虐待された子の復讐
ハンドルネーム「暗器使い」さんというブロガーがいる。彼は、小学校1年生の時に担任やクラスメートからいじめられたのを始まりに、高校まで暴力、シカト、性的暴行まで受けた。小学生の時には自殺願望がまだあったけれど、中学生以降は頭が真っ白になって、ゴミ扱いされ続けるうちに、「俺はゴミだ」と受け入れるしかなかったという。
小学校1年の担任には給食を無理矢理食べさせられ、吐いたものを顔に付けられて、大人や先生が恐怖だったそうだ。無駄に正義感が強く、「ガムをみんなで万引きしよう」というときに「悪いことだからやっちゃいけない」と言うような子だったので、いじめられ暴行を受け続け、正義感は全部打ち砕かれてしまった。
廊下で彼が土下座させられていじめられていた現場を見た教師が加害者と彼とを叱ったので、加害者から「おめーのせいで怒られただろ」といじめがきつくなったという。
中学生の時には、高さ数メートルの丘の上から、下のコンクリートに突き落とされ、全身を叩きつけられた。通りかかった女子に手足を震わせながら助けを求めたら、「こいつ、スカートのなかを覗いてんじゃない?」などと言われ、女子も加害者も帰ってしまった。
しばらくして動けるようになってから、足を引きずって帰り、ひとりで病院へ。しかし数日後、完治する前に親に「学校に行け」と言われて行ったそうだ。あとで学校では先生から「自分で転んだんだってね」と、加害者も見ている前で確認された。後で殺されるかもしれないので「うん」と言うしかなかった。
中学生時代に男性からレイプもされたし、高校の時ペニスに刃物をつきつけられて自慰行為も強制された。女子生徒も含めて大爆笑だったそうだ。ゴキブリも大便も食わされた。
人に対する恐怖や不信感を植え付けられた上で、そのまま高校から社会に放り出され、デザイン専門学校では「俺に話しかけるな」オーラを出してやりすごし、街でケンカを始めた。家に金がなかったから、引きこもりにもなれなかったという。
彼は、「人間は憎むべき生き物」としてテロに希望を感じている。イライラしていそうな人とか、絶対に道をどかないような人にわざとぶつかり、振り返って舌打ちしてきたり、睨んで殺気を放ってくるような奴などとは、自分が少しでも舌打ちして睨み返した途端、ケンカが始まるという。自分は殺されても構わない、ぶち殺してやる覚悟でケンカをしたら、意外にあっさり勝てる。それがすごく悔しいそうだ。どこかで、自分をいじめた加害者のようになりたいと思っている。「コイツ最低のクズ野郎だよ、生きている価値ないよ」と、日本中が思うような犯罪者になりたい、憎しみに生きないと今まで屈辱に耐えぬいてきた意味がないという。
死刑を廃止して、仇討ちを復活させたらよいという人がいるが、ここまできたら幸せな人への復讐だ。「ヤクザ」にだってなれそうだ。
しかし彼にも以前、年下の恋人がいて、その時には憎しみや復讐心が消え、「ケンカで刺されたら彼女が悲しむ」と、他人のことを考えるようになった。それまでは、人間全部を殺すのが自分の人生だと、腹を括って自己完結させたからこそ、長いいじめに耐えぬくことができた。最終的に自殺か犯罪の末路を辿るしかない…。
ここまでは『全身当事者主義』(春秋社、2008年)という本の、雨宮処凛さんのインタビューからの要約だ。たぶん複雑性PTSDというのだろうが、暗澹とした気持ちになる。ひとりでつらくなったら甘えられ、自分を認めてくれる彼女に癒されてほしいと思う。
とても彼に共感するなあと思っていたら、昔を思い出した。発病前、世間への悪意に凝り固まっていたぼくは、医学部の研究室からヒ素化合物を盗んで、下宿に隠しておいた。「これでいつかテロを起こしてやる」と思っていた。医学生だったけれど、「人の命を助けるなんてまっぴらだ」と思っていた。小さな時から過酷な環境で育つとニヒリズムに陥るし、人生を切り開くことを想像しただけで無力感を感じたし、マジメなことはばかばかしいことだとも思っていた。テロは現実的に計画しなかったけれど、ヒ素化合物のビンは、世間に対する破壊衝動の象徴だった。発病して松山に連れて帰られる時に、下宿の掃除をした父に捨てられてしまったが。
