べてるのワーカー・向谷地さんという人
べてるのワーカーをしている向谷地生良さんの若い頃のことを、『降りていく生き方』(横川和夫、太郎次郎社)という本で読んだ。
彼は、中1の時に先生に殴られたのが原因で記憶喪失になり、その後3か月間「噂されている」という被害妄想にとらわれたという。高校時代にサルトルの「存在と無」について仲間と議論している。ぼくも高校時代に読んだけれど、歯が立たなかった。彼はベトナム戦時下の子どもとつながろうと思った。その頃ぼくは、アメリカのヒッピーや日本の学生運動の報道から、ベトナム戦争反対を強く思っていた。
足利事件から思う
ニュースでも大きく報道されたが、無期懲役で服役していた62歳の男性が、17年6か月ぶりに釈放された。DNA鑑定の結果、犯人のものとの不一致が証明され、再審開始が決定したためだ。
刑の確定者で再審の扉が開かれることは、まず「無罪」になる可能性が高い。部分冤罪などで「刑が軽くなる」ことは、普通再審ではありえない。それほどに再審はハードルが高く、もともとがでたらめな裁判だったということだ。
援助のプロ
ぼくは30年間病者であり、なにより「普通」になることを渇望してきた。そして作業所を作り、職員となったが、そこにはぼくにとって至高の価値である「ぼくはやっと普通のおやじになった」という確信が生きていると思っている。健常者がお勉強して「プロを目指す」という迷い道にはまるのに警鐘を鳴らしているつもりだ。
でもそれをワーカーに言うと、ワーカーはぼくから離れて、専門家集団のほうに生き方を求めようとする。「同質」な仲間を求めて、「異質で普通」なぼくから離れていく。それで勢い、ワーカーの資格のないおばさんおじさんたちとばかり付き合うようになって、ワーカーの人たちとはますます距離が遠くなっていく。