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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

秋葉原無差別殺傷事件

 加藤容疑者の犯行は、原因が極めてわかりやすい。モンスターでも変態でもない、ぼくも普通に共有できるものが極めて多いからだ。
 彼は、小学生のときは秀才で、進学校に入って優秀な人たちばかりの中で落ちこぼれ、挫折感とコンプレックスを抱いていた。そして、成績にも性的にも厳しい完璧主義の母親に育てられたという報道を聞いて、背筋が寒くなった。ぼくとそっくりだ、と思った。

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 先生ウケする作文を何度も母に書き直させられ、1週間かかった。友達の家に行くのも友達を家に呼ぶのも禁止されていた。女の子から彼にきた「スキ」と書かれた年賀状を、見せしめのように冷蔵庫に貼られ、弟も「男女交際は一切許さないからね」と言われた(『週刊現代』6月28日号)。
 病的なまでに性的なものを嫌悪する母に育てられたぼくとまったく同じだ。気味悪いほど似過ぎている。ずっと彼は、心底寂しかったんだと思う。片思いでもいいから好きな人がいたら、とも思う。「女性はどうせぼくなんか相手にしてくれない」と絶望してしまうと、加害事件を引き起こす緊張のレベルが一気に上がってしまう。
 「相手にしてくれない女性」とは、象徴的に母のことである。この「母の虐待」が事件の原因だろう。恐らく遠い原因は、母の母からの虐待の連鎖であっただろう。また、入学した高校が軍隊式で、世間から隔絶された価値観で、母親の世界を補強したようだし、父親も母親の持つ怒りの前には沈黙していた。母が激高し、床に敷かれた新聞紙にご飯やみそ汁をばらまいたのを、加藤容疑者が泣きながら食べる光景もあったという。
 彼のネットへの書き込みに、「女性にとって、彼氏は自分の存在を証明するもの、故に不細工には彼女できない。」とある。これは母への思慕だ。また、「「母は他人」と思って暮らしている。」ともあるが、これは諦めだ。小さい時から母が甘やかしてくれない環境で育つと、愛(自分に対する関心)が腹一杯にならず、大きくなってもマザーコンプレックスのままだ。
 学歴コンプレックスのあった彼の母は、高校で秀才から普通の人になってしまった彼を見捨て、弟を可愛がるようになった。彼が一番殺したかったのは母であり、母を憎悪していながら、母に逆らおうとするとそれがなかなかできないという、自分への怒りもある。しかし彼は、自分の等身大の実像を、ネットの掲示板に正直にしゃべっているのだから、ある意味勇気がある。それだけぎりぎり追いつめられていたのかもしれない。
 多くの人は粉飾をこらさずに自分をしゃべることはできないし、本気で親に怒ることもできない。彼の幼稚さを批判する向きもあるが、虐待を受けると精神年齢は低いままだ。

 まず、親は子どもが安心して食べて寝ていられる環境を整えることが必要だ。子どもをちゃんと放っておくということも、大切だと思う。放っておかれたら、子どもは自分の頭で考え、自立しようとする。親が教育だ、しつけだと過干渉になるから、子どもは自立の芽をもがれる。教育制度だって、受験競争を煽ったりしないで、江戸時代の寺子屋の読み・書き・そろばん程度で十分だろう。
 加藤容疑者は、偏愛と虐待という過干渉下の絶対服従の中で育ち、まったく放っておかれなかったので、そこから自立の方向へ抜け出すのに、「大戦争」を起こす必要があった。近所の主婦が語る彼の家庭内暴力が、どれほどの母との対決だったかはわからない。観るテレビも週2本と決められ、マンガや雑誌は読めず、友人を家に呼ぶことも友人の家に行くことも禁止されていた。
 弟は高校になって自分の家が異常だとわかり、驚愕する。ぼくも高校になって友人の家庭を知り、はじめて自分の家は異常だと気がついた。他の家も同じようなもんだと思っていた。
 彼は、憎しみを向ける対象が間違っていたというより、ヒトラーが虐待者である父に完全屈服したように、彼は母という絶対権力に立ち向かう勇気がなかったので、遠慮なく彼を傷つける「社会」という、彼にとっての絶対権力に怒りの復讐をした。彼が自身の全存在のプライドをかけて母を殺していれば、少なくともあれほどの無差別殺傷事件は起きなかった。殺すといっても何度も暴力を振るうなどして、自分のこころの中で親を完全に殺してしまうことが多くの虐待児のたどる道なのだが。もちろん母への思慕と虐待の記憶だけがこころに残って、宙に浮いてSMに取りつかれたりもする。
 彼は「誰かに止めてほしくて、掲示板に書き込みをした」けれど、ぼくも昔、死刑廃止グループのリーダーを殺したいほど憎んだ時、決行する前に「誰か止めてほしい」と心の底では思っていた。また、自殺を思い詰めた時にも「誰か止めてほしい」と思った。憎しみや自殺のクモの巣にとらわれたら、自力ではまず脱出できるものではないだろう。
 決意してダガーナイフを購入した時の女性店員さんとのたわいない会話に、「いい人だった。人と話すのっていいね」という感想を書き込んでいるのを見て、ぼくは悲しくなった。彼は捕まってから捜査員に甘えまくり(『フライデー』7月11日号)だそうだが、やっと話を聞いてくれる人が捜査員だったのだろう。ぼくも絶対的な孤独の後、発病して初めて入院して、病棟という環境に甘えることができ、信じられないほど楽になった記憶がある。

