連帯保証人(part2)
夏目漱石の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」という言葉がある。とかくこの世は住みにくいのだが、現代人はみんな賢くなってしまって、流されず「智」に傾き過ぎていると思う。受験競争やネットによって、実体験を重ねる前に多くの情報にさらされたら、当然人は「智」に傾くだろう。世間の機微を知らない理論家が増えているような気がする。
日本は伝統的に「情」を重んじてきたのに、今ではアメリカ流の合理精神が人々を対立させ、みんな孤立していっている。「危機管理」だとか「リスク」などの流行は「智」に寄り過ぎだ。
もっと人は「情」を大切にして愚かに生きていい。人間同士「情」を交ぜ合わせて付き合って、ある程度は流されて生きるのがいいのだろうと思う。ペーソスのオヤジたちの生き方は、昭和のオヤジたちにある程度共有されていた生き方なのかもしれない。
連帯保証人(part1)
「血糖値が高いから〜♪」という、哀愁のあるCMソングを知っているだろうか? 身近な人に聞いてみても、耳について残る曲だという。また「ああ連帯保証人」という曲もあるが、ご存知だろうか? どちらも動画サイトなどにも投稿されているので、見てもらえればと思う。
ひきこもりはなぜ「治る」のか?(part2)
今回は『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(斎藤環著、中央法規出版)の感想の続きだ。
映画監督の押井守氏は、「すべての作品はコピーである」と言っている。すべての作品は誰かがやってきたことを真似している。斎藤環氏は、「自分の欲求すら誰かのコピーである」とまで言っている。先生や尊敬する誰かが褒めていたからほしい、ブランドだからほしい、スペックのいいパソコンがほしい、捨てようと思っていたものを誰かがほしがると急に惜しくなる、など。欲望のコピーから始めて学習しなければ、好きなことは見つからないのかもしれない。
ひきこもりはなぜ「治る」のか?(part1)
『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(斎藤環著、中央法規出版)を読んだ。本人向けというよりも、家族の対応へのアドバイスが興味深かった。