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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

長浜園児殺害事件について

 10月16日に出された長浜園児殺害事件の判決要旨を、ぼくの文責で短くまとめました。少々長いけれど、目を通してほしいと思います。

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要旨
 平成15年ころから被告人は、誰かが自分を殺しに来るなどと言い始め、自分の自動車が目の前にあるのに、自分の自動車ではないと言い張ったりするので、夫に連れられて8月にC病院精神科を初めて受診したが、診察や検査に拒否的態度だった。
 9月には薬の大量服用をした。誰かが殺そうとしているので中国に電話したが、中国にも帰れないので、死にたくなった。
 平成16年に、天井裏のネズミがうるさいのでバールとのこぎりで穴を開けたり、ふすまや戸に目張りをしたり、姉や姪に電話して「天井裏で男が見張っている」「自分の子どもを殺された」などと頻繁に訴えた。自分の娘を「自分の子ではない」と叩いたり、首を絞めたりした。夫や姉に対して「本物ではない」と暴力を振るったが、短時間で終息した。
 2月にC病院精神科を受診し「夫が本当の夫ではない」「娘は死んだかな」「親戚が死ぬ」などと言ったり、音に敏感なことを話した。
 3月には、長浜市内のアパートの窓をハンマーで壊して侵入し、火をつけた。同日、C病院精神科に医療保護入院になる。薬の服用を拒み、「病院の売店で働きたい」「コンビニで働きたい」と言うので、注射により薬剤を投与。キーボードで病室の窓を叩いたり、「看護婦になりたい」とナースキャップを奪おうとしたため、保護室に隔離・抑制された。「自分は病気ではない」「薬は飲みたくない」と強く訴えるが、ホールに座り込んで叫んだり、落ち着きなく不穏な様子が見られた。平成16年7月16日に退院した。
 通院は続けたが、「薬を服用すると一日中起きられず、家事ができなくなる」と、そのうち服用をしなくなった。そのうち通院も止めてしまった。
 被告の娘は幼稚園に通っていたが、いじめられているのではないかと、ときどき幼稚園に様子を見に行っていた。

 平成17年2月、不眠が続き「夫が中国にいる家族を殺した」などと言ったり、義母の頭や胸を蹴ったりしたので、2月17日にC病院精神科を受診。その後も不定期に通院。10月14日、犯行前最後の受診をした。眠れない、気分がだるい、声は聞こえないと言っていた。受診後2、3日は薬を服用していた。
 被告人の娘が、砂のついたおにぎりを持って帰ったことなどから、幼稚園でいじめられていると不安を募らせ、教育委員会に電話した。被告人は知人に「娘はおとなしいからいじめられやすい。ある女の子がいじわるをしているから、できれば殴ってやりたい。いじめられるのは中国人だからではないか。英語やピアノを習わせてほかの子どもに負けないようにしたい。娘と近所の子どもはあまり遊ばせないようにしている」などと言っていた。
 4月末からグループ通園を止め、個人通園を始める。ほかの園児や母親の前で、容姿や体型などを悪くいうことが多く、園児の母親らは被告人を避けるようになった。被告人の娘が夜2回嘔吐したので、幼稚園で薬か何かを飲まされたのではと疑う。夜眠れなくなり、「うれしい、うれしい」と知人に言う。
 平成18年2月16日夜眠れないまま、17日は幼稚園の送迎当番に当たっていた。自動車で幼稚園に送る途中、被害児童らを殺害しようと計画し、刺身包丁を自動車後部荷台に隠した。送迎走行中、電柱に接触しそうになったり、集合場所で被害女児に衝突させそうになったり、進行してきた自動車に接触させそうになったりした。
 被告人は娘を助手席に、被害児童らを後部座席に乗せて出発させた後、幼稚園を通り過ぎて犯行現場付近に車を止め、娘に対して「見たらあかん」と声をかけ、娘の着ていたジャンバーのフードを目深に被せた。そして被告人は刺身包丁を取り出し、まず被害女児を多数回にわたって刺し、女児を車外に放り出すと、被害男児を同じように多数回に渡って刺し、車外に放り出した。助手席の娘は後ろを向いて、犯行を目撃していた。
 被告人はその後、京都に逃げよう、中国に逃げようと車を走らせていたが、大津市内で逮捕、留置された。逮捕時警官2名に対し、腕や髪の毛に噛みついたり、つかみかかったりしたので、男性警官2名がかけつけて制圧された。
 同日、被告人はC病院精神科を受診、表情が乏しい様子だったが、切迫感や興奮した様子は見られなかった。被告人は、声は聞こえない、睡眠はとれていると答えていた。身柄拘束中は、薬を指示通り飲んでいた。
 留置担当の警察官に「お金をあげるからここから出してほしい」「外と連絡を取ってほしい」などと言っていた。幻覚や妄想を訴えたり、衝動的に暴れたりすることはなかった。
 3月24日以降の親族への手紙で「自分が刺したのは人形だ。被害児童らを刺したのは、黒めがねをかけて黒い背広を着た男だ」などと書いている。
 5月9日から大津刑務所に移った。しばしば大声を出したりドアを叩いたりして、13回以上保護室に収容された。7月以降は処方薬の服用を拒否するようになり、食事も拒否することがあった。

