強迫性障害と自傷行為の日々。
学校での「学びづらさ」「生きづらさ」があり、高校2年生の秋に不登校になりました。それから、「うつ病」という診断を受け、精神病院にも1ヶ月ほど、入院もしました。その時に「どうして、自分は本が読めないんだ!」と泣き叫んでいたことを、今でも忘れていません。しかし、いくら叫んでも、自分も周りの人も「ディスレクシア」のことを知らず、気づかず、改善策を見いだせずにいました。
前にも書きましたが、その時医師から「それだけ、話せるのであれば問題ない。君は、受験から逃げたいだけだ。その現実を受け止める必要がある」と言われてしまい、親が運転する車の中から、飛び降りたこともあります。いわゆる、自殺未遂です。
当時(2002年頃)は、「うつ病」という言葉自体もまだまだ浸透しておらず、周りの人にこの症状を伝えると、その人達に非があったわけではありませんが、その症状が理解できず、接し方がわからず、次第に疎遠になった人達が沢山いました。「病名」を伝えることで、疎遠になる人がいる。これは、「発達障害」にも同様のことが言えます。
そこで、「環境を変えれば、なんとかなるだろう」と思い、最初の全日制高校から、定時制高校に転入しました。しかし、すでに二次障害が始まっており、人と視線を合わせることもできず、電車に乗って、通学することが困難な状況でした。また、学校でも、「ディスレクシア」のことは知られておらず、むしろ、進学校から転入してきたことから、まさか「読み書き」がうまくできないなんて思われておらず、周囲から冷ややかな目で見られたこともありました。
そして、また、3ヶ月足らずで、不登校になります。それから、「強迫性障害」による、手洗い、確認行為が始まりました。一日平均して、4時間は手を洗っていたと思います。さらに部屋の壁を殴り壊し続けました。拳は血だらけになり、いつも腫れ上がっていた状態でした。腕に煙草を押しつけるということもしました。いまでも痕が残っています。「“普通”に勉強したいし、“普通”に学校に行きたい」と願いながら、このような状況では、家から出ることすらできませんでした。
3月24日のブログ「二次障害という悲劇」にも同様のことは書いてありますが、今回は、もっと深くて、混沌とした状況を書いています。読むのも辛くなる方もいるかもしれませんが、これが本人達の現実です。
「たかが、読み書き。されど、読み書き」なのです。たった1つできないことがあるだけで、その人の人生を壊してしまうこともある。「早期発見、早期対応」が叫ばれている理由はここにあります。
コメント
本人の苦しみ、解ります。
「小さな出来ない」が自分を壊してしまったのですね。辛かったですね、苦しかったですね。
現在は、自分のことを、どのように思っていますか?
お返事が遅くなり、申し訳ありません。
現在、自分の自己肯定感は、正直なことを言うと、そんなに高くないと思います。しかし、低くもありません。
この経験があったからこそ、今の自分があるので、「後悔」はしていません。(こう思えるようになったのは、自分を信じてくれる人や助けてくれる人が沢山いたからこそです。)
ただ、これからの未来を生きる人達には、違うステージで悩んでほしいと思っています。
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