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南雲明彦の「発達障害と生きるということ ~当事者からのメッセージ~」

「当事者」って、なんだろう

 よく、他の人が私の紹介をする時に「ディスレクシア当事者の南雲明彦さん」という言葉を使用されます。講演チラシなどにも、「南雲明彦(ディスレクシア当事者)」という表記をされます。間違いではないので、それ自体は全く気になりません。

 しかし、私が自己紹介をするときに、「ディスレクシア当事者です」と言うのかどうか? というと、そういったことはほぼありません。特に意識して使用しないわけではないのですが、ごく自然に「名前」、「所属」、「出身地」、「年齢」等が先に来ます。その後に、「ディスレクシア」と、お伝えします。「当事者」とは、自分では言いません。

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 私は、以前から、「当事者」という言葉に違和感を覚えてきました。これは、他の障害にも言えることです。「精神障害」、「自閉症」、「認知症」など、それぞれの「当事者」がいらっしゃいます。もちろん、その症状や状況を知っている人に伝えるときには、最適な言葉だと思います。

 ただし、何も知らない人に、0から自分の事を伝えるときに、私の場合であれば、「ディスレクシアです」と伝えることは、まず、できません。そして、「当事者」という言葉もさらに使えません。まだまだ、偏見の目で見られるからです。そして、そのように伝えても、「?」と相手の人は困惑してしまいます。

 私は、全く関係のない職業の人に『「発達障害」を知っていますか?』と聞くことがあります。ほとんどの場合が、「テレビ、映画、新聞で、観たことや聞いたことはある」とおっしゃいます。これは、啓発活動をしてきた、皆さんの成果だと思っています。ただ、「発達障害」という言葉だけを知っているだけだと、解釈がばらばらになり、「発達障害当事者」という言葉は、伝えやすい言葉であるのに、使いにくい言葉になってしまいます。

 これは職業にも言えます。教育、福祉に携わっているというだけで、「大変な仕事」と決めつけられてしまうことはないでしょうか。もちろん、これも事実だと思います。しかし、すぐに仕事の内容、全てを決めつけられてしまうことに、違和感はありませんでしょうか。

 この「違和感」は、もち続けた方がいいのではないか? と私は思います。

 そして、障害名を付けること、当事者と言われることを否定しているわけではなくて、当事者と言われる側がその括りに囚われてしまってはいないか? ということです。逆にそれを伝えただけで、満足していては逆に危険だと思います。想像以上に、理解はしてもらっていません。また、「当事者だから、理解して!」と思いすぎると、依存につながってしまう。これは障害も価値観も国籍も、関係なく言えることです。

 「他の人に自分の人生の一部は理解できても、全ては自分にしかわからない」という前提で、考えると、少し気が楽になる気がしています。これは諦めではなく、現実を見つめた上で、先へ進むためのプロセスなのです。
 そして、障害を知る前にその個人を知り、「当事者」という言葉が先に来るんじゃなくて、世界でただ一人しかいない、その人の「名前」が堂々と先に来る時代が来たらいいなって思います。

 障害をもっている人は、障害当事者ではあるけれど、同時に、その人の人生の当事者であり、専門家であることも忘れてはならないんだと思います。


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プロフィール
南雲 明彦
(なぐも あきひこ)
アットマーク明蓬館高校
共育コーディネーター
1984年生まれ。21歳の時に自身が発達障害の一つである「ディスレクシア(読み書き困難)」であることを知る。その後、「ディスレクシア」の存在が世の中に知られていないことから、啓発、支援活動に尽力中。
著書に『僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~』(小菅宏著/集英社)、『私たち、発達障害と生きてます~出会い、そして再生へ~』(共著/ぶどう社)がある。
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