あなたに逢えて本当によかった…
以前ブログで紹介したKさんが、昨年末に亡くなりました(10/29、11/6、11/12のブログをご覧ください)。
90歳をすぎ、およそ30年近く一人で必死に生きてきたKさん。4年前、町の保健師の紹介でKさんと出会い、任意後見人である弁護士との連携のもと、ソーシャルワーカーとして、Kさんの心情的なサポートをさせてもらいました。
「一人でできるうちは、自分で何とかしていきたい」と、自宅での生活を望んだKさん。「もしも私がいろいろとできなくなってきたときは、よろしくお願いしたい」という思いもうかがっていました。
「元気なうちに、自分が永眠する場所を自分の目で確かめ決めておきたい」という希望で、お寺を探し、ともに何度か訪れることもしていました。Kさんは、お寺から見える桜の花や青々した田んぼの景色をとても気に入っていました。
やがて、Kさんの認知症の症状は進み、自分の家のゴミをあたりかまわず捨ててしまったり、「電気が使えなくなった」と言っては、電気屋に何度も電話をかけて呼び出すなど、生活に大きな支障をきたすようになっていきました。
混乱の中で、夜遅く「あの~っ。永島徹さんのお宅でしょうか?……。実は私、○△□※★でしてね。それで……」と、うまく言葉で伝えることのできない思いを必死で伝えようと電話をかけてきてくれたこともありました。心配で次の日伺うと、「どちら様ですか?」という反応。言葉でKさんと思いを確認しあうことが難しくなった現実を知り、果たしてこれからどうやってKさんの思いに応えていくことができるのか…大きな不安を感じました。
一人暮らしで認知症をもつKさんが、自宅で生活し続けるのは容易なことではありません。私も、このままの状態を続けていくことがKさんの思いを尊重することになるのか…そんなことを強く感じ始めた頃、Kさんの認知症の症状がさらに進んでいきました。
そこで私は、Kさんの不安な思いを察しながら、
「生活の場所を2つにしていきますか。これからは、ある程度誰かがいつもいてくれる場所で生活して、ときどきこの家の様子を見に帰ってくるというのはどうでしょうか」
と提案しました。するとKさんは、
「そんな贅沢なことができますか? そうなったらいいですよね」
と、すんなり提案を受け入れてくれました。
生活の場が施設へと移ってから1週間が過ぎた頃のKさんは、自宅にいたときよりも安心して過ごしているようでした。
さらに2週間が経ち、ここ数日熱発しているという知らせが私にありました。施設に行くと、Kさんは横になり休もうとしないまま、いつものように過ごされていました。
この日は「どちら様?」という反応ではなく、顔を見るとすぐに私のことがわかってくれたようです。少し前の混乱したKさんの状態からは考えられないほど、会話を交わすこともできました。それでも、「暖かくなったら、また見事な桜の花を一緒に見に行きましょう」という私の言葉には、決して「はい」とうなずこうとしません。
「最期にあなたに逢えて本当によかった…」
Kさんは、そんな言葉を伝えてくれたのでした。
Kさんの様子が気になりながら、帰って数時間。施設からの電話。Kさんの状態が急変し、救急車で病院へ運ばれたとのこと。再び逢ったKさんは昏睡状態。翌日、意識が戻ることはないまま永眠されました。
今思えば「最期にあなたに逢えて本当によかった…」は、私への別れの言葉だったのです。そんなふうにきちんと思いを伝えようとしてくれたKさんに対して、私は…。一人暮らしで変化するKさんの様子に、どうかかわっていけばよいのか…正直「大変だな~」という思いばかりが強くなり、Kさんと出会い、かかわらせていただいたことへの感謝の思いを何一つ伝えることができていませんでした。
Kさんの思いをもっと察することができていたら、私も、思いを込めて伝えたい言葉がありました。
「私も、あなたに逢えて本当によかった」
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