 「加藤容疑者は神」という書き込みがネットで相次いでいる。小さい時からいじめられないように周りの空気を読みまくって、気を遣ってへとへとになったあげく、自分が何もできないことに気づいた怒れる無力な若者にとって、殺人を「いとも簡単に」やってのけた加藤容疑者は「神」なのだろう。いじめや虐待を受けて育ってきた、特にメンタルヘルス系の若者にとって、やってみたい主人公なのかもしれない。すでに臨界点を越えた模倣犯も出てきている。事件を起こし、「誰でもよかった」と供述することで、自分が存在することをわかってほしいかのようだ。負け組だと絶望した青年が、「再チャレンジ」の方法として、「無差別殺傷」を選択したかのようでもある。
 彼の弟は3か月で高校を退学し、5年間引きこもった後、母親から「許して」と言われたという。弟は、引きこもりの間に家庭内暴力などで母と対決していれば自立へと進めるかもしれないが、恨みと傷は残り、後の人生にDV加害者になるとかこころの病とかが立ち現われる可能性もある。
 彼の父はしつけに厳しく、彼の母は教育に厳しかった。どうか世の親御さんたちには、子どもたちが安心して怠けられる家庭をつくってほしい。「サザエさん」では息苦しいような気がするので、「ちびまる子ちゃん」くらいの家庭を。もちろん事件そのものは許せるものではないが、この事件が警告するものは、加藤容疑者のこころの闇ではなく、現代日本のどこにでもある、「犯行に及んでない加藤容疑者」を抱えた家族に共通して存在する闇だ。

 彼が派遣社員であったことも取りざたされている。昔は、仕事場とは寂しさをまぎらわせる仲間のいる居場所でもあった。不安定な派遣社員制度が自由化されてから、労働者の孤立化が進んでいる。解雇への不安が事件の引き金を引くことになったのは、間違いない。これも経営側の要請に応じて、使い捨て派遣の自由化を行った政府の失策だろう。
 さらに、欲望が瞬時に満たされてしまうという、現実感を奪う資本主義の発達のしすぎが原因で、「悩む力」を子どもから奪ってしまっている。こころの葛藤について「悩む力」のなさが、なんでも手に入る日本ですぐに犯罪や暴力や自殺などに行動化してしまう大きな社会背景としてあるだろう。


コメント


 はじめまして。
 記事に深くうなずくばかりでした。本当にそのとおりだと思います。
 子供にとって親は絶対の存在ですから、親のとったささいな行動が子供の人生を左右するでしょう。容疑者の心の闇を作ってしまったのは両親に違いないとは思いますが、それに打ち克って欲しかった。
 私も小さい頃、両親に虐待とも言えるような暴力を受けました。近所の子供と喧嘩したり、家の中で少しでもいたずらをすると、手の指と指の間に火を消したばかりのマッチを押し付けられました。その熱さと水ぶくれの痛さは今でも忘れません。その時の自分の姿を思うと、今でも涙が出ます。
 その一方で、当時の母は他の男性と関係をもち、妊娠したこともあります。子供のころは本当に死にたいといつも思っていました。
 父は他界しましたが、母とは今では「一卵性親子」と言われるほど仲良しに周りはみています。あの頃のことは、母との間ではタブーのごとく話題に出ません。それは、違う意味でお互いが大人になったから成り立っている関係です。でも、これでいいのか、今でも自分は悩み続けています。
 世の親御さん、どうか子供を大事にしてください。また、大事にしすぎないでください。


投稿者: あんこ | 2008年07月25日 00:23

 子供を大事にして、大事にし過ぎない、いい言葉ですね。
 虐待を受けた、特に女の子は親孝行になるという実例が身近にもあります。いつまでも小さい時に得られなかった愛を求めて尽くすのです。
 たとえば、彼などに尽くし過ぎるということはありませんか?それが生き辛さになっていませんか? 信田さよ子さんは、かつては一卵性母子を持ち上げていました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4072214450/
 しかし今では、危機感をもっているようです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393366255/


