貧困
厚労省は、年末までに3万人が失業するといっている。下請けまで含めれば、10万人が失業するともいわれている。今年を締めくくるブログはこの話題しかないのが残念だ。
今のこの、若者だけではなく中高年にも広がる貧困の原因をつくったのは「自己責任」のかけ声とともに、小泉―ブッシュの進めた規制緩和であることは、今ではマスコミでも広くいわれている。しかし当時は、マスコミも改革一色で、「NO!」をいう少数派はマスコミにはほとんど取り上げられることはなかった。障害者自立支援法案の反対に、障害者を中心に3万人が立ち上がっても、マスコミの扱いは小さかった。
獄の中の不条理(part2)
前回と同様、山本譲司氏の『累犯障害者』から、「売春する知的障害者たち」の章について考えてみたい。
早苗さん(仮名、33歳)に山本氏がインタビューしている。10歳の息子は軽度の知的障害で、養護学校に通っている。62歳の母親は重度の知的障害者で、母、早苗さん、早苗さんの息子の3人暮らしだ。山本氏が自分の受刑体験を語ると、早苗さんも緊張が解け「鑑別所に5回、少年院に1回入っていた。少年院は同級生の子が何人もいて楽しかった」と嬉しそうに語る。中学校は特殊学級で、家出を繰り返し、行きずりの男と寝た。
16歳の時にシンナーの売人と出会い、彼がポン引きとなり売春を始める。婦人保護施設にも入っていたが、「男はダメ、男はダメ」って言われるだけで、規則も厳しく半年で逃げ出した。「たくさんのお客さんを相手にしたけれど、みんな『可愛い、きれい』って言ってくれてうれしかった。みんなやさしかった」
獄の中の不条理(part1)
山本譲司著『累犯障害者―獄の中の不条理』(新潮社)を読んだ。著者は元民主党の国会議員で、秘書給与詐取で栃木県の黒羽刑務所に服役した。
そこで、一般受刑者から「塀の中の掃き溜め」と言われている懲役作業に出会った。そこは精神障害者や知的障害者、認知症高齢者、聴覚障害者、視覚障害者、肢体不自由者など、一般懲役工場での作業をとてもこなせない受刑者たちを隔離しておく「寮内工場」と呼ばれる場所だった。受刑者に作業を割り振り、介助をするという仕事だ。失禁者が後を断たず、受刑者仲間の下の世話に追われるような毎日だった。
法務省の統計によると、受刑者全体の3割弱が、知的障害者として認定されるレベルの人たちだそうだ。知的障害と犯罪は関係ないが、善悪の判断が定かではないため、警察や法廷で自分を守る言葉を口述できず、反省の言葉も出ない。そのことで司法の場では心証が悪く「反省がない」とみなされ、実刑判決が多くなる。
一度刑務所に入ると、福祉との関係が遠のき、悪循環が始まってしまう。「刑務所で寝る所と食べ物が保障されること」を覚えると、食い逃げ(詐欺罪)なら食い逃げばかり、放火なら放火ばかり繰り返して、刑務所に舞い戻ってしまう。障害者手帳を持っていない人も多く、シャバで福祉と出会わない。服役回数が増えるたび、ますます福祉と出会うことはなくなり、安住の地は刑務所になってしまう。
スイスの腕時計を買う
BSのテレビ放送で、スケルトンの時計の特集をやっていた。スケルトンとは、内部が透けていて「透けると」(博多弁)というわけではなく、歯車の動きが外から見えるものだ。
職人さんが組み上げた小さな腕時計のなかで、時が刻まれる放送を見ていて、何だか癒された。「よし買おう!」と思って、腕時計の図鑑4冊をすぐに購入した。波津子に言ったら「プレゼントしてあげる」というので、「ラッキー!」と舞い上がった。