いいワーカー(part1)
精神科ソーシャルワーカー(PSW)が、「自分は専門家だ」と自認していては、大したことはできない。ワーカーは知的だという周りの見方もあり、実際に知的な研修会などを繰り返し行っている。しかし現場では、ふつうのおばさんがかかわったほうがいい、と思うことがたびたびある。
安心ということ
普通、幻覚妄想などが出始めて病気が悪くなったといわれるが、病気は症状が出始めれば、治り始めている。これは主治医の言葉であり、中井久夫医師の言葉でもある。症状が出始めるまでの、ストレスを溜め込んでいる時が一番病的である。そして病状が出始めるまでの状態が、病状が出始める前に耐えている状態が、本人は一番キツイ。
施設を増やすことはいいことである
ワーカーは、正攻法で闘って勝ち取ればいい病者の権利でも、ひたすら行政や病院経営側の空気や発言を読んで、闘う前に「ムリだ。無駄だ」とか判断しているようだ。管理する側とは一線を画すべきなのに、闘う相手を読みまくって同化している。ずいぶん親しくして緊張関係がないように見える。
当たり前のことだが、ワーカーにとって病者は仕事の対象であり、プログラマーにとってのパソコンや、ディーラーにとっての株のようなものだ。仕事の対象とは明確な「壁」があるということである。
差別ということ
最近の格差社会化によって、若者のホームレス化が進行している。普通の生活をしていた時には「あそこまでは落ちぶれたくない」と思っていた人が、なりたくないホームレスになってしまったら、自分を激しく否認する気持ちが起きる。
からだは路上で生活していても、気持ちは社会にいた時のままである。挫折感、屈辱感、無力感を受け止めきれないのだ。自分がホームレスと思われたくないから、ホームレスの人たちに近づかないし、身なりもホームレスに見られないように気をつける。
炊き出しがあることを知っても、路上のおじさんたちと一緒に列に並ぶのはプライドが邪魔する。ホームレスと呼ばれ、社会の冷たい視線に耐える覚悟はない。しかし確実にお腹は減っている。「自分は一時的な状態だから、やつらとは一緒にしないでくれ」と葛藤する。でも次第にホームレス社会に引き寄せられていく。そして一見してホームレスとわかる身なりと雰囲気になっていく。デパートや公園でも「ここはあんたたちの居場所じゃない」と言われて、異物ゴミのように排除される(参考:フリーターズフリー、Vol.1)。