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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

昔のムゲンと今のムゲン

 昔のムゲンには、家出娘が来たり、車いすの人が出入りしたり、高校でのいじめられっ子がきたり、左翼運動家もきたり、それこそいろいろな人が出入りしていた。みんなで作って食べる昼食会は、その頃から今もずっと続いているけれど、かつてはメンバーから「波津子さんがお母さん、佐野さんがお父さんで、みんな家族みたいだ」と言われたものだ。

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 お金の管理もルーズなもので、当時古本屋をしていたのだが、外の人からも、メンバーからも、カギもかけないムゲンの金庫は狙われた。ぼくはメンバーを疑うことを知らなかったから、波津子が「おかしい、おかしい」と訴えても、ぼくは「そんなことないよ」と言い続け、発見が随分遅れた。福祉のサークル活動で来ていた高校生にも、メンバーにもお札を抜かれていたし、シャッターをこじ開けて、誰かに金庫自体を盗まれたこともあった。
 その頃、ムゲンは援助金なしでやっていて、ボランティア経営だった。自分の取り分は度外視して、みんなのために尽くしたつもりだし、仲間意識もずっと強かった。毎日のようにみんなのアパートに行って、遅くまでしゃべっていた。一人のことはみんなのことだった。8人乗りのクルマで、みんなで何泊もしながら高知へ旅行に行ったこともある。留守番の人たちが、ぼくたちの帰る日に合わせて、食事を作って待ってくれたりしていた。

 障害者自立支援法によるNPO法人化で、作業所のミニ施設化が図られ、「NPO法人ぴあ」がムゲンを経営することとなった。メンバーが毎日10人以上来ることが義務づけられ、それまでしてなかったメンバー募集をしなければ、10人を切ってしまう事態にもなった。
 しかし、思えばそれ以前からムゲンのミニ施設化は着実に進んでいた。施設化とは、職員とメンバーの間にはっきりとした区別ができ、規則が存在するようになることだ。ぼくも、病者であっても職員の顔をしなくてはならないときもある。
 規則のほとんどないムゲンは、自分たちのことばかり主張する人が多くなって、みんなバラバラになっていった時期もあった。バザーに出店しても誰一人手伝いにきてもくれない。こちらの期待はことごとく裏切られ、ムゲンの存在価値を悩んだこともあった。それに伴い、ぼくたちがよかれと思ってやっていたことが裏目に出たりして、不信感をぶつけられることも多くなり、なるべく余計なことはしたくなくなっていった。ムゲン全体の平和のために、一部のメンバーを出入り禁止にしたこともあった。いじめも発生した。
 行政関係者とも知り合うことができ、困難な交渉を続けた。保健所は「作業所の母体として家族会がついていないと、援助金は認められない」と最後まで突っ張った。ムゲンは当事者が立ち上げたもので、家族会などない。「今から家族会を作らないといけないのか!」とぼくたちは悩み、交渉は暗礁に乗り上げていた。しかし交渉2年目のギリギリになって県が動き、逆転。当事者会立の作業所のままで、援助金をもらうことが決まった。
 その頃からぼくたちの生活も安定に向かったが、ぼくらも確実に老化していった。ムゲンに費やせるエネルギーもだんだん少なくなっていった。
 それでもムゲンが、一瞬一体感に包まれることもあった。自立支援法反対のために、東京の反対集会に代表を送ったこともあった。このときには、同じ目標に向かって一つになれた。
 その後、病者への就労圧力が強まったことの影響で、生活保護組と就労を目指す組が明確になり、就労を目指す人たちのなかには、出ていった人もいる。就労しなくても、ムゲンに飽きたり、親の介護などが忙しくなってこなくなった人もいるし、バイトを始めて縁が切れた人もいた。バイトをしながら食事やおしゃべりにくる人や、恋人を作って「卒業」していった人たちもいた。こうしてムゲンから大家族的な雰囲気は薄れていった。みんなある意味自立していったのかもしれない。
 ぼくたちも時間外のメンバーとの付き合いを避けて、休みは自宅で過ごすことが多くなったし、仲間的なことはあまりムゲンでは話題にしなくなった。今ではみんなで旅行などとはメンバーは誰も言い出すこともない。親しい友人はできても、仲間意識をもっているメンバーは少なくなったと思う。確実な作業賃金のやりとりが重要にもなっている。

 若いときにぼくたちが目指したのは、みんながくつろげて、癒される場だった。ミニ施設化したムゲンは、立ち上げてから20年、時代の波に流されてしまったのかもしれないと思う。
 しかし今のムゲンは、デザイナーの常駐と機織り機の設置によって、別の意味で広がりが出てきている。機織り作業は単調なのだけど、織るメンバーのセンスが生かせる。今は3台だが、来年はもう2台入れる予定だ。売り上げも好調で、織る人が足りないくらいだ。行政からも大口の注文がくるようになった。
 週に一回はソフトバレーボールの練習をして、大会で2位になったこともある。昨年末にはロックバンドも結成して、デビューを目指して練習している。
 もちろん何もしない人の居場所はあり、昼寝する人も多い。一番何もしないでよく昼寝しているのは、ぼくなのだが。これからも身の丈にあった、施設臭のなるべく少ない、敷居の低い気軽に集まれる場所としてのムゲンであり続けたい。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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