少年A矯正2500日全記録(part1)
『少年A矯正2500日全記録』(草薙厚子著、文春文庫)を読んだ。
少年Aは医療少年院送致とされ、関東医療少年院に移された。抜け殻になった少年Aは、常に死を望み、自殺を考えていた。ネコの解剖で性的満足を得ていた少年Aは、性中枢の発達が遅れていた。
関東医療少年院の電話は、「あんなやつは殺せ!」と昼夜を問わず鳴り響いた。職員たちは世論の攻撃を真っ向から受け止め、苦しんだ。
性的嗜好を改善して性的な発達を促す性教育を行うにあたっては、矯正プロジェクトチームに女性職員が加えられた。Aの「育て直し」でもっとも大切な「お母さん役」は女性精神科医が担当し、男性の教官や精神科医も親兄弟という立場で、愛情にあふれた対応をするようにこころがけた。名付けて「赤ん坊包み込み作戦」。これまで「家族に愛されていた」とはまったく感じていなかったAが、人間らしさを取り戻せるのか?
しかし入院1年が過ぎても、Aの矯正は進まなかった。Aは最初、抜け殻のようだった。殺人を犯すプロセスで、性エネルギーを使い果たしてしまったようで、「死にたい」とばかり言っていた。
自分の非行について、禁止されているのに院生に他言したり、教官を怒鳴ったりして、何度も「反省房」に入れられた。ホームルームでは「家族に対するイメージを書け」と言われ、「かわいいブタ、死ね」と書いた。母親への憎しみはまったく変わっていなかった。
法務教官のひとりは、感情を爆発させ「何でこんなことをやってしまったんだ!」と涙を流して怒った。Aは「びっくりした」。Aはこのとき初めて、この世に自分を思ってくれる人がいると知った。秘密日記の中でAは、この教官を「お父さんのような人」とつづった。
またAは、女性精神科医を「お母さんのような人」と日誌に書いた。女医は「性格異常。治らないわよ!」とハッキリものを言うため、Aも反抗して反省房にも入った。診察のない日でも女医は毎日、Aの個室の前に颯爽とあらわれて話しかけた。やさしくて面倒見のいい女医を、Aは慕っていた。ある時、女医に「キスさせてください」と言った。Aが初めて異性に関心を向けた瞬間だ。
入所して1年くらいたった時、院生たちは工作でコラージュを作った。そこでAが作ったのは、赤ちゃんの写真をハサミでズタズタに切り刻んだもので、「肉体と精神の融合」という題だった。Aはこの作品について、周囲が理解できない難しい言葉を使って説明を続け、「結局は、このかわいらしさをこの手で永遠のものにしてやりたいのです」と結んだ。院生たちは、Aをイカレタ芸術家だと思ったが、作品には「性的サディズム」がよく表現されていた、と著者の草薙氏は言う。
入所後2年ほど経って、信頼していたある担任教官にもこころを許していたが、転勤が決まり、転勤する日には涙を出して教官と抱き合った。Aは「寂しさ」という感情を理解するようになった。
入所後2年半を過ぎたある日、Aは職員に強硬に主張した。「部屋の真上にある監視カメラをどけてほしい。あれがあるとマスターベーションができなくてイヤだ」。入院して2年間、Aは周りの院生に、マスターベーションしなくても平気だと話していた。未熟だった性中枢が、健全な普通の青年のように発達していく兆しだった。少年院側はAが夜中に自殺するおそれはないと判断し、24時間監視カメラのスイッチを切った。Aはこれをきっかけにマスターベーションを始めたという。新聞広告の小さな写真などでイメージを高め、マスターベーションを行った。
事件の頃は絶えず残酷なシーンを頭に浮かべていた。首を絞めるシーン、ナイフで切り裂いて血をすするシーン、残酷であればあるほど興奮し、週に3、4回はマスターベーションをしていた。ネコの首を絞め、口から脳へナイフを突き刺し、腹を裂いて腸を引きずりだし、首を切り、足を切ったこともある。灯油をかけて焼死させたこともある。虐待を受けた弱者である子どもが、より弱い動物虐待を行った。そんな時、初めて射精した。
人間は人間関係の中でしか生きられないと思うのだけれど、人間関係を基礎づける幼児期からずっとネグレクトを受け続けた人間が、どれほど「悪」に引っ張られるのか、途方もないことだ。ぼくがボランティアをしていた頃に、多くの身体障害の幼児が療養所に捨てられていて、檻の付いたベッドに放置されているのを目撃して、強い衝撃を受けたことを思い出す。彼ら彼女らのこころの中はどうなっていたのだろう?
(part2に続く)
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