雪がとけたら…
毎年この季節になると、春先に見られる雪解けについて、私たちの集会所に集う方々に質問したことを想い出します。その時の皆さんは、いつもながら穏やかに応えてくれました。そこから醸し出す雰囲気には、一人ひとりの思いがあふれ、「世界でたった一人の個性」が見られたのです。
その時、聴いたことを一つの詩にまとめてみたのが「雪がとけたら」です。今では集う皆さんの顔ぶれも多少変わってきましたが、当時話した光景は、私の脳裏に焼き付き、今でも活き活きと走馬燈のように蘇ってきます。
『雪がとけたら』
「雪がとけると、何になる?」という問いにある人は、
「水でしょ…」と答える。
同じ問いに
「雪がとけると、春になるね…」と答える人もいる。
そしてある人は、
「父ちゃんが帰ってくる。子どもらも首を長くして待っているよ」と答えた。
彼女の夫はすでにこの世にはいない。
それでも、雪国で子育てをしながら家庭を守ってきた彼女にとっては、
もうじき頼りの夫が出稼ぎから帰ってくる安心の季節。
答えは一つではない。事実か否かがすべてでもない。
彼女の言葉には、
妻として、母として生活(いき)てきた頃の思いがあふれている。
そして、今日も夫や子どもとともに、彼女は生きている。
言葉の背景にあるものを察してみてください。
感じることができるでしょう。
相手の思いを。
見えてくるでしょう。
相手の生活(いき)る姿が。
伝わってくるでしょう。
世界にただ一人の、その人らしさが。
(『必察!認知症ケア思いを察することからはじまる生活ること支援』より)
「父ちゃんが帰ってくる。子どもらも首を長くして待っているよ」と活き活きと答えてくれた静さん(仮名)。
東北の雪深い村で生まれ育った静さんは、幼い頃に母をなくし、兄妹たちの母親がわりとなって働き続けてきたそうです。家族への愛情深い方で、一年のうちで雪のない季節には、ひたすら畑仕事をしながら家族のために働き続け、寒い冬は5人の子ども達を一人で守りながら、夫の帰りをじっと待っていたのでしょう。
「母親のごつごつして荒れた手をみると子供心にせつなかったけど、有り難かったな」
「冬になると父親はいないし、母親も大変だったろうけど、雪が降ると母親が家にいてくれることが多かったから、子どもの頃はそれがうれしかったんです」
と話してくれた息子さんの言葉からも、静さんの人柄が伝わってきました。子ども達が独立した後もしばらくは一人暮らしをしていた静さん。
やがて雪国での一人暮らしは困難になり、息子さんの住む土地に移り住みました。「雪さ降らないから、ここはいいな」と話しながらも、どこか寂しそうな目をされていたのを想い出します。そんな静さんは、年が明けて間もなく、春を待たずに永眠されました。首を長くして待っていたご主人の側で、息子さん達のことを報告されていることでしょう。
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