向上でも堕落でもない、生活だ
このタイトルは、ぼくがムゲンのホームページに書いている言葉で、「好きだ」と言ってくれる人が何人もいる。
中学生の時に、性欲の目覚めが嵐のように訪れて、雑誌のヌードグラビアを集めたり、女性の裸の絵を書いていたりしたのを母に見つけられ、母に言われた。「最近堕落した」と。この言葉は今も覚えている。
ぼくだって当時、本当にコンプレックスでいっぱいで、「何とか向上したい、人並みになりたい」と痛切に思っていた、自信のまったくない一人の若者だった。今みたいに人にも「余裕が大切ですよ」「マイペースがいいですよ」などと言える人間では全然なかった。
世間の常識をまったく知らなかったから「男は男らしく」とか「仕事ができて一人前」とか、今でこそ「陳腐な」とぼくが思っているようなことを、周りから言われてマジ信じていた人間そのものだった。今のぼくはもちろん、若い時の自分を許しているのだが、新しい価値観で昔の自分を見直すと、あとから冷や汗をかく。
抑うつ症候群
責任感が強く、仕事を引き受け過ぎて過労死に至ったりする、こころの風邪とも呼ばれている、十分な休息を取ったらサインカーブのような経過を辿って、1年か2年で完治したりする。
これが「うつ病」と呼ばれる精神病だが、これとは明らかに違う、神経症性うつの人がいっぱいいるという印象を受ける。これは、最近増えている非定型うつ病の自己愛型と同じなのかもしれないが、よくはわからない。不安障害と併発することが多く、休日は元気になる、過食・過眠、夕方以降がうつ(伝統的にうつ病は朝がうつだといわれてきた)などが特徴だ。もちろん、うつ病と違って、初期からの抗うつ剤の投与ではなかなか良くならないし、十分な休息でも良くならないように見受けられる。
神様について
キリストが宗教的活動を行ったのは、処刑直前の数年間だといわれている。それまでは石工をしていた。最後の数年間に統合失調症の急性期を迎えたとすれば、合点がいく。天理教の中山みきも、神懸かりの激しい時期と、自分の言葉で伝える時期があったらしいが、急性期と寛解期かもしれない。そして神懸かりの前に、神の理想と主婦としての二重の結婚生活の中で、激しい葛藤の時期があったらしく、発病を準備したのかもしれない。その時期には、彼女の家族みんなにからだの激痛があり、これは前触れとしての心身症のような状態だったのかもしれない。
キリストの荒れ野の試練のくだりなんか、ぼくの急性期に見た妄想とよく似ている。ぼくの場合は悪魔が勝利するのだが。
中山みきもキリストも、自我のとても強い人ではなかったのか。そして、病前人格も素晴らしいものであったに違いない。自我の弱い大部分の人が発病すると、病気に飲み込まれ、病気に翻弄されてしまう。キリストが布教したのは十字架にかけられる34歳前であるし、中山みきが神懸かりになったのは41歳。どちらも自我が十分に確立されていた年齢だ。自我が強い人が発病すると、格調の高い、宗教的な妄想になるといわれている。そして、キリストも中山みきも自我をなくし(あるいは、自我が限りなく膨張し)、苦しむ弱い人たちのために命がけで奉仕した。
自殺について(part3)
60年前に、特攻という自殺があった。周りの空気に逆らえなかったという面もあり、純粋に自殺とはいえないだろうが自爆テロだ。しかし本人には大きな物語に殉じ、故郷の身内のために死ぬという意味があったに違いない。
「殉じる」とは、物語を信じた果てに死ぬことだ。統合失調症の急性期妄想のドーパミンの過剰分泌だ。特攻の瞬間には大きな物語から醒め、恐怖したかもしれない。いや特攻を上官から言い渡された瞬間に醒め、恐怖したに違いない。殉じることから醒めていた兵士もいるだろうから、彼は、無理にでも死ぬ理由を見つけたに違いない。見つかったのだろうか?
身内は「ただ生きて欲しかった」と悲しみに暮れるだけだ。故郷の人たちの命を守ろうと思えば、「戦争終結」を訴えればいいけれど、そんなことの言える状況でなかったし、当時の普通の日本人には戦争をやめるという選択肢があることすら思いつきもしなかった。強制とはいえ、若い人が自分の置かれたぎりぎりの状況でできる特攻を選択したことが、物語にいくら彩られても、やっぱり死に意味はなく、つくづく悲しい。