続・真の思いを確認するとき
夜遅くKさんからの電話を受けた翌日、私はKさんの自宅に伺いました。
Kさんは開口一番「どなたでしたか?」。私の名前を伝えても、不安そうな表情。「一緒にお寺を見つけにいった私です」と伝えると、ようやく「どうぞ上がってください」と自宅へ上げてくれました。
Kさんの後見人である弁護士との連携のもと、ソーシャルワーカーとして私は、Kさんの心情的なサポートをさせてもらってきました。「元気なうちに、自分が永眠する場所を自分の目で確かめておきたい」というKさんの希望で、お寺を探し、Kさんともその場所を訪れていました。
自宅内に入ると、これまでよりも床や畳にほこりがたまっていました。これまで30年近く一人で暮らしてきたKさん。その年月には、私たちには到底分かることのできない「思い」が蓄積されています。健康上も医者要らずだったKさんが、90歳を過ぎた現在、認知症という病とともに、一人必死に活きています。
しかし最近になり、どうしてもKさんにとっても理解しがたい出来事が重なりました。夕暮れになり、部屋の蛍光灯をつけたところ、なんと人の声が聞こえてきてしまう。自宅のテレビやトースター、ガスレンジまでも動かなくなってしまう。そして、あちらこちらと動き回って、近所に訪ね歩く。極めつけは、「電話が使えなくなってしまった」と、電話で!?電話をかけてきました。
これまで近隣の方からの声かけなどに支えられながら、なんとかできていたことが、次第にこれまでどおりにできなくなっていることをKさん自身も感じていました。自分の言動が、近隣の人の理解を得られない状態になってきていることも察しているようでした。
Kさんと話をすすめていくうちに、「最近忘れっぽくなってしまい、どうしよううもない。どうしたらよいか分からなくなってきた。早くお迎えがこないかと願うばかりです」とのこと。そこで私は、ゆっくりていねいな口調で穏やかな視線をおくりながら、不安になっていることについて、Kさん自身が発した言葉を借りながら、一緒に確認させていただきました。
永島 今日が何日か、何時か、そして、今何をしていたのか分からなくなる。時には頭がモヤモヤして、思っていたことが『すっと』これまでのように出てこない。そんな瞬間は、とても言葉にできないくらい不安になってしまい、落ち着かないですよね。
Kさん そうなの、そうなの。もう……なんだか分からない。この頭がどうにかなってほしい。心配なのよ。それにね…やっぱり一人で生活しているのにも不安なのよ。
やがて私は、
「生活の場所を2つにしていきますか。これからは、ある程度誰かがいつもいてくれる場所で生活して、ときどきこの家の様子を見に帰ってくるというのはどうでしょうか」
とKさんに提案しました。するとKさんは、「そんな贅沢なことができますか? そうなったらいいですよね」と、声に張りが出てきました。
この話の後、近隣で支えてくれた方々に、施設と自宅の行き来をすることについてあいさつして、その日のうちに生活の場を移動することになりました。
私は、この日訪問するにあたり、生活の場を移すことになるであろうと予測していました。そして、Kさんの思いを確かめることができたらすぐに対応できるようにと、施設側に連絡・確認し、そのときのための協力をお願いしてありました。
あれほど不安そうだったKさんが、いざ生活の場を移すことになると、そのための身支度は驚くほど速やかでした。ボストンバック2つの中に、出かけるための荷物がすでに用意されていたのです。混乱する意識の中で、Kさんが自らの意思でされていたことでした。
夫と2人で暮らしてきた自宅に深い愛着を残しつつ、Kさんは一人ではどうすることもできない不安から少しでも救われる場所を確かに求めていたのです。
「しばらく留守にするのでは、冷蔵庫も片づけないと」とKさん。手伝うために冷蔵庫を開けると、野菜室の引き出しが分解されており、そこに味噌汁鍋が詰め込まれていました。
次回は、生活の場を移した後のKさんの様子についてお伝えします。
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