主治医LOVE
仕事柄、患者さんに付き添って診察室に入ることがある。「作業所の責任者です」と言って名刺を出したりすれば、その場で意見を差し挟んだりすることができる。
昔、ぼくが一病者だったときに、ある患者さんの友人として付き添って、診察に行ったことがあるけれど、診察室には入れてくれなかった。その時の悔しい思いが「肩書きさえあれば、無視されないのに!」と、精神保健福祉士(PSW)の資格を取る原動力になった。
資格を取った前後に作業所をNPO法人化して、理事長になった。これで医者も無視できなくなって、まともに相手をしてくれるようになった。
ひきこもりだった僕から(part3)
ひきこもりの定義について、ぼくは「閉じこもってそれが自分で苦しいこと」「経済生活がないことではないこと」「現在、『怒り』と『恐怖』が表裏一体となって身動きできないまま硬直していること」「コミュニケーションが伝わらないことについて徹底して絶望していて、『声を出すこと』にものすごい屈辱があること」ではないかと考えているが、伝えることに絶望した鬱憤は、「うるさい!」などの貧し過ぎる言葉となって表面化し、周囲との関係をさらに悪化させる。「声が聞こえていない」という煩悶は、親サイドにも当事者サイドにも、苦痛の核心に位置している。
ひきこもりだった僕から(part2)
上山和樹氏の『「ひきこもり」だった僕から』によると、著者は中3から不登校となり、高校中退、フリースクールに通っていた。「強制されてやらされている」ことに十代半ばで気づいてから「ヤリタイコト」を必死で探したが、自らの強い性欲に途方に暮れるだけで、あとは底なしの空虚。「天職」を探しても「これだ、このために生まれてきた」と思える対象に、どうしても出会えない。生きていく自信の基盤がないので、息つく暇もなく探求した。何の意味付けも保障もない時間と場所に、一個の肉塊として、狂いたくなるほど放置されていた。
ひきこもりだった僕から(part1)
『「ひきこもり」だった僕から』(上山和樹著、講談社)を読んだ。
「まず、「与えられた自分」を「自分で選び取った自分」に転化させようとして失敗し、途方に暮れてしまったのが、あの状態(ひきこもり)だった…。」というのが、最初の書き出しだ。
治療的「暴力」抑制論
2005年に医療観察法が施行された。同年『医療者のための包括的暴力防止プログラム』(医学書院)も出版されている。患者の暴力に焦点が当てられた影響だろうか、権威のある精神科医の中井久夫氏が、『こんなとき私はどうしてきたか』(医学書院)のなかでも「患者の『暴力』をタブーにしてはいけない」と述べている。