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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

向上でも堕落でもない、生活だ

 このタイトルは、ぼくがムゲンのホームページに書いている言葉で、「好きだ」と言ってくれる人が何人もいる。

 中学生の時に、性欲の目覚めが嵐のように訪れて、雑誌のヌードグラビアを集めたり、女性の裸の絵を書いていたりしたのを母に見つけられ、母に言われた。「最近堕落した」と。この言葉は今も覚えている。
 ぼくだって当時、本当にコンプレックスでいっぱいで、「何とか向上したい、人並みになりたい」と痛切に思っていた、自信のまったくない一人の若者だった。今みたいに人にも「余裕が大切ですよ」「マイペースがいいですよ」などと言える人間では全然なかった。
 世間の常識をまったく知らなかったから「男は男らしく」とか「仕事ができて一人前」とか、今でこそ「陳腐な」とぼくが思っているようなことを、周りから言われてマジ信じていた人間そのものだった。今のぼくはもちろん、若い時の自分を許しているのだが、新しい価値観で昔の自分を見直すと、あとから冷や汗をかく。

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 25歳まで童貞だったから、性へのコンプレックスは特に強かった。今では女性のセックスに対する気持ちもわかってきて、ペニスを鍛えようとしたりして、「男ってバカよねえ」という、笑い話のような努力もしたことがあるが、そのころは耳知識しかなかったから、仕方ない。
 高校は男子校だったので、同級生にラブレターを出して、えらく気持ち悪がられた体験がある。浪人時代には友人と、どんな付き合い、話をしたらいいかまったくわからず、友人がほとんどいなかった。足しげく毎日のように、医学部に行った高校の先輩の家に話を聞きに行って、あんまりしつこいので「お前はホモか」と言われて傷ついて、泣いて帰ったこともある。彼の家には二度と行かなかった。毎日がとても寂しかった。そのころ、自分の中にホモの人たちを差別する気持ちがあって、自分にもホモっ気があることを認められなかった。

 「このままではダメだ、他の男性程度に向上したい」と、コンプレックスの虜だった中、20歳で発病を迎え、4年間入院して退院しても、やっぱりコンプレックスは強かった。発病してからは統合失調症という病気が、特にコンプレックスを強固にさせた。働けたならば、病気が治ったことを証明できるし、入院していた時に知り合った友人たちともオサラバできる。自分が一生ものの病気をもったことを、自分でどうしても認められなかった。
 とくに退院した直後、後ろを振り返らないつもりで、精神科に入院している人とは付き合わなかった時期がある。心の中で差別していた。高校時代は東大受験する人たちと、肩を並べたくらいお勉強したじゃないか、医学部にだって入学したじゃないかと、過去の栄光を思い出したりもした。ありのままの自己肯定がどうしてもできなかった。それで「今の自分ではダメだ、向上したい」とずっと思っていた。
 若い時にはいっぱいいっぱいで、自分の劣等感から出た薄っぺらいプライドを守るために、「自分の優越感を確認しようと、軽蔑的な言葉を吐けば人が傷つく」という当たり前のことにも配慮がなかった。さぞイヤな奴だっただろうと思う。
 25歳で童貞を喪失してから、「女性がぼくのことを今のままでもまともに相手してくれる」という事実は驚きだった。それまでのぼくにとって、女性といえば雲の上の存在だった。欲望に舞い上がった。自信がついてその後、数人の女性と付き合い、最終的に奥さんと出会うことになった。でも初めての女性には自信なかったから、「ぼくは童貞なんです」と言えなかった。相手はわかっていたかもしれないけれど。自分に正直になっていれば、もっと早くに喪失でき、男としての自信がついていたかもしれない。後の祭りだ。

 仕事面では、プログラマーの仕事をしていて、30歳の時に再発入院して、病気と初めて「正面から」向き合い、「自分は病気なんだ」と諦めた。病気である自分から逃げることをやめて諦めることで、やっと「向上心」から解放された。障害年金も申請した。自分が差別者であったことに気づき、「差別心」がなくなった。いや、なくなったのではなく、差別しても「今自分は差別している」と意識することができるようになった。
 ペニスを鍛えたことも、コンプレックスの塊であったことも、今のぼくにとって無駄なことではなかったと思えるし、自分で自分を笑える。でも歳をとったぼくは、若い時の自分を自分で抱きしめてあげている。

 そして54歳になった今、若い時の罪滅ぼしのように、自分の性的、肉体的、精神的弱さをすべて認めた上で、「余裕が大切」「マイペースが一番」「こだわらない」「無理しない」「ゆるゆる生きよう」と念仏のように繰り返し若い人に言い続けているが、同時に自分にも呼びかけている。それほど向上心というのはやっかいなものだ。
 思い出せば、若いうちからこの余裕あるマイペースな奴らも身近にいた。その後どういう人生を歩んだのかはわからないが、「鍛える」というこの世にはびこっている無茶な体育系思想に翻弄されることなく、彼らの賢い生き方を貫けたことを祈りたい。体育系思想とは、「我慢こそ美徳」とか「磨かざれば光なし」とか「病は気から」とかいうようなやつだ。

 オリンピックで頑張れるほどの人は、幸せな家庭に育ったのかもしれない。そういえば、人々のメダルへの期待に押しつぶされて自殺したマラソンランナーがいた。不幸な育ちをした人は、「鍛える」と壊れてしまうかもしれない。ホント、歳をとるごとに、余裕ある生き方に目覚める人が増えていくことを期待している。
 もくもくと食うためにだけ生活すればいいということは、「何か価値あることをしてないとダメだぞ。何もしない何もできない人間は、ダメ人間だぞ」という世間からの脅しに乗らないことだ。無視することだ。世間から醒めてしまうことだ。そしてぼくは「アリとキリギリス」のキリギリスのように、生きていることを楽しんでいる。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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