魂を込めた社会資源たち
数年前より幾人かの成年後見を担当している私は、成年後見活動をしている中で、とても心強く感じることがあります。それは、理解ある人たちの支えです。
成年後見活動ばかりではありませんが、生活支援をしていく上で必要なことが専門職や制度などの社会資源です。例えば在宅生活の見守りをしていく中で、定期的に訪れるヘルパーの何気ない心配りの中で、近隣の理解者をさり気なく促し、プライバシーに気をつけながら生活支援をしてくれること。またある時は、施設サービス利用が必要な状況になったとき、制度を上手に活用して利用料金を減額するばかりではなく、施設を利用しやすくするために、環境の雰囲気をすぐに調整し、受け入れてくれる施設職員などです。
誰もが、当事者の生活背景から察してくれた「その人らしさ」に配慮しながら支援してくれます。「当たり前じゃない!」と思う人もいるでしょうが、その「当たり前」を常に維持し、さらには発展させていく取り組みを積極的にしてくれるということが、どれだけ大変なことでしょうか。
昨今では、知識や技術をもつ有資格者が次々に生み出されています。けれども、その知識や技術に魂を込めて、活きた支援をしていくための手段として活用していくことが大切でしょう。つまり、誰のために必要なサービスなのか、誰にとって安心できるサービスなのかということを考え、その目的にあった知識や方法を提供してくれる専門職の存在は貴重です。ただ、社会資源である専門職は、知識や技術を使用する目的を押さえずに偏った思い込みで乱用してはなりません。
成年後見活動は、生活全体にわたってサポートをしていくことです。端的にいえば「衣食住」を踏まえた、生活(いき)ること支援です。「成年後見」はどうしても、財産管理という極端なイメージがあり、「お金を管理して生活を支援する」だけを強くイメージする人もいます。しかし、金銭は生活していく上で必要なことでありますが、あくまでも生活(いき)るための「手段」です。
認知症などになり意思判断が難しくなったとしても、当事者の好みや生きざまから築き上げてきた「思い」を察していく必要があります。そして生活背景を見ていく中で、もし本人だったらどうしていきたいのかということを察しつつ、より良い生活をサポートし、その人らしく活きて、その人らしく逝くことを手伝わせてもらうことが、後見人の仕事だと思うのです。
来週、ある方の成年後見の会議がもたれます。参加者たちはひとえに、被後見人のより良い生活を維持、実現していくためにどうしたらよいかと親身になって考えてくれる人たちです。この心ある理解者たちの魂のこもった連携に感謝しつつ、私も後見人としてその役割に、魂を込めてかかわっていきたいと思います。
※成年後見制度は、2000年4月からはじまった権利擁護などをしていくための制度で、仮に判断能力が不十分になった人に対して、家庭裁判所の審判により後見人(保佐人・補助人)が決定され、その人の生活支援や財産管理をサポートしていく制度です。
成年後見制度紹介法務省民事局
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