ひきこもりについて
ひきこもりと長期入院者は、社会との接点を失っているという点においてよく似ている。
長期入院者は長い間にわたって、病棟生活に適応して過ごしている。今、ケースワーカーが中心になって、病棟で何らかの役割を見つけている病者を退院させ、生活保護を基本に、ケアホームやアパートでの生活ができるようにするというサポートが始まっている。退院者にとって電車やバスの利用の仕方、銀行のキャッシュカードの使い方、買物の仕方、料理など、覚えることは山ほどある。
もちろん、長期にわたるサポートが必要だ。日本政府の入院隔離政策のツケであり、その長期入院者数の多さに国際的非難を浴びたのに加え、医療費削減目標もあり、やっと政府も重い腰を上げた。平成21年度の国の要求額が出たが、軒並みアップしているのに、退院関連については17億円の据え置きだ。やる気がない。
僕のひきこもりナンパ宣言
『僕のひきこもりナンパ宣言』(夏目亮介著、新紀元社)という本がある。本の帯には「レベルが上がった! 女の子と話せるようになった!! 元自衛隊員・ひきこもり青年がナンパ師めざして大奮闘!」とある。読むっきゃない。
ひきこもりセキラララ
『ひきこもりセキラララ』(諸星ノア著、草思社)というひきこもりの自伝本を読んで思うところがあったので、書いてみたいと思う。
まず、正月は何枚年賀状が来るのかが心配だ、という「憂鬱な正月」の章から始まっている。ひきこもっていると、来る年賀状が年々減ってくる。友人から忘れ去られないように、こちらも必死になって書くが、ひきこもっていることを知られたくなくて、近況を詳しく書けないので、書くネタもない。自然に相手も遠ざかるという。
ぼくにも覚えがある。友人から忘れ去られないように、ぼくを覚えてくれていそうな同級生などに、必死で年賀状を書いたものだ。昔は病識もなかったし、入院は共通の話題にもならない。正月に何枚来るかで一喜一憂した覚えがある。
退院促進について
国の方針で、今年になって県に、長期入院者の退院を進める予算がわずかばかりついた。それで退院促進の検討会を開き、行政主導による事例検討などを行っている。NPO法人のいくつかは退院してくるであろう患者さんのためのグループホーム、ケアホームを作ったりしている。
他の病院の誤処方をするどく指摘し、今をときめくセカンドオピニオンの笠陽一郎先生が、20年以上前にH病院にいて病院開放化を行い、どんどん退院政策を押し進めた時期があった。「これほどの人が退院など無理だろう」という患者さんまでアパートに退院させていた。
その時の退院者の一人が5〜6年前にムゲンにやってきた。身寄りがまったくないばっかりに、それまでは保証人のいらないボロアパートを点々としていた。ムゲンで昼飯を食べてもらいながら、ぼくと波津子が保証人になって、ムゲンの近くの人並みなアパートに移ってもらったら落ち着いた生活ができるようになった。
自立について
新聞などで、「就労を通じて障害者の自立を」などの文字が躍る。「障害者の自立」には誰も逆らえない至高の響きがある。しかしこれは、「自立」と「経済的自活」を明らかに混同している。別に親の金で暮らしていても「自立」は可能だ。差し迫った要求ではあるけれど、生活費をどこから引っ張ってくるかは、「自立」とは関係ないだろう。犯罪的な金でさえなければいい。若いワーキングプアは、親の仕送りなしには暮らせないという現実もある。