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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

刑法39条

 ご存知かもしれないが、刑法39条は、心神喪失はこれを罰しない、心神耗弱は減刑する、というやつである。
 これにより、不起訴あるいは無罪になった人はどうなるか知っているだろうか? 池田小事件後、小泉元首相の鶴の一声で作られた「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療および観察等に関する法律」という長い名前の法律によって申し立てられ、裁かれて医療観察法施設に収容されることになる。もちろん、39条で減刑になって刑務所での刑期が終わった者も申し立ての対象になる。池田小の事件の犯人は統合失調症なんかではなかったのに、統合失調症者はとんだとばっちりを食うことになった。統合失調症者の起こした比較的軽い暴力事件なども、もれなく申し立てられるようになった。
 審判には弁護士は同席せず、法廷慣れしていないワーカーに十分な弁護ができるのかは疑問だが、精神科ケースワーカーが立ち会う。この医療観察法施設がいつもの、地元住民の「精神病者怖い!」という声のために建設が進んでいなくて、平成20年4月現在で、全国で15か所しかできていない。施設の精神科医や職員がなかなか集まらないという話も聞いた。そのため施設が満杯で、現在では遠くへ収容して2年をメドに退所させ、精神科病院へ措置入院することで対応しているが、もし建設が順調に進めば、「一生閉じ込めておけることの可能な」施設になる。

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 しかし厳罰化の流れのなかで、「39条を廃止すべき」という世論も強くなっている。廃止論者は、病者を治療設備のない刑務所に入れたいようだ。
 精神病当事者からも「健常者と同じに裁いてほしい」という意見も出ている。しかしこれは、当事者が自立を焦るあまりの行き過ぎた、ある意味痛い意見であろうと感じられる。そして、発言している当事者の多くは寛解状態にあり、罪を犯せば当然普通に裁かれ、有罪なら確実に刑務所に収容される。「健常者と同じに裁いてほしい」と言えるくらいの病者は、そもそも減刑の対象外だ。
 誰でも罪を犯せば、まず加害行為を行った瞬間に意識障害がなく理性があったか? が問われる。なぜなら、理性が飛んでしまっていれば、悪いことをしたという意識がわかないどころか、妄想の海の中では、何をしたのか自分で判断できないからだ。この責任のとれなさは、例えば子どもが罪を犯した場合を考えてもらえればいいかもしれない。もちろん精神病者は子どもと一緒、と言っているわけではない。

 しかし心神喪失、心神耗弱の判例を見てみると、犯行の瞬間に理性があったか? ということについて、「十分に精神鑑定で推論できるか」が焦点になっているようだ。つまり、統合失調症が原因によると明らかにわかる、まったく人が変わった状態であったかどうか、そういう犯行前からの連続性も重視されるようだ。殺害の最中に「殺してしまわないと可愛そうだ」などと考えたりしたら、責任能力ありと見なされる。
 解離性障害で別人格が現れていた時に犯行を起こしても、別人格が善悪を弁別できたはずだと見なされれば、心神耗弱ではないし、PTSDによるフラッシュバック状態であっても心神耗弱にはならない、というより、PTSDが原因で殺人まで犯す加害行為に至ることはないというのが、判例だ。統合失調症以外で心神耗弱で減刑された例は、ネットの検索では出てこなかった。三橋歌織被告の事件で、PTSDでの心神喪失という精神鑑定が判決にどう反映されるか一部で注目されていたが、判決にはまったく反映されなかった。心神喪失、心神耗弱が判決に反映されることは極めてまれで、厳密な適用がされている印象を受ける。だから最近よく見られる、弁護側のすぐに精神鑑定で争おうという姿勢は効果が薄い。
 だいたい、精神障害者でも寛解していれば完全に責任能力があることすら、一般にほとんど知られてなくて、「犯罪者が野に放たれる」みたいな理解がされている。アスペルガー、ADD/ADHD、人格障害、うつ傾向、強迫などは39条の適用外であることもあまり知られていない。

 殺人では、被害者は死んで戻ってはこない。責任能力があろうとなかろうと、被害者家族の受けるトラウマは同じである。怒りを加害者にぶつけることも当たり前だ。加害者が口を開かないままで国家が刑罰を与えたら、被害者家族は怒りとともに探している「なぜうちの家族が?」という答えが出ない。
 「これこれの理由であなたの家族を殺害しました」と加害者が述べることによって、あるいはずっと想像し考え続けることによって、身内が死んで理不尽に打ちのめされ、トラウマによって壊された自己世界の再構築の足がかりを得られるのかもしれない。子どもを殺された、喪失の現実を受け入れられない。戦争体験を美化して語るおじいさんを見ていると、戦友の死に意味づけを行わずには、自己世界の再構築ができないのだろうなあと思う。
 しかし心神喪失では、「病気なんだから仕方ない」と納得させる以外にどうしようもない。運命は非情で理不尽だ。病気だったら「治療を優先する」以外にない。その先にもしかしたら再構築の手がかりがあるかもしれないが。
 もちろん愛されること、関心を寄せられ続けることも被害者には必要だ。今の国の被害者救済の制度はあまりにもお寒い。
 法の現場でも、心神喪失、心神耗弱の判断は結構、主観的運用に思える。三橋歌織被告の裁判では、検察、弁護両方の鑑定医が心神喪失の判断をしたけれど、裁判官は一蹴した。いったい、理性が60%飛んでいれば心神耗弱で、理性が90%飛んでいれば心神喪失なのか? もちろんどういう状態が理性100%だか、誰もわからない。法のグレーゾーンだ。

