他人事ではない、「ひきこもり」
昨年、内閣府が行った調査によると、ひきこもりの人は全国に推計70万人いるそうです。その半数近くを30代が占めており、学校での不登校よりも、就労、就職活動がきっかけの上位にきています。
ひきこもりは、その期間により生まれる履歴書の空白や社会経験の不足によって、さらに自立への道が阻まれ、社会への出口が狭くなるという悪循環になりがちです。そして、長期間に渡ることにより、最終的に懸念されるのは支えてくれる親亡き後のこと。
先日、放送されたNHK「クローズアップ現代」(2011年2月3日放送)では、「働くのがこわい 新たな“ひきこもり”」というタイトルで、ひきこもりの人や家族の心情、企業による彼らのバックアップ等のことを放送していました。私にもひきこもりの時期がありましたから、他人事とは言えない気持ちで番組を見ていました。
番組にはジャーナリストの池上正樹氏がゲスト出演されていましたが、その中で、「やはり親子だけではまず解決できないので、やはりここで第三者なり、外的なそういう刺激みたいなものが必要になってくると思うんですけれども。ただ、なかなかそういう家族が家の恥だという思いがあったりして、隠したがるんですよね。そうすると、声をあげない、本人も家族もなかなか声をあげない、あげられないという、そうすると、外から見ても、それが分からないということで、そういう状況がずっと続いていってしまうということだと思いますよね。」と述べていました。私もこれは、その通りだと思います。私も親が声をあげて、初めて、次のステージに結びつきました。
話は少し異なるかもしれませんが、今、人気沸騰中の芸人の楽しんごさんの生い立ちがTBS「金曜日のスマたちへ」(2011年2月4日放送)で紹介されていました。
彼が自分の女性的な性格に目覚めたのは中学校の頃だそうで、中学生時代には酷いいじめを受けていたのです。「気持ち悪いんだよ!」と因縁をつける者が出てきて、廊下で見つかるや殴る蹴るの暴力を受け、いつしか、クラスのみんなから「無視」という形で排除されそうになっていました。いじめはエスカレートし、脅しとも言える金銭の要求や、焼却炉で真っ赤に焼けた鉄パイプを胸に押し付けられて火傷を負わされ、今も生々しい傷痕を見せてくれました。
ここで肝心なのは、楽しんごさんは、「いじめを親にも先生にも話すことはなかった」ということです。その理由は、両親を信じていなかったわけだからではなく、愛する両親に心配させない為だったのです。楽しんごさんはメッセージとして、「いじめられたら絶対に言うべき、親に言うべきです」とおっしゃっていました。これは私も同感で、自分が辛ければ、親に心配をかけるかもしれないけれど、親に打ち明け、親が発信基地となり、子どもを守るために、先生に動いてもらうこと、第三者に助けてもらうことは、ひきこもりも同じように大事だと思います。
ただ一方で、なかなか本当のことを言えない気持ちもわかります。私も不登校になる前に、学校で「字が読めない、書けない」と言えませんでした。それまでの親の教育を否定するように思えたからです。だからこそ、言葉ではなくて、「家にこもる」「笑わなくなる」などの行動で示すことになったのです。もし、あの当時それを言葉で話せていたら、少し良い方向に未来は変わっていたかもしれません。一度、不登校、ひきこもりを経験すると、それから、元の学校や社会に戻るのはとても大変なことなんです。だからこそ、未然にどんな形でもいいので、防ぐ必要があると思います。
冒頭にも挙げた、内閣府の「若者の意識に関する調査(ひきこもりに関する調査)」の企画分析委員である、筑波大学大学院人間総合科学研究科教授、松井豊氏と日本学術振興会特別研究員・東京学芸大学、渡部麻美氏による調査のコメントに「ひきこもり群と同様にひきこもり親和群は、家族との情緒的な絆が弱いのである」とありました。 色々な原因があって、社会や学校が辛くなり、逃避というよりは、これ以上、傷が深くならないための回避行動として、ひきこもったりすることがあると思います。でも、一人で抱えてこんでいても、堂々巡りで、なかなか出口は見つかりづらいと思うのです。もちろん、社会問題として捉え、そういう人たちの居場所や就労支援をしていくことは大切です。でも、もっと、根本にある「家族との絆」を見直すことも同時にやっていかなければならないのではないでしょうか。その土台があることで、開かれていく道は必ずあるはずですから。
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