獄の中の不条理(part3)
山本譲司氏は、獄中生活をともにした障害者たちの消息を追った。釈放された知的障害者で行き先のわからない人は、全体の44%だそうだ。「シャバに戻るのが怖い」と訴えていた肢体不自由者は自殺していた。また変死している者もいた。やっぱり刑務所に戻ってしまった者も何人かいる。ほかには暴力団にいる者、路上生活者になっている者もいた。
軽度の知的障害者は暴力団にいて、「俺よー、いま、めっちゃ楽しいんだ。周りには俺と同じように、ムショ上がりがいっぱいいるし、組の兄貴たちにも可愛がってもらっているし」と言っている。「あいつを撃ってこい」と命令されれば、鉄砲玉として即飛んでいきそうだが、「生まれて初めて見つけた居場所」かもしれない、と言っている。
2人の知的障害者は、精神科病院の閉鎖病棟にいた。入所させてくれる福祉施設もなく、入院するからには、精神の病名をつけて無駄な投薬をしながら、終の住処にするしかないのだろう。もしかして、昨今の長期入院者の退院政策によって福祉とつながる可能性もないわけではない。しかし障害者で獄中生活を体験して、出所しても働けないならば、行くところは精神科病院しかないのかもしれない。精神科病院も、開放的な病院は患者をある程度選別するから、どんな患者でも固定資産として受け入れる、閉鎖的な精神科病院に溜まるのかもしれない。
コミュニケーションスキルの不足が原因でストレスが溜まって、知的障害者が精神病を発病するのはよくあることだ。ぼくも入院中に、犯罪がらみかどうかはわからなかったが、明らかに知的障害者だとわかる人を数多く見てきた。症状の波の感じられない人も多かった。みんなからバカにされ、パシリばかりやらされている人もいた。
日本の知的障害者で療育手帳を持っているのは45万9000人だが、国際比較によって、実数はその一桁上だといわれている。結局それは、福祉につながっていない数だ。日本では軽度の知的障害では手帳をとってもメリットがなく、単なるレッテル張りのみに終わってしまう場合も多い。「刑務所は行き場を失った障害者たちの最後のセーフティネットだ」と山本氏は言う。
アメリカでは、知能指数50以下の知的障害者は「訴訟能力なし」として少年審判のような手続きをとっているそうだが、日本も見習うべきだろう。しかし厳罰化の影響を受けた流れで、「刑法39条(心神喪失者についての規定)を廃止しろ」などというのが、今の日本の世論だ。
その厳罰化を受けた受刑者数の増加によって、平成19年に播磨社会復帰促進センターという官民協同の刑務所が新しくできた。喜連川にも同様の刑務所がある。犯罪傾向の進んでいない初犯の人で、収容人員1000名のうち120名は精神・知的の障害者だ。福祉的スキルをもった人によるグループセッションのプログラムや作業療法を取り入れている。民営化できるところを民営化した刑務所としてテレビで紹介されたこともあるが、福祉的側面は山本譲司氏の本の影響によっている。
テレビでは、“医者にどうしたら自分の体調を伝えられるか”とか“アパートで隣の部屋のテレビがうるさい時に、「どういう言い方で苦情を言っていくか」”とか、テーマを決めたコミュニケーションの訓練や、感情をオープンに表現する訓練をやっていた。注目すべき取り組みだ。しかし、いくらトレーニングしても、出所後社会が受け入れなければ何にもならない。暴力団組員のように、犯罪傾向が進んだ人が隣に引っ越してきたらそりゃ嫌ではあるが、「出所者」という色メガネで見たくはない。
われわれ福祉関係者に突きつけられている課題は、出口で出所者と福祉の橋渡しをする仕組みと、入り口で福祉に留まらせる仕組みだろう。福祉の現場では暴力やトラブルなどがあると、すぐに施設が出入り禁止にしたりして、一件落着。それで本人が孤立することも多いが、問題を起こす可能性の高い人こそ、限界はあるにしても、ともに生きていくべきだろう。職員にはしんどい課題であり、メンバーの和を考えると困難なことではあるが…。
犯罪者の保護観察中に「社会奉仕」を義務づける一部執行猶予制度(刑期の途中で釈放して社会で更生させる制度)が新たに導入されるらしい。刑務所が満杯だという事情もあるのだろうが、福祉の分野でメンバーの抵抗がないならば、受け入れるべきだろう。
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