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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

障害に甘える

 「障害に甘えるな!」
 就労支援をやっているある援助者が言っていた言葉である。
 どうして甘えてはいけないのだろう? 健常者だって仕事の手を抜き、奥さんに甘えているのに。なぜ障害をいいわけに使ってはいけないのだろう?

 アルコールの人は自分に甘いと言われる。アルコール以外の人だって自分に甘くて自分はダメだと思っている人はいっぱいいる。アルコールを飲み続けて肝臓を壊し、糖尿病で目が見えなくなり、一人で歩けなくなり、死を目前にしてやっとアルコールを止める人もいる。周りの人に借金を押し付け、迷惑な粗大ゴミだと言われ、それでもまだ飲み続ける人だっている。生きることが嫌で嫌でたまらなくて、自殺未遂を繰り返し、やがて死んでしまう人もいる。

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 そんな人生もあるだろうと思う。世間は強く生きられない人だらけだ。強く生きているかに見える人たちも、今の環境から放り出されればもろいということは、会社の重役からホームレスになってしまった人を見ればわかる。
 生きることを美化して「生きるべきだ」と強く言うこともない。死んでしまったら永久に「無」になるという恐怖が、生を維持させているだけかもしれないのに。死の恐怖を無意識に抑圧していれば、「漠然とした不安」などがにじみ出てくるのかもしれない。ただ身近な人が自殺するととても悲しい。

 生きるのがつらくてたまらない人にはこう言おう。
 「死んだっていいんだよ」
 ぼくが人に「死ぬな死ぬな」と言っておいて、自分が先に自殺する可能性だってあるのだから、「ずるいよな〜」って言われないためにも言っておこう。ただ自分が悲しい思いをするのが嫌だから、人に「死ぬな」と言うだけなのかもしれない。しかし苦しいときになっても「死ねばすむ」という選択肢もあると思っていれば、ほっとしないだろうか。生きるこころの余裕も少しは生まれないだろうか。
 育ちが虐待だった人もいる。それでも強く生きられる人はそれでいい。しかし弱くしか生きられず、周りや自分に当たり散らしてもそれでいい。幸せ不幸せは後付けのふとした状態に過ぎない。

 頑張って健常者と同等にまでなった障害者もいる。しかし彼(あるいは彼女)は、ダメな障害者を心の底で見下していないだろうか? コンプレックスが強かった障害者が健常者並みになって、逆に障害者を差別してはいないだろうか? 少なくともぼくはそうはなれない、ダメな仲間の一員だと思い続けている。ぼくは自分に甘く、立派と言われる人の仲間でないことは、自分でわかっている。
「サルはオナニーを覚えると死ぬまで続ける」と言われる。快楽に依存してしまうのは、ぼくだってまったく同じだ。ただ徹底してダメなんて人はいなくて、みんなほどよくダメなのかもしれない。
 「社会が悪い」という障害者も、「障害に甘えている」と言われるかもしれない。「甘えている!」と人に言うような厳しい人は、「甘えていいのは自分だけだ」と思っているのかもしれない。どうしても自分を責めて人に甘えられない人は、「社会のほうが間違っている!」と大きな声で言ってみよう。雨宮処凛さんもいうように、革命家になれるかもしれない。そこまでならなくても、運良く家庭以外の社会の片隅でひっそりとした居場所を見つけられるかもしれない。「しょぼい」と思うことなかれ。誰だって生きることはしょぼいもんだ。大した人間なんてそういるもんじゃない。
 何か起こった時に、「何とかしよう」「何とかしなければ」と思った瞬間、無気力に襲われることが繰り返されパターン化されてしまうと、自殺願望につながっていくことがあるらしい。無力を思い知らされたアダルトチルドレンな育ち方だったのかもしれない。自殺報道があると、次々に自殺が連鎖する。どこかでほかの自殺者とつながっていたいのだろう。

 秋葉原無差別殺傷事件の加藤容疑者も、不器用に生きてとても孤独だった。彼は現実からも、ネットからもはじかれて、実行した。誰か止めてほしいと思いながら。「かまってほしかった」という彼は痛々しい。
 その寂しさは、ぼくの発病前にとてもよく似ている。何より、生死が無意味なところにまで追いつめられていた。自分の生死にも他人の生死にも意味がないから、犯行が行えた。「誰でもよかった」と言って。中途半端に生きるのが一番いい。徹底して追い込まれないほうがいい。中途半端が幸せな人生の基本だ。

 ムゲンはメンバーが甘えられる環境だ。メンバーに徹底して不足してきたのが、「甘える」ことだとぼくは思っている。しかし普段甘くて、たまに厳しいことを言うと、逆ギレを招くこともあり、トラブルを引き起こすこともある。「金を貸してくれるまで降りない!」と、包丁をもって屋上に立てこもられたことがある。妄想のターゲットにもなり、「どろぼう!」呼ばわりされることもしょっちゅうあった。こちらも親身にかかわるけれど、ほとんど報われない仕事だ。身の危険を感じて、家の戸締まりを厳重にしたりすることもある。


コメント


>何か起こった時に、「何とかしよう」「何とかしなければ」と思った瞬間、無気力に襲われることが繰り返されパターン化されてしまうと、自殺願望につながっていくことがあるらしい。

>何より、生死が無意味なところにまで追いつめられていた。自分の生死にも他人の生死にも意味がないから、犯行が行えた。「誰でもよかった」と言って。

 生死が無意味なところまで追い詰められた人たちにかける言葉がなかなか見つけられない…
 と、躊躇しているうちに間に合わなくなるのでしょうか。
 ほとんど報われない仕事、分かっていても大変ですね。


投稿者: hanakotori | 2009年02月02日 12:37

 あとになって昔ムゲンに来ていた人の訃報を聞くとつらいです。病者は自殺も含めて寿命が短いです。
 ぼくも発病前に「自殺者になるか犯罪者になるか」というところにいましたので、犯罪が起きると人ごととは思えません。


投稿者: 佐野 | 2009年02月02日 20:50

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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