アルバイトでの葛藤
18歳の時に3校目の東京の通信制サポート校に通いながら、アルバイトをしていた事があります。その頃は、人と視線を合わせることができず、話すのも苦手でした。そんな中、少しでも社会との接点をもとうと、印刷工場でのアルバイトを始めました。
人とあまり関わらなくても良いという理由で、「工場」を選び、しかも、ディスレクシアという特性には合わない「印刷ミスのチェック」をする部門に行きました。文字が歪んだり、滲んだりして見えているのに、その印刷ミスを見つけることは困難にも関わらず。
何度も印刷ミスを見逃してしまい、上司からは、毎日のように怒号を浴びました。今から思えば、自分の特性に合わせた適切な仕事を把握しておくべきだったのだと思います。
そして、作業前の朝礼では「マニュアル」の読み合わせがありました。まだ、読むのが遅いくらいであれば、許されるかもしれません。しかし、同じ行を何度も読んだり、行を読み飛ばしたりする人はいませんでした。それが続くことにより、他の従業員からバカにされることは日常茶飯事でした。
さらに「聴覚過敏」により、機械の音が鳴り響いている工場内で、声が聞き取れませんでした。指示されたことが全然わからないのです。「仕事ができない」というよりは、「仕事をする気がない」と思われていて、「目障りだから、早くこの職場を出て行ってほしい」ということは、何度も言われました。
でも、負けたくなかったので、「なんとしても、この職場で仕事を続けたい」そんな思いから、上司に要望を出しました。
1.マニュアルを拡大するか、データでもらい、パソコンで確認させてほしい
2.メモを取るときに、携帯電話の使用を許可してほしい
3.指示は、なるべく、静かな場所でしてほしい
しかし、受け入れてもらえることはなく、「新人のくせにわがままだ」と余計、悪循環を生んでしまい、その職場にはいられなくなりました。
このように自分から、配慮を申し立てるとリスクが高すぎると感じています。だからこそ、第三者の介入等を通じて、あるいは、面接の段階で、「ディスレクシア」を告知しても大丈夫な社会を作っていく必要があります。
仕事である以上、しっかりと与えられた仕事をこなす必要があります、だからこそ、「理解」と「手助け」があって、初めて、スタートラインに立てるのです。しかし、そのスタートラインにも立てなければ、その人の人生は大きく狂うことになります。
そんなことは、絶対にあってはいけない。私は、そう思います。
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