肉体労働をしていた(part3)
肉体労働のバイトをしていたときは、無性にお腹が空き、昼飯はよく行く店で、お好み焼きを2枚も食べていた。頭を使わないからからだの調子もよく、よく眠れたし絶好調だった。病気の人には結構向いていると思う。
職人さんは大きなランチジャーに、いつも奥さんの手作りのお弁当を持ってきていた。ほかほかでうまそうで「やっぱり手作りの弁当が一番うまい」と言っていたが、職人さんは病院のナースと浮気をしていたらしく、みんなをクルマで病院まで連れて行って自慢もしていた。自宅へも招待してくれたが「奥さんに言うなよ」と念を押された。ぼくが世間知らずだったので、不安だったのかもしれない。
平地にくい打ちをしないといけないときに、職人さんはそこらにある角材の先端をのこぎりで素早く斜めに切って地面に立たせ、大きなハンマーで「カンッ、カンッ、カンッ」と次々に打ち込んでいった。その手際のよさに、のこぎり一つ引くにも時間がかかる新米たちは、ただぼーっと見ているだけだった。
また、型枠(セメントを流し込んで固めるための木枠)に墨ツボから伸ばした凧糸を張って、中ほどを指で引っ張ってパチンとはじくと、一瞬できれいに真っ直ぐな黒いラインが引けるので、とてもおもしろかった。はじく力が強過ぎると、ラインは擦れたように二重三重になってしまう。でも、すぐきれいに引くコツを覚えた。こういう細かい楽な仕事が好きだった。
「『タコ部屋』と呼ばれるものは、山奥の現場に行くとまだある」と職人さんが言っていた。長期の仕事のため、肉体労働者を現場のプレハブに住まわせ、近くに店もなく足もないので、何も買いに行けない。会社が、歯ブラシに至るまでの生活用品一式を法外な値段で売りつけ、ぼったくるのだ。
最近テレビで、貧乏で住むところがないネットカフェ難民やホームレスなどを相手に、貧困ビジネスと呼ばれる商売が急成長している、というのをやっていてびっくりした。まさしく平成の『タコ部屋』だ。データ装備費や寮費、ふとんやコタツ、冷蔵庫、洗濯機など、全部にレンタル料がついて、夏と冬は1日100円のエアコン代、1日100円の光熱費代、水道代、往復の交通費などで、手元にはわずかな金しか残らない。平成のタコ部屋、去年流行った『蟹工船』状態だ。
テレビでやっていたのは、まず貧困ビジネスの会社が本人に生活保護を申請させる。本人だけで行くと保護の窓口は追い返すけれど、会社の人が同席すると簡単に下りるという。これはこれで問題だけれど、会社の人は本人をベニヤ板で仕切っただけの部屋に、同じような保護受給者と一緒に詰め込む。会社は保護受取口座を本人名義で開設し、キャッシュカードは会社が管理し、会社が自動天引きによりほとんど下ろしてしまい、残った2万円ほどの保護費が本人が使える金だ。会社の領収明細は、例えば明細書を本人に届けるだけで「安否確認費」として計上して召し上げられる。貧困な人たちがいいカモにされている。
肉体労働の話に戻すと、山に登って木の切り出しもやった。職人が片側を斧で打ち込んでいって、3分の2くらい切れ目ができると、今度は反対側からチェンソーで切って倒す。倒れる方向は、大きく切れ目の入った斧で切った側なので、みんなで避けた。枝を払って丸太を何等分かにして、麓まで1一回に2人で2本運ぶのだが、ずしりと肩に食い込んで痛かった。若い兄ちゃんと組んでいたのだが、「重いので1回1本にしようぜ」とぼくが言って1本を運んでいたら、下で見つかってしまい、2人とも怒られた。
山からの帰り道、ぼくがバンを運転していたのだが、峠でゴムの焼けるような臭いがしてきた。原因がわからないまま運転していたら止まってしまった。オーバーヒートだった。クルマはおしゃかになった。「作業員のヤンキーの兄ちゃんが、無免許で走らせて山の中でジャリを跳ねて飛ばしていたので、ラジエーターに穴が開いた可能性がある」とぼくは親方に言ったのだが、結局運転していた僕の責任になり、あとで辞めさせられる原因のひとつになった。
土砂降りの雨の中、橋を造りかけている場所の川が決壊しないように、土嚢を積む作業もやらされた。雨の中、トラックから下ろされた、ビニールで編まれた大きな袋にジャリが一杯つまった土嚢を、川まで運ぶ作業は、結構つらかった。
バイトは秋に始めたけれど、春になると「仕事がなくなったから辞めてくれ」と言われて辞めた。夏にやらなかったのはよかった。「冬は着込めば寒くないけれど、夏は日焼けしないように長袖で汗だくになって、つらい」と聞いていたからだ。半年間、日曜以外はほとんど休むことなく続けた仕事だったが、職人さんたちは辞めさせられなかったようだ。
うちの組の作業員は、若い人がころころ変わった。一度ヤンキーみたいなちょっと怖そうな兄ちゃんが入ってきて、一日中セメントならしをやらされていたら、次の日には来なくなった。また親方宅の離れに下宿していた、2人組の若い兄ちゃんたちは、ある日突然ドロンした。
仕事が終わってからは、麻雀に誘われたこともあった。職人と仲のいい若いヤンキーに見せてもらったが、彼の手帳には100人以上の女の子の名前と電話番号が書いてあって、本当にびっくりした。
東国原知事が「徴兵制を復活させるべきだ」と言ったが、「からだを使う仕事もやったほうがいい」という意図で言ったのかもしれない。もちろん、人殺しの訓練や、いじめもひどく集団のストレスも厳しい自衛隊なんかまっぴらごめんだが、若い時に工事現場での肉体労働経験をすることは悪いことではないと思う。しかし長く続けていると、からだを壊す可能性が高いこともまた間違いない。ましてや派遣などで、初心者なのにあれこれやらされても、技術もつかないし、将来につながらない。
農家では減反政策のため、兼業のほうが儲かるので農閑期に肉体労働に出ることが多かったけれど、「地方に道路を!」という声は、農家に兼業の肉体労働を復活させたいのだと思う。食料自給率を上げるためにも、農業一本で暮らしていける政治が必要とされている。
コメント
自分の頭だけで色々考えるのではなくて(合うかどうかは横に置いて)実際現場に飛び込んでやってみる意味では賛成です。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。