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南雲明彦の「発達障害と生きるということ ~当事者からのメッセージ~」

障害を潔く「認めた」うえで、「諦めない」こと

 最近、障害の診断を受けて、そのしきりに主張される人と会うことがあります。私は、障害をもっていること自体は、事実ではあるけれど、プラスでもマイナスでもないと思っています。もちろん、それを全面的に主張することも大切なのですが、それを理解して頂ける方をどれだけ増やすことができるのか? ということを考えていきたいと思うのです。

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 診断名は、人それぞれです。何個も診断名をもっている人もいらっしゃいます。私は二次障害を起こしたときに、様々な病院を転々とし、「うつ病」「躁うつ病」「パニック障害」「強迫性障害」など、色々な名前がつきました。しかし、忘れてはならないのは、その名前は、自分の名前ではないということです。もちろん、診断名がつくことは、今後のためには良いことも多いです。人に伝えやすいですし、対処方法も明確になってきます。ただし、その症状は一部分であって、その人の全てではありません。だからこそ、人格まで診断名で定めることはできません。

 ここで言いたいことは、その診断名を都合の良い時だけ、出して、逃げ道を作っているのではないか? ということです。
 私も一時期、そんな時期がありました。「学習障害だから、読み書きができないのが当たり前」と、読み書きの全てを諦めてしまっていました。

 障害をもっていることで、悔しいですが、できないことがあるのは事実です。これは、潔く、認めなければなりません。しかし、どんな人間であっても、日々、発達し続けています。人によって、そのスピードは違いますが、確実に発達しています。だから、何事にも諦めてほしくありませんし、その精神も育てていかないと、障害があることで、その人の全ての未来への可能性を失くしてしまうことにもなりかねません。
 自分自身も、周りの人たちも、「障害をもっているから、これはできない」と、知らず知らずのうちに枠を作って、そこから抜け出せない状態になっていないでしょうか。

 しかし、一度支援者の手を離れ、街に出れば、すぐに自分の事を理解してくる人は、なかなかいません。

 私は、今年の2月に腰骨を折り、全治半年の怪我を負いましたが、腰のコルセットがなくなり、杖がなくなれば、怪我をしていることなど、周囲の人にはわかりません。そんな時に、電車の中で倒れそうなくらい腰に激痛が走り、「席を譲って頂けないでしょうか」と、目の前の席に座っていらっしゃる人にお願いをしたことがありました。しかし、答えは、「最近の子は、すぐに座りたがる。なんて、わがままなんだ」と一喝されました。私は、「しかし、腰を最近負傷して、杖がなくなったばかりなのです」と説明しましたが、「そんな言い訳、聞きたくない」と言われ、私は本当に痛みが激しかったので、その場に倒れてしまいました。これが現実なのではないでしょうか。その方が悪いわけではなくて、すぐに理解を求めるのは、やはり難しいことなのです。

 これは、決して諦めではありません。障害の診断を受けることと同じように、「現状を知る」ということです。その上で、「どうしたらいいんだろう?」と、前向きに打開策を考えていくことが、大切なんだと思います。


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プロフィール
南雲 明彦
(なぐも あきひこ)
アットマーク明蓬館高校
共育コーディネーター
1984年生まれ。21歳の時に自身が発達障害の一つである「ディスレクシア(読み書き困難)」であることを知る。その後、「ディスレクシア」の存在が世の中に知られていないことから、啓発、支援活動に尽力中。
著書に『僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~』(小菅宏著/集英社)、『私たち、発達障害と生きてます~出会い、そして再生へ~』(共著/ぶどう社)がある。
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