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南雲明彦の「発達障害と生きるということ ~当事者からのメッセージ~」

「常にニコニコしている子」の裏の理由

 皆さんは、「いつも、ニコニコしている子ども」がいたとして、どのように感じるでしょうか? 一見すると、悩みが少ない、明るい子のように感じるのが普通です。もちろん、心の底からにじみ出てくる笑顔であれば、何の問題もありません。しかし、その笑顔が「自己防衛行動」であったなら、どうでしょうか? 私は、まさにこの「ニコニコしている子ども」であったと思います。

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 「ディスレクシア」が理解されなかったことによって、私はほかの子ども以上に指導や注意をうけました。大人にとって私は、何度言っても、“言うことを聞けない”ではなく、“言うことを聞かない”扱いづらい子どもだったに違いありません。

 発達障害の中でも、特に「学習障害」はわかりづらい面があります。「アスペルガー症候群」の場合、周囲とのコミュニケーションにトラブルが生じ、“問題”へと発展し、敬遠されてしまいがちです。さらに「AD/HD」は、落ち着きのなさから、離席をしてしまうなど、これも周囲とのコミュニケーションにトラブルが生じ、“問題視”されます。つまり、「他の人と違う行動をする」と、「厄介な子ども」という烙印を押され、叱責回数が増え、自己肯定感の低下が懸念されます。

 それに比べると「学習障害」は、普段の行動では全く普通ということが多いため、見つかりづらいのです。ただし、それは見つけづらいだけであって、「辛さが軽い」というわけではないことを忘れないでください。私の当時の状況は、3月17日の「私の生い立ち」に書かせて頂きましたが、学校生活は勉強だけではありません。

 今までの話で、「学習障害の子どもは、班単位などの集団行動には問題ない」と思われた方が多いと思います。しかし、これは「盲点」と言ってもいいかもしれませんが、集団で「ポスター作り」や「話し合ったことをノートに書く」という場面は授業の中に必ずあります。それが出来ないと、最初は許されるかもしれませんが、周りの子どもも次第に不満をもつようになり、トラブルが生じる可能性が高いのです。

 そんな時、学習障害の子どもの多くは、とくに意見も出さず「ニコニコ」しているでしょう。そうすれば、作業はほかの子どもたちによって勝手に進み、その場を乗り切ることができます。子どもながらの知恵です。しかし、正確には、それしか、その場を乗り切る術がないのです。こんな風に学校や教室に留まるために、様々な不安を抱え、必死で知恵を振り絞っていることを知っていていただきたいと思います。

 表面上だけでなく、「根底に潜むものは何なのだろうか?」という視点をもつことで、「その子の本当に苦しいもの」を見つけてあげることができる可能性は高い。そんな大人を望んでいる子どもは、案外、多いのかもしれません。



コメント


 こんにちは。今日はお聞きしたい事があってメールしました。
 私の11歳になる息子はひらがな、カタカナを読んだり、書いたりするのがあまり得意ではありません。(「得意」ということばはあってないかな?)
 教科書をよむとき、漢字のよみがわからないのと同じようにつっかえることがあります。全く読めないわけではないのですが、春から6年生になって心配です。漢字は、書けるものもあります。
 南雲さんはどうやって自分が障害をもっていると知ったのですか?


投稿者: えみママ | 2010年04月14日 17:12

えみママさんへ

初めまして。息子さんの事をお話しいただき、ありがとうございます。

私の場合、特殊なケースなのかもしれませんが、3月17日のブログ「私の生い立ち」にも書かせて頂きましたが、あるNPO団体で、「ディスレクシア」を知ったのが、最初のきっかけでした。

ですので、それまでは、「なんで?」「どうして?」ということばかりが頭をよぎり、この先どうすればいいのかと、いつも考えていました。

もし、もっと前に「ディスレクシア」という言葉や状態のことを知っていたら、違った人生があったのかもしれません。

しかし、「読み書き」が苦手な人は、ディスレクシアの人に限らず、いらっしゃいます。

そこでその判断基準として、やはり、検査や医師の診断が必要不可欠になります。そこだけは、ご注意ください。


投稿者: 南雲 明彦 | 2010年04月15日 12:43

 本当にためになります。一生懸命、幼少時代から周囲に気を使いながら、お一人でよく頑張ってこられたんだと涙が出ます。私が顔晴れるのも南雲さんのおかげです。ありがとうございます。


投稿者: cobacchi | 2010年04月16日 17:51

 コメントへの丁寧な返信、ありがとうございます。
 おかげ様で、アスペの娘は高校に入学し、生活のリズムを取り戻した為、情緒不安定な日々を少しずつ脱してきつつあります。
中学校の担任からも、私と共に、新しい担任や学校側に対して、前もって娘の事を説明して頂き、受け入れ態勢を整えて頂いたおかげで、スムーズな環境変化への対応が出来ました。
 やはり、支援は親だけではできませんね。
 たくさんの方々から見守り育てて頂く事の大切さ、有難さを実感しています。
 南雲さんも、入院されて大変でしたね。
 どうぞお身体を大切になさって下さいね。


投稿者: ぷるっち | 2010年04月17日 17:05

 大変力を欲しい時この様なブログと巡り合うのは幸せです。
 悶々と悩みパソコンとも思い付かず過ぎ去り何も思い付かず可愛そうな人もいる沢山のアスベのお方や私の様な何をこれからしたらいいのかわからない者や…悩みはつきませんが目が見える幸せ、音が聞こえる幸せ、そしてささいな四肢健常が幸せ、喧嘩できる幸せ…人はどうしてそれ以上を望み不満を言うのでしょうかね。


投稿者: 匿名  | 2010年04月19日 23:04

皆さんへ

コメントをいただき、ありがとうございます。

ぷるっちさんがおっしゃるように沢山の人に支えてもらえる環境整備というのは、とても大切だと感じています。リレーでもバトンはどこかで途切れたら、ゴールすることができません。

そして、どんな状況でも「不平不満」からは、「希望」は生まれません。これを言うのであれば、無理をしてでも、その想いを転換していくことが、突破口を見いだせる”きっかけ”になります。

ただ、やはり、その為には、人の力が必要で、それに対して、「ありがとう」と思える心を養うことも、同時に大切にしてほしいなって思うのです。

「支援」=「当たり前」。そういう体制ができたら良いですが、それに対して、決して傲慢にならず、謙虚な心でいることができたら、「支援者」と呼ばれない人でも、思わず手を差し伸べたくなる人に成長するかと思います。


投稿者: 南雲 明彦 | 2010年04月20日 13:53

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
南雲 明彦
(なぐも あきひこ)
アットマーク明蓬館高校
共育コーディネーター
1984年生まれ。21歳の時に自身が発達障害の一つである「ディスレクシア(読み書き困難)」であることを知る。その後、「ディスレクシア」の存在が世の中に知られていないことから、啓発、支援活動に尽力中。
著書に『僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~』(小菅宏著/集英社)、『私たち、発達障害と生きてます~出会い、そして再生へ~』(共著/ぶどう社)がある。
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