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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

リスキーシフト

 リスキーシフトという言葉をご存知だろうか? 普段は穏健な人たちが集団になった時に、同調圧力によって極端な決定に全体が流れることである。ワーカーになるための受験勉強で習った。

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 ムゲンで、結構長くいるメンバーのひとりについて、「怖い」と運営協議会で話題に上ったことがあった。みんなの意思を確認しようと無記名投票を行ったら、ほとんどの人が「怖い。出て行ってほしい」と書いた。そして口々にそう言った。
 その場にいなかった本人に「そのことを伝える」ということでとりあえず終わったのだが、妻の波津子は静かに怒り、まったく口をきかなくなった。
 ぼくたちは、「怖い」と言われた当人のすごく不幸な生い立ちや人生に深く同情していた。当人は人の親切を受け入れることができずに、他人が自分に関わってくるのは、自分から何かを盗ったり利用するためだと考え、世間を逆恨みしていた。
 当人が荒れた時には、ぼくと波津子は「ムゲンは潰れたっていい。あの人とともに生きよう」と言い合ったこともあったので、その晩、波津子が「明日から抗議のストをする!」と言ったことに深く共感した。古着物のデザイナー兼職員も「みんなの発言にショックを受けた」と、波津子に同調して休んだ。
 次の日には、ぼくだけでムゲンを開けた。そして来たメンバーに「波津子たちが昨日の無記名投票のことでストをしている」と言った。その結果、数名から「当人を受け入れるべきだ。自分は間違っていた」と反省文が出された。波津子とデザイナーは反省文を読んで納得し、仕事に復帰した。

 ムゲンでメンバーになる条件は、新しい人にしばらく来てもらってみんなとお話をして、その後運営協議会でメンバーの承認を得ることが唯一の条件である。多くの作業所のように医師の診断書などは考慮しない。
 ある女性が入会希望者として通ってきたが、数名の女性メンバーが、「彼女が人のプライバシーを根掘り葉掘り聞く」と不満を漏らしていた。そこで運営協議会の場では、入会の話し合いを無記名投票にした。数名が反対して、入会延期になった。次回の運営協議会でも無記名投票で少しの反対者が出たが、話し合いの末、入会は認められた。
 晴れて本人はメンバーとして来はじめたが、1週間ほどで来なくなった。運営協議会の投票の時は平気そうにしていたが、まるで裁判の被告のような立場になった彼女は、十分心に傷を受けただろうと思った。
 それからは、リスキーシフトになりそうな場面を回避するため、ムゲンではメンバーに「無記名」で本音を聞くことは止めている。やはり、他人の存在を意識した上で、発言に責任をもつべきだと思っている。


※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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