 鑑定人の判断。被告人は現在統合失調症に罹患している。平成15年8月ごろに発症し、幻聴、被害妄想、注察妄想、替玉妄想などの陽性症状は悪化と軽快を繰り返し、同時に感情鈍麻、感情平板化などの陰性症状は段階的に進行している。
 犯行当時の精神状態は病勢増悪の前段階にあり、被害女児を主な妄想対象とした被害妄想、著しい攻撃性や衝動性、他者に対する共感性の乏しさなどの症状があった。本件犯行は被害妄想がなければなされなかったであろうが、ある程度の計画性と準備の下に実行され、犯罪であるという認識を有しており、稚拙な方法であっても逃亡を図ろうとし、逮捕前後には精神病ということで罪を逃れられるかもしれないという認識を持っていた。これらによれば、犯行当時罹患していた統合失調症により理非善悪を弁別し、それに従って行動する能力が著しく低下していた状態にあったと判断される。犯行後、心理鑑定人の判断を裏づける所見が見られていること、高用量の抗精神病薬を継続投与しても過度の鎮静等が生じておらず、詐病、人格障害、拘禁反応などによる症状と思われないことなどに照らし、合理的内容で信用できる。

 これに対して検察官は、被告人は、もともと攻撃的、衝動的な性格の持ち主であるから、外国で生活するストレスの影響もあって、被告人は統合失調症ではなく、人格障害にとどまる可能性があると主張する。
 被告は良い成績で高校に進学し、その性格は真面目で大人しい、我慢強く努力家である、どちらかというと内気で人の話を聞く方などと評されていたことなどが認められる。そのような性格で、日常生活に支障を来たしていた形跡もない。
 それなのに、被告人は平成17年2月から4月にかけて、些細なことで暴力を振るうようになっており、被告人のそれまでの生活状況や性格に照らして異質なものである。その後の経過に照らしてみても、その症状が人格障害の域に留まるということは到底できず、被告人は統合失調症に罹患していないという検察官の主張は採用できない。そして統合失調症の症状として、患者の人格が変容し、その結果攻撃性や衝動性が亢進し、暴力的な傾向を見せることがあるとされているところ、統合失調症の影響以外に、被告人の攻撃性、衝動性の亢進の根拠を見いだすことは困難である。
 本件は、被告人が自分の子と同じ幼稚園に通う園児2名を包丁で刺して殺害し、その犯行の際に包丁を携帯し、警察署の留置場において、女性警察官2名に噛みつくなどして、その職務の遂行を妨害するとともに、傷害を負わせたという事案である。被害児童らが被告人の子をいじめていたというのは、被告人の邪推にすぎず、犯行動機は極めて理不尽、身勝手かつ自己中心的なものであって、酌量の余地は皆無である。
 その犯行態様は、抵抗もままならない幼児に対し、鋭利な包丁を用いて、身体の枢要部を、20カ所以上も深々と突き刺して、殺害したものであって、強固な殺意に基づく、極めて冷酷かつ残忍な犯行というほかなく、そこに現れた人命を軽視する被告人の人格態度には戦慄を覚えざるを得ない。
 幼稚園に通園する途上で、送迎を担当していた被告人に、突然全身を多数回刺されて殺害された、被害児童らの驚愕、恐怖、肉体的、精神的苦痛、絶望感、無念さには想像を絶するものがあり、被害は極めて重大である。犯行が被害児童の両親ら遺族に与えた影響も甚大である。被害児童の両親らは、公判廷において悲痛な想いを訴え、異口同音に被告人に対する極刑を望むと、峻烈な処罰感情を述べている。
 しかるに被告からは見るべき慰謝の措置は採られておらず、遺族の感情は今もなお癒されてはいない。被告人は現在においても自己の犯罪の重大性を認識せず、自己の刑事責任の重さも理解していない(もっとも、被告人のこのような態度には統合失調症による妄想や人格変化も影響していることがうかがわれ、検察官が主張するように、これをもってただちに反省の情の欠如を示すものとまでは理解できない)。
 その一方で、本件犯行が統合失調症の影響により心神耗弱の状態において行われたものであること、前科前歴のないことなど、被告人のために考慮すべき事情も認められる。しかしこれらの事情を最大限に考慮してみても、犯行の悪質さ、被害の重大さ等に照らせば、被告人に対してはその終生をもって罪の償いをさせるべきものというほかはない。被告人を無期懲役に処するのが相当というべきである。

