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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

こんな夜更けにバナナかよ(part2)

 『こんな夜更けにバナナかよ』を読んで、ぼくが若い頃にかかわっていた、重度身体障害者の水口君のことをいろいろ思い出した。

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 水口君は、S園という施設を飛び出して、アパートで生活保護をもらないながら、介護者を集めて暮らしていた。
 水口君より障害が軽い、アパート生活だってできそうなS園のほかの入所者たちは、「水口君は頭がいいから外で暮らせるんだ」などと言っていた。『こんな夜更けにバナナかよ』では、施設で暮らすよりもアパートで自立したほうが、行政にとって半分の費用でできると書いてあった。
 水口君はリウマチで手と足は萎え、身長も低く、椅子に座るような姿勢で体が固まっていた。自分ではほとんど車椅子を使うことはできない。目は大きく、相手の目をまっすぐに見つめて話す人だった。
 24時間の介護が必要で、ほとんどいつも水口君の部屋には誰かがいた。というより、みんなのたまり場だった。みんなボランティアというより、寂しさを抱えたぼくのような精神病持ちや、社会にうまく入っていけない若者が多かったと思う。ぼくが行っていたころは、そんな誰かを捕まえて、介護してもらっていた。お礼の意味もあってか、介護者たちとよく焼き肉をしていたが、彼は周りにやさしかった。

 しかしそんな水口君も、施設からアパートに移ったばかりの時には介護者がいなくて、CP(脳性麻痺)で歩ける軽度障害者の友人に、24時間40日間連続介護を受けたりしていた。『こんな夜更けにバナナかよ』でも、介護者が約束どおりに来ず、車椅子のまま眠ったり、トイレに行けず脂汗を流しながら漏らしてしまったりする記述が出てくるが、水口君もそういう経験をしてきたのだろうな、と思う。この水口君のCPの友人は、軽度であるがために、後に進行して重度になって車椅子になっても、介護者たちを受け入れることなく、一人寂しくアパートで亡くなった。障害者の寿命は短い。
 水口君は、介護者との24時間のやりとりをしていたからだろうが、人に自分の意志を伝えることに長けていて、介護は常に本音のやりとりだった。頭がいいから突っ込んでくるし、知識も豊富なので、当時ボランティア(上から目線)だったぼくに、水口君が強者で、ぼくは弱者であることを思いきり思い知らされたこともある。家事も十分にできなかったぼくは、フライパンのしまい方まで教わった。買い物一つ頼むにしても、買ってくるものを細かく指示した。でないと介護者が、思ってもない買い物を勝手にしてくることを熟知していた。

 水口君は「青い芝の会()では、健常者を閉め出して、障害者だけで会議をするのだが、ぼくはそこまではしない」と言っていたが、彼女ができた時には、介護者を外に出して、2人きりで過ごしていた。
 水口君の周りには、左翼系の若者も何人もいた。というより、水口君が障害者運動で走りながら、介護者を引っ張っていった感じだ。水口君は、「運動の中で当事者と支援者がいて、どこまでも支援者が離れていかないのは理屈じゃない。当事者の性格の良さだ」とも言っていた。これは今振り返ると、「水口君自身のことも含めて言ったのかもしれない」と思ったりする。
 結婚していて息子もいる、水口君の親友である重度障害者が、「自分は“障害を絶対肯定し、障害者といっても不幸ではない”とする立場から自立運動をしているが、自分の幸せのイメージは“野原で走り回る子どもをにこにこしながら見ている”というもので、そこに車椅子の子どもは登場しない」と言っていた。
 ぼくは何人かの自立障害者を知っているが、みんな一様に自我が強い。24時間介護者といると、修羅場もあるだろう。気が張っていてみんな鍛えられている。お上品な重度障害者は自立できない。

 水口君はある晩突然救急車で運ばれ、若くして脳梗塞で亡くなった。それまでは、介護者に頭痛薬などを買いに行かせて飲んでいたそうだ。
 水口君のことを思い出していると、とても切なくなる。ぼくの若き日に刻み付けられた思い出だ。

 次のような行動綱領をもつ。
一.われらは自らがCP者であることを自覚する。
一.われらは強烈な自己主張を行う。
一.われらは愛と正義を否定する。
一.われらは問題解決の道を選ばない。
一.われらは健全者文明を否定する。
 「青い芝の会」は重度の障害をもつ当事者の団体で、「胎児が重度心身障害を持つ可能性がある場合、中絶することができる」という「胎児条項」を「優生保護法」に明記することを阻止した。「障害があっても生まれてくる権利がある」という理由だ。また、安全面の理由から車椅子の乗車拒否を行うバスに対して、強行乗車やバス占拠を「障害者運動」として行い、「良識」ある市民たちから嫌悪批判された。


コメント


 佐野さんの歴史を知ることが出来て、個人的に、うれしかったです。
 大学卒業して新卒で施設のスタッフになった人との違いと意味が少しわかる気がします。
 病気が財産になる。
 精神病のエースで4番。「佐野卓志」


投稿者: Live | 2009年05月22日 19:58

 あまり褒めないでください。ぼくは薬の手放せない至極フツーの人間です。またぼちぼち昔のことも書きます。
 若い頃は今よりぼくも「過激!」でしたね。
 今の新卒で福祉に入った人にも、ボランティアで当事者と関わることを薦めたいですね。


投稿者: 佐野 | 2009年05月23日 06:59

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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