安心ということ
普通、幻覚妄想などが出始めて病気が悪くなったといわれるが、病気は症状が出始めれば、治り始めている。これは主治医の言葉であり、中井久夫医師の言葉でもある。症状が出始めるまでの、ストレスを溜め込んでいる時が一番病的である。そして病状が出始めるまでの状態が、病状が出始める前に耐えている状態が、本人は一番キツイ。
ぼくは大学浪人時代、早く自立しようと肉体労働のバイトなどをし、バイト先では知り合いとも何を話したらいいかもわからず、誰と話をすることもなく、耐えられないほどの孤独に耐えていた。この寂しさは、ひとりで耐えられる限界をはるかに越えていた。ぼくが人との会話中に言葉が出ないのは、「同級生に比べて知恵が遅れているから」とも「現実に根を持っていないから」とも感じていた。それらの原因は子ども時代からの「虐待」にあったと、ずっと後になって悟った。
そして大学に入学し、肉体労働のバイトは続けていたのだが、ロックのクラブに入りバンドを始め、楽な状態に徐々になっていき、1年経ち留年して後がないので、肉体労働をやめて授業に出るようになって、病気に逃げ込むように幻覚妄想状態になった。あれほどロックにのめり込んでいったのは、「苦しさを表現せざるを得なかった」ためだったと、後になって思う。
それまでは独りぼっちで孤独な戦場にいて、授業という平和な場所に帰ってきても、ベトナム帰還兵のように居場所もなく病状が出た。幻覚妄想状態はもちろんキツイのだが、それよりも病気になる前の孤独のほうがキツかった。
だから、幻覚妄想状態になる時には、自分で自分の背中を押して「逃げ込むように」症状が出た。病気が「安心して」出るようになったともいえる。だからこそ、症状が出るということは、治癒過程に乗ったということがいえる。
多くのタカ派的医者が思うように、幻覚妄想は敵ではない。この状態で、電気ショックなどを使って急激に症状だけの消失を目指すのは明らかに間違っている。急に消失すると、「また起こるのではないか?」とパニック障害のような予期不安になるとも聞く。幻覚妄想と共存しながら、クスリでなだらかに調節していくべきだろう。
人手が足りないというのは、治療者側の言い訳である。国は精神科特例(医者は他科の3分の1、看護師は他科の4分の3でいい)を放置し続けている。症状は敵ではない、つらくもあるが治癒過程なのだ。
風邪をひく場合も、一番病的状態なのはひく直前のプレッシャーのかかった状態である。熱が上がりだるくなれば、からだが引き起こした反応としての治癒過程なので、寝てさえいれば回復する。仕事して働いている間は気力で保っても、休みになったと同時に寝込んだりして、安心すると病状が出ることができる。
この病気を治癒過程に乗せる、つまりプレッシャーのかかった状態から幻覚妄想状態へと導く最大のファクターは、「安心」である。「安心して狂える」ようにすることだ。入院して幻覚妄想が酷くなったという例も聞く。これは、入院の安心感が病気を治癒過程に乗せたものだろう。
さらに、「安心」は再発を防ぐ。寛解状態を維持するにも「安心」が一番大切である。例えば、一般就労などで「安心」を取り除くことや、人間関係、金銭問題でのストレスは、再発への近道である。
自分のお気に入りの宝物を大切にすることも「安心」にいい。小さな子がぬいぐるみに執着するようなものだ。例えばぼくは、スイス製の手巻き時計を大切にしていて、時々裏返してヒゲゼンマイの動いている様子を、ぼ~っと眺めていたりする。
そして、作業所をはじめとする、地域の社会復帰施設の最大の役割は、「安心」の提供だ。つまり病者に居場所を提供して「安心」を保障すること、これを失ったら社会復帰施設の存在意義すら問われるだろう。病者に限らないが、とりあえず明日生きているには「安心」が必要である。1年後も生きているためには「生き甲斐」も必要だろう。
甘えや居場所(就労先が居場所になることもあるだろうが)が十分に満たされると、自然に「生き甲斐」を求めて動き出すと思う。でも「生き甲斐」にあまりにキツイこと、例えば「就労」や「理想の実現」などを持ってくると、明日生きているための「安心」を犠牲にするかもしれない。しかしたとえ失敗しても、職業経験の苦労はいいことだろう。苦労は、人に生きる知恵をつけ、悪いことも覚えさせる。これがやがて人生のバランス感覚の獲得にも役立つのだと思う。
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