 これから裁判員制度が始まり、39条の判断を一般の人がすることになる。裁判長ですらよく知らない病状を、どう一般の人に解れというのだろう。39条を廃止すれば、すっきりして一般の人でも判断がしやすいかもしれない。しかし、法治国家はどこでも39条のようなものは持っているのだし、一つひとつの判例は、まどろっこしさを抱えたまま、複雑で個別な判断をするべきだと思う。
 最近日本は、白か黒かというわかりやすさが好まれて、死刑制度維持が世論の80%を占めているのと合わせ、安易な厳罰化に流れていっていると思う。複雑な判断は素人には難しいのだから、裁判員制度の拙速な導入はすべきでないと思う。
 最近の報道によると、全国の地裁で同じ統合失調症の被告人をモデルにした裁判員の模擬裁判を行ったところ、48地裁において、有罪が24件、無罪が24件と真っ二つに割れたという。最も重かったところでは、求刑10年を上回る懲役14年という判決が出た。

 平成17年に、高松市の精神科病院から外出中に包丁で殺人を犯した統合失調症の犯人には、懲役25年が言い渡されている。精神鑑定では、慢性鑑定不能型統合失調症プラス反社会的人格障害だった。たとえ入院中の統合失調症者でも、意思力と理解力を持つとされた。
 また、死刑相当事例であっても、事件時覚せい剤をやっていて、無期に減刑されるというのは、ぼくもちょっと納得がいかない。依存症も病気だけれど、高い金を払って自分で覚せい剤を購入しているのだから。警察の覚せい剤取り締まりの強化を願いたい。

 病気っぽい場合、検察が公判維持ができるかどうか、普通起訴前に簡易鑑定を行って決めるが、簡易鑑定によって不起訴になる場合が多いのも問題だ。すべての場合に起訴して正式鑑定を行うべきだと思う。裁判が増えるだろうが、検察側が起訴を嫌がるのは、99%を超える裁判での有罪率を、日本の検察は世界に誇っているからだ。
 裁判でこんなに検察側が勝利する国は珍しく、アメリカやイギリスでは10%くらいの無罪が出るようだ。このからくりが、国際的に非難を受けている代用監獄と並んで、簡易鑑定ではないのか。
 これから鑑定医学界に求められるのは、判例のグレーゾーンの明確化だろう。被告が減刑を期待して鑑定に臨んでも、本当に詐病は見分けられるのか? 同一事件で複数の鑑定結果がまったく分かれる場合があるのはなぜか? などの疑問にも答えることが求められている。
 しかし、精神科医というのは個人商店みたいなもので、「生まれついてのサイコパスだから徹底隔離せよ」なんて言う人から、「原因は育ちにあるから『更生』する可能性がある」というぼくのような意見に近い人もいる。鑑定の経験のある精神科医も、連続的な精神状態に線引きして、「心神喪失」か「心神耗弱」か、そこまでいかない「責任能力あり」かを境界づけしなくてはいけないのは、「本当に難しい、無理矢理だ」と言っている(香山リカ、岡崎伸郎『精神科医の本音トークがきける本』批評社)。
 もともと「裁く」ということは、ひどく曖昧なものに無理矢理線引きをするかなり傲慢な行為ではある。司法の現場は、過去の判例というマニュアルに沿って判断してきたのだろうけれど、今の司法は世論の厳罰化に答えるように流されつつあるような気がする。


コメント


 精神病歴があれば無罪。みたいな、間違ったイメージがなければ、もっと病人にとって住みやすくなるんじゃないでしょうか。
 事件があればそくざに39条を持ち出して、心神喪失で減刑をはかる弁護士のやりかたに怒りを覚えます。ただ、本当の心神喪失でも、被害者は憎悪を抑えられないでしょうね。マリア様でも無理です。治療なき収容なんて言語道断ですが。


投稿者: うすい | 2008年08月07日 17:05

 無罪、不起訴になっても、触法障害者施設、さらに精神病院へと回されます。そして犯罪に関係するのは、未治療の病者、治療中断の病者、薬飲んでない人が圧倒的です。
 心神喪失の被害者のほうが、怒りの持っていようがない分、憎悪はふかいかもしれません。


投稿者: 佐野 | 2008年08月07日 21:12

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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