泣いて、笑って、息子でよかった
10月21日に新刊が出版されました。
約1年前に出版させて頂いた「僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~」(小菅宏・著)とは違い、今度は母親の眼で、私の小学校時代からの葛藤や2次障害が、赤裸々に書かれています。「親の心、子知らず」とは言いますが、この本によって、私自身も親の気持ち、兄妹の気持ちを初めて知った部分が多かったです。
ただ、この本は、南雲家の子育てが素晴らしかったという話ではありません。家族と私との共闘の記録です。発達障害があり、何もサポートがないと、ここまで荒れてしまう可能性があるからこそ、今、子どもたちにしなければいけないことがある、というメッセージなのです。
親は、どんな子どもであっても、心配し、将来のことを考えています。しかし、私自身は、自分を親の足手まといとしか感じておらず、この世に存在する意味がわからずにいました。兄や妹は、色々ありながらも、順調に成長しているのに、私だけ、停滞している。そんな焦りがたくさんあったのです。それでも、家族は自分たちに必死でできることを考え、身を削って行動してくれました。
もちろん、家族だけでは解決できないことも多々あるのは事実です。第3者の介入によって、バランスが取れることもあります。結局、家族だけだと、堂々巡りになってしまって、出口が見えなくなるのです。私の場合、その役割が以前にもご紹介した女性カウンセラーでした。その方がいらっしゃらなかったら、家族は破綻していたかもしれません。
その辺りのことも、この本から読み取っていただけると思います。
話は変わりますが、先日、カニングハム久子先生の講演会に参加してきました。その中でとても共感したのは、「親は、子どもの支援のプロでもあるので、積極的に前へ出て、同じような境遇にいる人たちへ、希望を与えるべき」と、おっしゃっていたことでした。
この本は、勇気や希望を与える本ではないかもしれません。でも、私たちの家族が転んだ体験、起き上がった体験が、これから子育てをして行く人たちにとっては、きっと参考にしていただけると思っています。
この講演会では、カニングハム先生の前に体験発表をした発達障害の子どもの親御さんが、ご自分を「ただの主婦」とおっしゃっていました。これは、謙虚で素敵な言い方ですが、そんなことはありません。
親は、いつでも子どものことを考え、悩み続けています。支援者も大事ですが、やはり親は子どもにとって、かけがえのない、唯一無二の存在なのです
だからこそ、どんどん、声を出していただきたい。その声は、悩み続けている親や子どもの光になります。そのきっかけとして、この本を制作しました。よろしければ、ご覧ください。
小菅さんの取材によって書かれた2冊の本によって、私の過去は語り尽くされたと言っても、大袈裟ではないと思います。ただ、ここまでは、いわば序章に過ぎません。これから、さらに真剣にディスレクシアの啓発を活発化させていく必要があると感じています。
コメント
はじめまして。
脳脊髄液減少症のゆめと申します。
以前テレビでディスレクシアの放送を見て、
かつて、脳脊髄液が漏れ漏れだったころの自分の症状とそっくりだと思っていました。
これについては、自分のブログでも書いていませんが、私は以前は文字や文章を読めない状態も経験しました。http://blog.goo.ne.jp/aino-yume75215/e/4415ca37b67d9fb61f65584714c55b6b
私は一度健康な人間として成長し、事故でそうなったため、自分の読字障害と事故後遺症との因果関係に気づけたのですが、
もしごく幼いうちに、脳脊髄液が漏れてしまうような事態になってしまった人がいたなら、周囲の大人が脳脊髄液減少症の可能性に気づけなければ、治療で治る障害が気づかれないまま、生まれつきの障害とされてしまう危険性も感じました。
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