 最後にぼくの個人的な感想を。
 心神喪失者等医療観察法ができても、死刑(個人的には死刑制度には反対なのだが)になる可能性のあるような重大事件については、「普通に裁判で」という見せしめ的運用がなされているように思う。
 事件の加害者はクスリを飲んでいた時期もあるが、本人の病識が極めて乏しく、自分の病気から逃げており、クスリの重要性をまったく認識していなかった。もっぱら周りの人間も、クスリを飲むと家事ができなくなるというので、クスリを飲ませることには消極的だった。自分の病気という現実から逃げ続けた末に、犯行という現実に行き着いてしまったのかもしれない。もっと早く彼女が「自分は病気だ」と認め、クスリさえ飲んでいてくれていれば、と極めて残念に思う。
 強い精神的衝撃(犯行・逮捕)を受けると病状が落ち着くというのは、捕まったときに警察官に「自分は病気だ」と言ったことを説明できるもので、犯行当時は急性期だったのかもしれない。拘置されて、高用量の抗精神病薬を継続投与しても過鎮静は起こらなかったという記述は驚きだ。非常に頑固な緊張である。
 また、この犯行を間近で見ていた実の娘のトラウマはいかばかりのものであろうか。一方、被害者の方には理不尽だし、お気の毒だと思う。つらい事件である。
 これは被告人個別の事件であり、「だから統合失調症は怖い」という一般化は慎むべきだ。しかしマスコミで事件のイメージだけが伝わると、統合失調症に対する社会の目は一段と厳しくなるものと思われる。マスコミは詳しく事実を伝えてほしい。松山で精神障害者社会復帰施設建設反対運動が続いているけれど、これもイメージ報道の影響にあると思う。
 ぼく自身、息子がいるが、彼がまだ小さいころには、身の回りのトラブルが起こったときに怖いので、自宅はずっと作業所のメンバーにも基本的に秘密にしておいたことがある。


コメント


 統合失調症の人が殺人事件を犯す報道を聞くたびに、父がいうのですが、そういう人はもとから人格に問題があり、そういう人がたまたま統合失調症になって事件を起こすのでは、ということです。
 統合失調症になっていなかったとしても、殺人はともかくとして、何らかの問題を起こすのではと。珍しい病気ではないですし。本当に悲惨な事件が起きてしまって残念ですね。


投稿者: 金太郎の妻 | 2007年11月08日 14:56

 ぼくも、人に殺意を抱いたこと、1回や2回じゃないと思う。どうしても殺人事件の犯人と自分は地続きだと思ってしまうのです。残念ながら、あれは問題のある人の話だから自分とは関係ないとは、どうしても思えません。
 それと、世論が統合失調症の犯罪に厳しい目を向けるのは、心神喪失、心神耗弱で減刑されるからだと思います。責任能力というのは、理性があってのことだし、理性が飛んじゃっている状態(でも、理性が100%飛ぶことはないんじゃないかとは思うけど)で、責任取れるかというと、難しいんじゃないかと思います。


