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南雲明彦の「発達障害と生きるということ ~当事者からのメッセージ~」

ある女性カウンセラーとの出会い

 前回の続きです。
 結局、アルバイト生活はうまくいかず、今度は荒れた日々を送ることになりました。週の半分は引きこもり、半分は知らない土地を渡り歩くヤドカリ生活。まだ10代でしたが。アルコール漬けの毎日でした。良くないことだということを承知の上で、お伝えしています。当時は現実から逃げることしか、思いつかなかったんですよね。なんとも、情けない話です。
 よく「南雲さんだから、立ち直ることができた。自分の子どもは違う」などと言われます。ですが、私も散々、逃げ回ってきたのです。そして、自分の力だけでは、その状況を打破することはできませんでした。

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 ある日、どうしようもない私を見かねた母親の同僚から紹介され、東京のカウンセラーの方が訪問してくれました。うつろな目で煙草を吸い、手を洗い続けている私。誰がどう見ても、「精神状態が良くない」というのは明らかでした。しかし、そんな私と出会って数時間も経たない内に、そのカウンセラーはなんと「この子は私が引き取る」と宣言してくれたのです。その時にうけた衝撃を今でも覚えています。

 自暴自棄になっていた私でしたが、この人の言葉に賭けてみようと思いました。なぜなら、それまで「今は休む時期なんだよ」「焦らないで」などと、優しい言葉はかけてくれる人はたくさんいましたが、このカウンセラーのように私の未来に「希望」を差し込んでくれる人はいなかったのです。

 それから、カウンセラーの家の近くにアパートを借り生活を始めました。毎日、カウンセラーは顔を出してくれました。そして、「居食住は私が毎日来て保障する。しかし、あなたの未来はあなたで切り開くのよ。あなたの気持ちはあなたしかわからない。この時期にあなたの言葉で、あなたの気持ちやできること、できないこと、それを伝えるにはどうしたらいいか、考えよう。そうすれば、2、3年後、「こんな、時期もあったなぁ」って、笑って暮らしていることができるからね」と繰り返し伝えてくれました。

 カウンセラーとして、何か特別なことをしたわけではないと思います。ただ、この方は、私がずっと「みんなとは何かが違う」ということを考え続け、工夫してきたことを瞬時に汲み取ったのです。それを「人生」に置き換えて、工夫すれば絶対に自分でこの状況を乗り越えられる、と考えてくれたのです。これは、まさにその通りになりました。そして、自分のことが伝えられるようになってきたときに、「ディスレクシア」という言葉に出会ったのです。

 「見守っている」と「何もしてあげない」は似ているようで、全然違います。教育、福祉の現場では、どうしても「何かしてあげなければ」と考えることが多いかもしれません。でも、たまには、このカウンセラーのようにその人の内面に合わせて、「見守ってあげること」も忘れてはならないことなんだと思います。


コメント


 みまもる…は…まさにジェントラルティーチングですよね…何かをしなくても 本人を理解してみまもることも大事だと思います。現場にいるとそう思います。


投稿者: まなまなまな | 2010年05月20日 01:04

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プロフィール
南雲 明彦
(なぐも あきひこ)
アットマーク明蓬館高校
共育コーディネーター
1984年生まれ。21歳の時に自身が発達障害の一つである「ディスレクシア(読み書き困難)」であることを知る。その後、「ディスレクシア」の存在が世の中に知られていないことから、啓発、支援活動に尽力中。
著書に『僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~』(小菅宏著/集英社)、『私たち、発達障害と生きてます~出会い、そして再生へ~』(共著/ぶどう社)がある。
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