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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

男はいくつになってもマザコン

 人間を前へ前へと進ませる原動力はといえば、当然「欲」であろう。両手一杯に何かをつかもうと、生きていく。
 この欲を否定する態度として「諦める」というものがある。酸っぱいブドウの話は自分を偽って「欲しくない」と強がるものだが、自分にはどうしようもない現実に直面し、本当に何かを諦める時、人はこころにきしみを生じさせる。このきしみを体験しながら、人は一歩ずつ大人になっていくのだと思う。「我慢」することでは、人は成長しないのではないか。

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 大人になる大きな条件とは、親を「普通の」人間として認識できるか、ということかもしれない。ぼくは長い間、支配する母親との葛藤に苦しんできた。憎んできた。高校時代、ぼくは江戸川乱歩の豪華装丁本を棚の奥から見つけ、母にも性欲があるのだと知った。母の、性的抑圧を息子に押し付ける極端な性的への嫌悪は、完璧な母であろうとし続ける強迫的努力だったのだろう。しかしアダルトチルドレンとしてのぼくは、大人になっても生きづらさとして母を引きずり続けた。統合失調症の発病も決して母と関係ないわけではないと思っている。
 この母への憎しみは、ぼくも結婚し息子が産まれ、大きくなって反抗期になり、ぼくに徹底して逆らうということを体験して、ぼくの中からきれいに消えた。
 結婚以来、親とはずっと別居していたのだが、憎しみは少なくなってきたものの、消えはしなかった。もちろんこの憎しみは、ぼくのマザーコンプレックスの裏返しで、母の呪縛から脱却できなかったのだ。憎しみが消えつつある中でさらに年が過ぎ、「母も寝ずに赤ちゃんのぼくのおしめを替えたり、お乳をやってくれた時期もあったのだなあ」ということにも改めて気づいた。
 これによって母の全体像はいびつなくすっきり納まり、見た目上品な背の曲がった単なる猫好きばあさんとして、何の特別な感慨もなく、他人とまったく同じような距離で見られるようになった。ぼくは母をすべて諦め、許した。ぼくは「大人になりきるのに50年かかったな」と思わずにはいられない。母も同じ弱者の仲間の一人と見ることができた。これでやっと重度のマザコン男も「男はいくつになってもマザコン」という女性のため息から一応自由になった。ぼくはたぶん性欲の強いほうだから、憎しみも強かったのかもしれないが。

 母の愛は、すべてを飲み込むブラックホールのような存在である。すべての子どもは燃料を全力噴射して、その強力な引力圏から逃れるためにロケットで脱出する。しかし、途中で燃料が切れて次々にブラックホールに向かって落ちていくロケットも多い。引力圏から脱出できたらそこで安定軌道に乗り、人工衛星となることもできる。しかし全力噴射が強過ぎて、ぼくの場合、寂しい真空の宇宙空間にまでさまよい出た。これが発病だった。今は多くの人工衛星よりも遥かに遠い宇宙空間で、安定した人工衛星になっている。
 けれどもぼくは今も、にしおかすみこに「この豚野郎!」と言ってもらいたいと思っているほどのマゾヒストで、女性に対し崇拝的だ。
 現実の母から解放されて、マザコンの残滓は自立してぼくの妄想の中で羽ばたいている。フェミニストが言うような「女性を対等な人間として見る」ことが難しいぼくは、自分を正直に出すと「この変態!」と言われると思う。何も上から見下すだけが差別ではないだろうから、実害はないだろうが、きっと女性差別者でもあるのだろう。まあ誰だって女性に性欲をそのまま出せば、「変態」と言われるだろうが。
 子どもの時に愛されすぎたり愛されなかったりが過ぎることは、結果として、喜怒哀楽を隠さざるを得ない育ちとなり、大人になってからのSM的感性と深く関係してくると思う。
 しかし、今も女性の柔らかい肌に魅力を感じるというのは、赤ちゃんの時の母の肌触りの思い出かなあとも思う。ぼくは自分で料理をするのだが、おにぎりは女性の握ったものを食べたくなる。男の多くは臆病で小心な子どもだから、ツンとした美人より、不美人であってもどんな男も受け入れてくれそうなやさしげな女性を好むようであるが、これが「男はいくつになってもマザコン」と女性から言われることの原因であるようにも思う。
 拒否しないやさしげなアニメの萌えキャラも人気が高い。ぼくはといえば、いかにも気の強そうなつり目の女性がよかったりするので、やはり女王様好きなのである。
 また、人を受け入れるということは、ブラックホールになるということである。ちなみにぼくのように受け身で、いろいろな人を受け入れようとする傾向のある男を、精神科医の斎藤学氏は「おっぱいを持った男」と呼んでいる。カウンセラー的資質とはまさしく、そういう何でも吸い込むブラックホールなのだろう。氏自身もきっとそうであるに違いない。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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