ぼくは小学校高学年の時、一人の女の子をいじめた中心にいた。彼女は授業中おしっこをもらしたり、鼻くそで鼻の穴がほとんどつぶれていた。身体がくさかった。彼女のお母さんが「お水」であることも、いじめの理由にした。お風呂も入れてもらえないネグレクトで育ったのかもしれない。彼女が自殺していたら、ぼくも自殺しなきゃ釣り合わないかな、でも生きていたら憎んでいるだろうな、どこかで暮らしているかなと思う。
もっと小さい低学年の頃、ぼくは工事現場で遊んでいた女子に瓦を投げて、頭に命中させたことがある。頭から血が出ていた。親からこっぴどく叱られると覚悟していたのに、まったく怒られずに拍子抜けだった。瓦を放置した工事関係者を責めるようなことは言っていた。小さなことでは徹底的にお仕置きされるのに、大きなことでは叱られないことに少なからず混乱した。今なら親が、自分の子がやった加害行為の大きさを受け止めきれなかったのだと理解できる。子どもの頃、親からいじめられた弱者のぼくは、より弱い者をいじめることで発散をしていた。本当にやりきれないことだ。
ヒトラーも、父から絶え間ないムチの折檻を受けて育った。乳児期に母からも安定した愛情を受けなかったヒトラーは、父に対する怒りを押し殺して育ち、結局虐待する父と同一化していき、自分の子ども時代に醸成された死の不安を隠し、悪い父親の姿を、あるいは弱く醜い自分の姿を、ユダヤ人に投影した。こみ上げてくる憎しみを、父の身代わりとしてユダヤ人に、抹殺するまで止まることなくぶつけた。
ぼくの母も、自分が受けた虐待をこころの中で抑圧し、自分を虐待した母の母に同一化して、ぼくたち子どもを虐待した。実際、ヒトラーはひきつけるような叫び声をあげて、就寝中にベッドから立ち上がることもできず、ハアハア喘ぎ汗びっしょりになって怯えるという、PTSDの後遺症と思われる状態をしばしば目撃されている。このヒトラーの怒りがやはり敗戦の賠償義務とキリスト教的美徳に囲まれて、「憎しみ」をぬるく押し殺さざるをえなかったドイツ人のこころに火をつけた(『魂の殺人』A.ミラー著、新曜社、1983年より要約)。
どんなに残虐な犯罪者でも、生まれながらの犯罪者はいないとぼくは確信するが、トラウマが加害事件になるか、自殺になるか、虐待された多くの人はたぶん極端から極端に振れ、怒りが直接親に向かない、両方の経験をするのではなかろうか。
そして自分の過去の虐待経験に向き合うということは、「こころの傷つき」を再体験することだから、怖いし惨めだし、できれば向き合いたくないし見たくもない。こころが呪縛され、逃げると依存症にもなる。虐待をなかったこととして抑圧し、親に同一化していけば、より弱い者に対する虐待者となって、また虐待が繰り返されることになる。
暗器使いさんは「ヤクザだろうが殺人鬼だろうが、誰にでも立ち向かえる自信があるのに、どうしてもいじめ加害者には向かって行けない感覚がある」と言う。ヒトラーに至っては虐待した父を賛美した! 虐待のトラウマは異性などでは癒されないから、自分の中で神と化している虐待者との対決は不可避なのである。その過程で多くの親子の間での殺人事件も起きている。そのうち、子どもの時の虐待で親を訴え、法廷で闘う光景が日本でも見られるようになるだろう。
コメント
男が男をレイプするって事って、ほんとにあるんですか?
近頃、ホント、レイプ事件が多いですね。女性が、黙っていなくなったからでしょうか?
レイプ魔の心理が、理解できませんね。
現実に知り合いから聞いたことありますが、脅して言うことをきかせるそうです。嫌がるところを無理矢理にというのが、共通のレイプ犯の心理です。
何らかの被害を受け続けると、こころに怒りを溜め込み、より弱いものに対しサディスティックな心理にもなります。
無名さんはいじめ経験はありますか?
レイプ犯は、チン切りにしないといけませんね。
性的犯罪加害者に対する矯正プログラム、どの程度効果はあるのか知りませんが、日本ではまだやられていないようです。
アメリカやカナダで認知行動療法を取り入れているそうです。田代まさしも、なんでレンタルDVDで我慢せずに、のぞきとか実行しちゃうんだろう?って、それが現実に犯罪を犯すタイプっていうのだろうか?
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