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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

援助のプロ

 ぼくは30年間病者であり、なにより「普通」になることを渇望してきた。そして作業所を作り、職員となったが、そこにはぼくにとって至高の価値である「ぼくはやっと普通のおやじになった」という確信が生きていると思っている。健常者がお勉強して「プロを目指す」という迷い道にはまるのに警鐘を鳴らしているつもりだ。
 でもそれをワーカーに言うと、ワーカーはぼくから離れて、専門家集団のほうに生き方を求めようとする。「同質」な仲間を求めて、「異質で普通」なぼくから離れていく。それで勢い、ワーカーの資格のないおばさんおじさんたちとばかり付き合うようになって、ワーカーの人たちとはますます距離が遠くなっていく。

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 障害者の自立運動は、施設と闘い、施設を否定し、「地域」のアパートに移り住むことで自由を求め、そのエネルギーを発揮してきた。施設には自由がない! 障害者自身が勇気を出してボランティアを集めながら地域に飛び込んでいった理由だ。
 障害児も「養護学校から普通学校へ」という統合教育運動が、進路として養護学校だけを強制する行政と闘いながら成果を勝ち取ってきた。
 精神科ワーカーの致命的な欠陥は「地域! 地域!」といいながら、「施設」の職員としての給料をもらわなければ一歩も動けないことだ。プロとは本来そういうものだろうが、地域の一員としては「異質」な存在ではないだろうか。ワーカーに望むのは、「プロであれ」ではなく、「プロでしかない」という自覚だ。
 以前ぼくは、「一生アマチュアでありたい」と言ったことがあるけれど、地域というのはカジュアルでアマチュアな人間の集まりだ。ざっと言えば、普通のおじさんおばさん、子ども、おじいちゃんおばあちゃん、犬ネコなどが地域だ。施設などいくら頑張ったところで、自然な地域の「異物」だ。

 そういう障害者自身が施設を否定して、「普通」の生活を勝ち取ってきた歴史を知ってか知らずか、地域資源と呼ばれるグループホーム、作業所、就労支援施設などをどんどん作って、それをワーカーが飯のタネにしていっている。もちろん国が退院政策をとれば、その流れには従順だ。しかし、退院先として、グループホームやケアホームを準備することによって、自分たちの職場はしっかり確保している。
 だから、家族会が準備して立ち上げてきた作業所などにもどんどん進出して、家族会から「乗っとられた」などと言われたりすることもある。
 「法人化して公共のものになったら、潰してはいけない」などと、「ひとりのための援助」よりも、「施設の恒久化」を主張する。「援助するための施設の未来にわたる存続を望む」という主張は本末転倒だ。将来また、その施設に反対して、障害者たちは「地域生活運動」を起こす可能性がある。そうすると施設を管理する援助者のプロは、障害者を抑圧しようともするだろう。今現実に、国の退院政策の数値目標というものを遵守し、退院人数の目安を決めるという順番は、すでに障害者に対する抑圧だ。

 ぼくは何十年も苦労して、やっと「普通」を手にしたのに、はじめから「普通」を手にしている人たちは、なぜ「普通」であることを止め、施設の「プロ」なんかになろうとするのだろう? もっと普通のアマチュアリズムを大切にするべきだと思う。「援助のプロを目指すな! 単なる世話好きおじさん、おばさんであれ!」。
 しかし、どうしてもプロを目指すというなら、「プロの活動家(Activist)たれ」。活動家とは、現場の声を社会に訴えていく使命を持っている。たとえば、貧困の現場から社会に窮状を訴えている湯浅誠さんや雨宮処凛さんなどの人たちだ。福祉の現場から、障害者が、弱者が不利益を受けている現実を社会に訴えていくのだ。
 ワーカーは、相談事ではプロのカウンセラーや世慣れたおじさんおばさんにもかなわないし、病気の話題については医者にかなわない。福祉の現場を知るワーカーにしかできない「活動家」こそ、障害者、弱者の権利擁護を専門に主張できる立場だ。自立支援法の廃止を求め、生活保護基準額の切り下げに反対して、障害者とともに立ち上がれるワーカーこそ、ワーカーの「プロ」ではないだろうか。


コメント


 一度カウンセラーから聞かれたことがあります。「あなたにとってふつうってなんですか」と。
 そこで初めて気付きました、普通とは一般の人たちの集団なんだと。基準なんかないんだと。
 佐野さんの言われるおじちゃんおばちゃん長屋のように、みんなが集まって作っていくのが本当の普通なんではないのかと思います。
 昔を懐かしむつもりはありませんが、子供の頃は身体不自由の子でも仲間になって一緒に遊んでいました。
 それが今は集団化して、一塊りになってしまって、それぞれの割り振られた役割をただこなしているようにしか見えません。
地域の保健師さんもワーカーさんも味方ではありません。悲しい事に。
 みんな出来れば自宅で過ごしたいのです。
 それが出来ない人でも、たまには家に帰りたいと思います。それを手伝ってくれる人は絶対少数です。地域の説明責任も果たしていませんし、家庭訪問も実際には地域によってほとんど行われていません。デスクワークという名の仕事や自分の持ち場という名のもとに自分を縛っているのだと思っています。


投稿者: しーる | 2009年06月10日 18:20

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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