啓発活動への決意
「ディスレクシア当事者」として話をしてほしいという依頼を頂いたのが、ちょうど3年半前。私は自分の中に何か明確に伝えたい事をもっていたわけではなく、その場では、母校であるアットマーク国際高校の「学習コーチング」を取り入れた学習法が自分自身に適合して、長所を活かすことができたというようなお話をさせていただきました。
その後、この講演を聞いた埼玉新聞の記者の方から、「特別支援教育の連載を始めるのだけれど、南雲君は、顔と名前は出せますか?」と声をかけられました。私は当然「はい」とお返事し、実際に私の実名と写真入りで、記事が掲載されました。
このとき、じつは私は「どうして、そんな当たり前のことを聞くのだろうか?」と疑問に思ったのです。しかし、その答えはすぐにわかりました。今では、少しずつ変わってきているのかもしれませんが、新聞やテレビなど、不特定多数の人が見る媒体において、障害のある人が「実名・顔出し」するというのはリスクが高いということでした。メディアに登場することで「いじめや差別の原因になる」かも知れません。また、当事者の多くが「周囲にカミングアウトしていない」ことも「実名・顔出し」できない大きな要因でした。この一件で、そうした現実をはじめて知り、障害が原因で当たり前のことができないことに、落胆しました。
しかし、同時に「カミングアウトしても平気な世の中にするための突破口を開く」という目標ができました。そこで、講演活動を始めることに決めたのです。しかし、当然、どこの誰かもわからない人間を、講演会の講師として招いてくれるところなどありません。 私は、まず「発達障害」というキーワードで、パソコン上から、あらゆる団体をリサーチして、コンタクトを取りました。すると、ごくわずかですが「場所は提供するけれど、講師料は交通費分くらいしか支給できないよ」と言ってくださる団体がありました。場所を提供していただけるだけでも、こんなにありがたいことはありません。そうして、平日はアットマーク国際高校で学習支援室助手として働き、週末は高速バスで、関東、関西方面を中心に講演に飛び回るという生活が始まりました。
この時、私は高校卒業をして間もない上に、社会での経験もほとんどない。その中で、「自分の強みとは何だろう?」と考えていました。先程申し上げた「埼玉新聞」に掲載されたことや、NHKの「ハートをつなごう」という番組に出演したこともアピールしながら、必死で講演活動を続けていくうち、新聞社からの取材依頼や出版社から執筆依頼なども来るようになりました。
ベストセラーとなっている、村上春樹さんの長編小説「1Q84」にディスレクシアの女性が登場したこともあって、この障害が以前より社会に注目されるようになったと感じてはいます。しかし、読者の方は、小説を読みたいのであって、ディスレクシアに興味があるのではありません。認知度が上がるのは良いことですが、そういったことをきちんとわきまえた上で、浮き足立たぬように、慎重に活動していく必要性を感じています。
錯覚を起こしてしまいがちですが、同じような価値観や状況の人といつも一緒にいると、「ディスレクシア」は、既に世の中に知れ渡っているという勘違いをしてしまいます。しかし、まだまだ、知られていないのが現実です。
もっともっと、世の中を変えていかなければなりません。「発達障害」をもつ人達が、不当な扱いを受けないために。
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