺したんは、本当にお前なんか?」という母親の問いかけに、Aは「間違いない。自分がやった」と答えた。この時にAは、「いまだに自分が犯人ではない、何かの間違いであってくれたらいいと思い、自分を捨てきれないのが、母親というものなのか…」と思い、深く心を揺さぶられたという。すれ違うばかりであった親の愛情を、Aが「理解」するようになった。
ここでは多くの新聞報道も自由に読めた。「世間が冷たく『死ね死ね!』『殺せ!』と言っている時に、これほどの逆風の中で、『生きて償いなさい』と、裁判官、調査員、鑑別所や少年院の先生たちがボクを守っていったことに深く感謝の気持ちでいっぱいです」。Aの言葉だ。
7年半の矯正教育を受け、2004年3月に関東医療少年院を仮退院した22歳になったAは、ひっそりと社会生活を送っている。溶接関係の会社に勤め、自分の給料から月に5000円程度を「被害者に渡してください」と、両親の元に送金するようになった。2005年1月に本退院してからは、民間のサポートチームがケアしている。Aはいずれ被害者家族に直接謝罪したいと言っている。しかし被害者にその気持ちが受け入れられるには、道は平坦ではないだろう。
退院は新聞ネタになり、一部では「モンスターを野放しにするな!」との世論もあった。しかしAは、二度とマスコミに注目されることはないだろうと思う。
「育て直し」という言葉に興味をもたれた方がいたら、ぼくの関わった経験を過去のブログで公開しているので、下にリンクします。ぼくは、妻の波津子によってぼく自身の「育て直し」をされ、人の育て直しにも関われるようにもなった。カウンセラーが他のカウンセラーによって分析を受け、自らが刺激に対しどう反応するかをよく知ることによって、人のカウンセリングができるようになることにも似ていると思う。
なお、ぼくの妻からの「育て直し」については『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(中央法規出版)に詳しく書いているので、興味があれば読んでみてほしい。
http://www.caresapo.jp/fukushi/blog/sano/2008/10/post_42.html#more
http://www.caresapo.jp/fukushi/blog/sano/2009/03/part_5.html#more
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