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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」 2008年06月

ぼくのPTSD

 ぼくは幼少時、親の言うことをまったく聞かない子どもだった。母はよく怒って、ぼくと妹を長時間家から閉め出したり、押し入れに閉じ込めてつっかえ棒をしたり、柱に紐で縛り付けて物差しで叩いたりした。妹とアクション映画のシーンのごとく、柱に背中合わせに縛られて叩かれた。ぼくと妹は泣きわめくしかなかった。
 ぼくたちが悪いことをすると「しつけ」が始まり、頻繁にお灸をすえられた。治療ならば爪のあかほどのお灸の量だと思うけれど、最大1立方センチメートルくらいのもので、恐怖だった。皮膚が黒く焦げた。「しつけ」の時には、家にはぼくと妹、そして母だけしかいなかった。母が突然怒ることが怖かったので、ぼくは母親の顔色をよくうかがって怯えていた。



田舎暮らし(part3)

虫や動物との戦い
 田舎の家の中にはマムシやムカデが入ってきた。マムシは台所の土間で鎌首を持ち上げていたり、風呂釜でとぐろを巻いていた。捕獲してビニール袋に入れておいたら、食い破って逃げ出したこともあった。ベッドの枕の下にムカデがいたこともある。
 また、雨が降ったらよく雨漏りし、洗面器を置いたりもした。休日には屋根に上がり、あちこちの割れた瓦にコーキング剤を塗りまくったが、雨漏りは止まらなかった。
 畑では10mくらい離れてイノシシの兄弟(姉妹かも?)と目が合ったこともある。まだ1mにも満たない子どもで、襲われる気はしなかったが、見ているとそのうち「まわれ右」をして、林に去っていった。畑はイノシシに広い範囲を掘り返され、よく荒らされた。無農薬野菜のグループに、撃ち殺したイノシシの鍋をごちそうになったことがある。ぼくが見た兄弟イノシシの親かもしれないが、脂っこかったけれどおいしかった。



田舎暮らし(part2)

 以前無農薬野菜のバイトをしていた先の農家が、余っている畑を無償で貸してくれて、四季の野菜を植えた。ジャガイモ、トマト、きゅうり、なすび、大根、葉もの、何でも植えた。休耕地は肥えていて、何でもよく実った。初めての収穫は、うれしくてしょうがなかった。
 2〜3年経つと肥料が必要になり、牛の糞とか豆腐カスを分けてもらって畑に入れていたが、発酵させてから入れないといけないことを知らなかったので、やってみると腐ってしまって止めてしまった。それからは、肥料作りは大変なので、農協で有機肥料を買ってきて畑に入れるようになった。夏の畑は2〜3日で草がボーボーになるので、草との闘いだった。一からの農業だった。



田舎暮らし(part1)

 今回はちょっと一息入れるために、地球に優しい田舎暮らしの話です。



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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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