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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

少年A矯正2500日全記録(part3)

 さらに、『少年A矯正2500日全記録』(草薙厚子著、文春文庫)を読んでのことを続ける。

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 Aは、小学6年生の2月に、弟の同級生である土師淳君を殴って、担任と淳君宅に謝りに行っている。この頃Aはカエルの解剖に飽き、ネコを殺し始めていた。20匹のネコを殺した。ネコを虐待している瞬間、初めての射精をした。友人にそのことを話すと「君はおかしい」と言われ,明らかに他人と違う自分に嫌悪を覚えるようになり、そして、動物殺しをする自分に「酒鬼薔薇聖斗」という名前をつけた。一種の解離状態に似ている。その頃、工作の授業で「未来の家」という課題を出されたのに、「死刑台に上がる13階段」という奇怪な作品を作ったこともある。

 中学に入学し、同級生の女の子の体育館用シューズを焼却炉で燃やしたり、さまざまな攻撃的な行動をとるようになり、母親はAを精神科に連れて行った。結果は問題なかったが、「過度の干渉をやめ、叱るより褒めたほうがいい」と医師に言われた。精神科医が「君はオナニーの時にどんなシーンで興奮するのか?」と質問するのはイロハのイだそうだが、この時にはこの質問はなかった。
 Aは精神科に行ったことで、自分の異常性をますます意識していく。ホラービデオに熱中し、誰からも護られていないと思っていたので、Aは護身用にナイフを持ち歩くようになった。自室にはカーテンが引かれて薄暗く、誰とも付き合わず、ひとり殺人妄想に苛まれていた。起源は前回取り上げた、幼児期の早過ぎたしつけと、繰り返された虐待であることは明らかだ。その結果引き起こされるのは、周りへの敵意と憎悪。そして、Aはすでにコントロール不能なまでに巨大化した「酒鬼薔薇聖斗」を、現実の社会へと放った。

 Aで初めて少年院で適用されたG3という生活訓練過程は、「罪障感の覚醒」と「被害者及びその家族に謝罪する意識の涵養」を目的とした教育が明文化され、全国の少年院で活発に実行され始めた。
 Aは「内観法」も受けた。「両親にしてもらったこと」「自分がしてきたこと」「迷惑をかけたこと」を、食事とトイレ以外はほかの情報を一切遮断して、1週間考えさせる苦しい贖罪教育だ。両親の手記『「少年A」この子を生んで』(文藝春秋)も読んで、「弟にも名前を隠さざるを得なくするなど、両親にも多大な迷惑をかけてしまった」と思うようになっていた。
 しかし世間のリンチ熱はすごかった。これは差別感にもとづくものだが、あらゆる集団リンチに共通している。例えば、関東大震災の後の「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などのデマによって引き起こされた、朝鮮人に対する凄まじい集団リンチなどと心理的に同じだ。また最近では、大阪の児童殺傷事件でも同じだった。リンチや差別は、するものにとって「快楽」であることは間違いない。集団による差別についてはまた項を改めて書きたい。
 少年院のスタッフは、Aの入所2年半頃に、淳君の父親の手記『淳』(新潮社)を何回も繰り返し読ませた。また、3年目くらいからもう一人の被害者の母親が記した『彩花へ 「生きる力」をありがとう』(河出書房)も読ませた。Aは何度も2冊を読んで、教官と徹底的に語り合った。

 ロールレタリングも行った。「自分から被害者へ」「被害者から自分へ」、「自分から親へ」「親から自分へ」、「自分から世間へ」「世間から自分へ」という仮想の手紙を書く。まずは「自分と被害者」の手紙のやり取りをして、少年の本音を引き出してから、次には母に手紙を書き、自分で読んで今度は母になったつもりで自分へ返事を書き、教官と話し合う。「教官が受け止めてくれる」「スタッフたちも支えてくれている」という安堵感があって、「憎しみ」や「怒り」「悲しみ」「つらさ」の感情がようやく姿を現して、自分の内面と向き合っていくことができた。
 SSTという、学校や家庭、対人関係のスキルのトレーニングも行われた。社会復帰したら汗水垂らして働いてお金を稼ぎ、賠償金をコツコツ払っていく。遺族の承諾をもらい、命日などに手紙を書いたり、花を贈ったり、お墓参りをさせてもらう。ささやかでも社会に対して償いもしたい。具体的なことは今後考えていく。このようにAの心境は変化した。「酒鬼薔薇聖斗」は去り、「罪の意識」に苦しんだが、やがて自分の中でしっかり認識できるようになっていった。
 その後Aは、東北少年院に職業訓練のため移送されることになった。「お父さんのような人」と読んでいた教官やスタッフの前で「頑張ってこいよ」とエールを送られると、Aは涙を流し始めた。入院当初から「喜怒哀楽」がまったくないといわれ、まったくコミュニケーションがとれなかったAを、担当教官は「心からかわいいやつだ」と思っていた。
(part4に続く)


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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