弟
ぼくの弟は、「死」を連想させるものが苦手だ。事故のニュース、ICUの入院患者へのお見舞い。以前は車の助手席に乗っていて、「今、誰かを轢かなかったか?」と、何度も戻って確認せずにはいられなかった。
10年くらい前には病気がひどく、石鹸をたっぷりと付けて何十回も手を洗っていた。手が荒れて真っ黒になっており、とても痛そうだった。22歳から5年間くらい外出できず、ひきこもっていたが、「エイズがうつらない」ことが納得できてから、外に出ることができるようになった。主治医が車を運転して、方々連れて行ったことも後押しした。
良い引出し屋と悪い引出し屋
アイ・メンタルスクールの事件を前に取り上げたけれど、これは暴力が横行して死亡事件を起こした、誰が見ても悪い引き出し屋だ。では、ひきこもりを説得によって引き出す引出し屋の主流「ニュースタート」をはじめとする全国で活動している多くの団体は、良い引出し屋なのだろうか?
ニュースタートの元事務局長によると、レンタルお姉さんの訪問活動が、ある時期になると、親と協力して引き出して寮に入れる、という大勝負の時期を迎える。うまくいく確率が80%とか言っていたかな、60%だったかも? 残り20%以上は「ひきこもりたい」という明確な意志を示しているのかもしれない。
本人の内面や葛藤には一切関わらずに、外科手術のように行う。この大勝負は是か非か? 統合失調症の強制入院を思わせる部分もあるが、強制入院によって症状が軽くなっていき、結果オーライという場合もあるから、一概には言えず、これは運だろう。
強制入院も、「あとで感謝する人」もいれば、それをきっかけに「医療不信に凝り固まる人」もいる。トントン拍子にうまくいく場合もあるだろうし、さみだれ型のひきこもりを続けて長引く場合だってあるかもしれない。基本的に関わり方が、本人の様子を見て、他者が判断して実行する「パターナリズム(父権主義)」な感じがするので、ぼくには合わない。
娘のこと
ぼくは若い頃、24時間介護を必要とする重度身体障害者が施設を出てアパートでの自立生活をする運動に、介護で関わっていた。もちろんヘルパー制度など影も形もない頃だ。一つの施設から4人の重度障害者がアパートへ移り、たくさんの介護者を集めて松山市内で生活していた。
水口君という男性がいた。彼は正直で粘り強く頭が良かった。対市交渉を率先して行い、市役所ではずいぶん嫌がられていたけれど、理路整然と人を説得できる人でもあった。生活保護に重度加算があることなどを「発見」したり、後に続くものに大きな足跡を残した。全障連の代表幹事も務めた。
彼は「お尻の拭き方で、介護の上手下手がわかる」と言っていた。ぼくもそのひとりだが、水口君の介護のおかげで家事を覚えた人は多い。彼はしばしば介護者と焼き肉をして、ビールを飲んでいた。そのせいもあるのかもしれないが、脳卒中であっという間に亡くなってしまった。
24時間介護者がいるからプライバシーはないし、精神的にとてもタフだったから、彼はいつも本音で人付き合いをしていた。今でも「彼とは本音で付き合えたなあ」と懐かしく思い出すことがある。
善意の道は地獄に通ず
平成18年の「アイ・メンタルスクール寮生死亡事件」というのを知っているだろうか? 『引きこもり狩り』(芹沢俊介編、雲母書房)という本が出ている。
26歳のひきこもりの男性が、ひきこもり支援施設「アイ・メンタルスクール」に入寮中、ふとんで死亡していたのだ。ひきこもっていた男性は、家でスタッフ数人に取り囲まれ、屈強な2人に押さえつけられ、拘束具をつけられ、名古屋の寮へと入れられる。寮でも男性が暴れるので、手錠、さるぐつわ、鎖などを使って拘束されていたし、カギのついた二重扉の大部屋に男性21名、女性8名とともに収容されていた。
死因は、両腕両足打撲による外傷性ショック。主犯の杉浦唱子氏は懲役4年の判決。動機は、杉浦氏とマスコミによる「ひきこもっているなら引き出してやればいい」という「善意」だ。同時期に戸塚ヨットスクールの戸塚氏が釈放されている。事件を起こすまでは、戸塚ヨットスクールもアイ・メンタルスクールも、マスコミはとても好意的に報道していた。