投稿者: 佐野 | 2007年11月09日 17:45

 長い文章ですね。もっと要点をまとめていただければわかりやすいのですが?
 病気と犯罪。ニュースになると、その点が大きく取り上げられますが。実際、病院とかデイケアで知りあった人で犯罪を犯してる人は、うーんいたかな? あまりいませんでしたよ。多くは悩みとか家族からの疎外感とか進路の話だったかな?
 人はだれしもいろんな顔を持っていますし、使い分けます。感情的にもなれば悪いこともするでしょう。
 佐野さん、あまりなんでもかんでもご自分に関連付けて考えられるのはしんどいですよ。
 いくら事件がおきてTVが騒ごうと、それは各マスメディアが競争してるのであって、新聞とかでゆっくり経緯を見守るくらいでいいのではないでしょうか?


投稿者: 朝太陽がまぶしい | 2007年11月16日 08:19

 世間の病者差別「病者怖い」というのは、ニュースの報道から来てると思います。病者はいままで、暴力の問題をだれも取り上げて来なかったように思います。自分的には重要なテーマだと思っています。


投稿者: 佐野 | 2007年11月16日 18:39

 そうですね。
 そういった報道で単純に、偏見や差別につながったりすることもおおいですよね。
 ここ数年制度も何かしら変わってきてるようで、よくわかりませんが。施設においても大きな変化の時期なのかな?
 ありがとうございました。


投稿者: 朝太陽がまぶしい | 2007年11月21日 16:16

重大事件を起こして起きながら、実は精神的な障害を負っていたから…と、その犯した罪を回避されるのは、明らかに可笑しい。その人間がどうて有ろうと、生い立ちがどうであろうが、家庭がどうかなんて被害者にとって何の関係もない問題である。事を起こして責任すらとれず、その重大責任を認識出来ないなら、一生病院に収容されていれば良いことで、無理して健常者と同等の権利を得よう等と言うな。


投稿者: 高岡 | 2012年07月22日 21:45

あの事件は谷口の病的精神状態の屈折が招いた不幸として終わってしまいたしたが、実際は日常的に起こっていた差別と言葉の暴力が原因でしょう。その為に、なんだ罪の無い子供に凶器が向けられ、一人は巻き添えにあってしまったのです。だからといって、殺人を犯す理由にはなりません。
日頃、容姿や言葉が不馴れな事を、まるで罪悪のよな尖った視線を浴びせ、子供の前ですら中国人が嫌いだとか、気持ち悪い女だとか…子供は悪気もなく真似てしまうのです。本当に殺したかったのは、その母親の方ではなかったのか、そう思います。


投稿者: 風見鶏 | 2012年07月26日 18:00

あの事件から既に7年が経とうとしておりますが、あの小さな身体に包丁を何度も突き刺され、恐怖と痛みを背負ったまま、息絶えた子供たちが不敏でなりません。世の中に犯罪は珍しくありません。今回の事件には様々な経緯がささやかれましたが、ハッキリ言える事は、この犯人が国籍の違いから不馴れな言葉の壁に阻まれていたとか、子育てに悩んでいた、或いは神経障害から発作的に強行に及んだと言われていました。しかし、日常的にこの谷口は中流以上の生活を与えられ、一戸建てで恵まれた環境で生活をしていた事は確かです。ただ単に日常的に自分の体型に似た、決して可愛いとは言えない娘の事で、当時はコンプレックスを抱いていたのです。何はともあれ、こんな女を日本へ連れてきた夫の責任です。飼い慣らせないならはじめから連れてくるな、こんな女を勝手に連れてきておいて、事件後はさっさと離婚して、俺は関係有りませんなどと、こんな男に社会人としても人間としても何ら価値などありません。こんな男に仕事を与えていた会社の質もさいていでしょう。


投稿者: 被害者側関係者 | 2013年01月25日 10:57

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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