投稿者: 佐野 | 2008年07月25日 17:36

 私は虐待を受けた記憶はありませんが、母が時折理由がわからないのにヒステリックに怒り出すのをうろ覚えに覚えています。そして、兄と私を比べては、兄の肩をもつのも腹立たしいと感じていました。
 子供の頃の私を、周りは優等生と思っていたようですが、人の物を盗ったり、便を窓から放り投げるなどの行為を平気で行い、上手にいい子の顔をして。卑怯なことをしてでもほめられるようにしていた記憶があります。
 しかし私は、幸いにも家庭の事情で父方の田舎に1年ほど一人預けられ、おおらかな田舎の人たちと暮らし、価値観がその1年で180度変わったと思います。
 兄からも人が変わったといわれました。
 佐野さんが書かれているように、安心して食べて寝て放っておくことができる環境に精神が救われたのだと思います。


投稿者: はらこ | 2008年07月26日 10:03

 優等生ではなく、普通が一番いいのに、核家族ほど教育熱心だったりします。
 自分の弱い部分を語れるのは、強くなった証拠だと思います。昔の大家族も、家長がやたら威張ってたりしましたが、周りの人同士で癒しのある関係もあっただろうと思います。救われて本当によかったです。


投稿者: 佐野 | 2008年07月26日 23:34

 佐野さん、お久しぶりです。ブログ立ち上げていたんですね!!
 犯罪そのものの行為は許せることではありませんが、佐野さんの言っていること良く分かります。安心して食べて寝て放っておくことができる、正にそれだと思います。
 私の場合は親から捨てられ、誰にも干渉されず1人ぼっちで生きてきました。それが講じて、つまずいた時に自分で立ち上がることは身につきました。
 一方では、他人のことを思いやる気持ちが全くありません(良いのか悪いのか)。
 手を差し伸べる度合いがとても大切ですね。
 皆、今の日本人、大人も子供も病んでいるのも事実でしょう。
今後このような事件がなくなることを心から祈ります。


投稿者: かんかん | 2008年07月27日 19:22

 こんにちは。ネグレクトで育ったのですね。ある意味暴力的虐待より、複雑な後遺症がのこるらしいです。「子供のトラウマ」と言う本にいろいろのっています。たくましく育ったのですね。
http://www.amazon.co.jp/%8Eq%82%C7%82%E0%82%CC%83g%83%89%83E%83}-%8Du%92k%8E%D0%8C%BB%91%E3%90V%8F%91-%90%BC%E0V-%93N/dp/4061493760/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1207558284&sr=1-1

 残念ながら、「誰でもよかった」という犯罪はここのところ増えていますね。


投稿者: 佐野 | 2008年07月29日 18:38

 加藤君はかわいそうだとあるいみ思うけれど、親には多かれ少なかれ、誰でも恨みをもつのではないか。
 私は母親を恨んでますが(大体産んで欲しくなかった)、それでも無差別殺人なんかしたりしないでしょう、多分。。
 メンタル的に少しでも問題がでると親のせい、ってのはどうかなぁと思います。
 ちびまるこちゃんの家庭ってのはいいですね。


投稿者: うすい | 2008年07月30日 14:31

 ポイントは、虐待を受けたことに対するサディスティックな復讐心が真っ直ぐに母親に向かわず、社会に向かって上滑りしたことでしょう。それほどに母親の大きさ怖さが、加藤容疑者のこころを占めて、母親に直面出来なかったのでしょう。
 自分でも10年くらい前に流行った「母原病」の焼き直し的な面もあるかなとは思っていますが、一生にわたってぼくは、母の影響を受け続けていますから、ぼくなりの考えの基礎になっています。
 もちろん、暴力的な虐待ばかりではなく、ネグレクトも重要です。メンヘル系は人間関係の病ですから、その基礎を作る家庭が変わってくれれば、もっとゆるくなってくれれば、と切に願っています。
 うすいさんはメンヘル系の原因のうちで、最重要なのは何だと思っていますか?研究者がいままであまり光が当てられてこなかった、虐待と病気の精密な研究をしてくれることを願っています。


投稿者: 佐野 | 2008年07月30日 20:56

佐野さんへ
 メンタル系の原因は解らないですが、母親ばかりでなく、父親・兄弟・友人・教師と、人間関係は限りなくありますから、いちがいに「誰が悪い」という犯人にされるのは、された人がちょっとかわいそうかな…と思います。
 2chでは、加藤容疑者に批判的だそうですよ。週刊誌の記事は鵜呑みにしないほうが良いです。
 私は同情してますが、まず死刑ですね…。


投稿者: うすい | 2008年08月06日 16:58

 2ちゃんでは批判のほうが主流ですか。たしかに同情しますが、このままいけば、死刑は免れないでしょう。
 ほ乳類の母は子とあまりに長い間一緒にいるので、よくも悪くも影響力は絶大ですね。子の親に対する心理、例えば親孝行のメカニズムなども複雑です。


投稿者: 佐野 | 2008年08月07日 21:18

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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