俺だって、生きているんだよ
「お父さんは、兄弟を食べさせるために学校を諦めて必死に働いてきたと聞いています」
そう話はじめたのは、純夫さん(仮名)の介護者である奥さんでした。純夫さんの生まれた時代は、兄弟が多いのは珍しくありません。長男として生まれた純夫さんは、特殊な技術者として大型機械のメンテナンスをされてきました。勤勉実直ゆえに、会社の皆さんからの信頼も厚く、頼りにされていたとのこと。
ただ、運動は苦手だったようです。会社の草野球で、どうしてもメンバーが足りなくてお願いされると、断り切れずに参加したようですが、「本当は本でも読んでゆっくり過ごしていたいんだよな」とよく話していたといいます。
奥さんは「この人は、決して私を怒鳴ったりしたことはなく、穏やかに寄り添ってくれた人なんです」「私にも気を遣ってくれて、口癖のように、無理するな、身体を大事にしてくれよなんて言ってくれていたのに。何でこの人がこんな病気になったのか」と、表情を曇らしながら話てくれました。
退職後まもなく多発性脳梗塞を起こした純夫さんは、その時に受けたダメージにより認知症を発症。私が純夫さんに出会ったときには、見当識障害や失認、失行が激しく、言葉も思うように出てこない状態でした。
入浴、排泄、食事という日常行為は常に介助が必要になっており、タイミングが合わないと動作を始められません。そんな純夫さんと毎日向かい合いながら介護をされてきた奥さんの話から、決して私たちには分からない、2人の苦悩の介護生活が察しられました。
奥さんが言うように、もともと穏やかで、周りの人に気配りのできる人であった純夫さんは、何か混乱した言動をした後にも、必ず相手に向かって「ごめんね」「すみませんね」と謝まるのです。先日、私の腕を力強くぎゅっと、しぼるような行為をされました。私の腕を、かつて使っていた何かの道具か部品と勘違いされていたのかもしれません。その時私は、ぎゅっとにぎられた腕の痛みではなく、純夫さんが小さく苦しそうに言われた言葉に、胸がしめつけられるような思いを感じました。
それは「俺だって、生きているんだ」という言葉でした。そして次の瞬間、ふと我に返ったように「ご、ごめんなさいね」と私を気遣ってくれた純夫さん。どれほど不安で、どれほど苦しいか…。それでも、周りを気遣うことのできる純夫さんの人としての深い生き方に、心から敬意を表わさずにはいられませんでした。
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