真の思いを確認するとき
最近、研修会の講義や講座の最後に「私の思い(真実と事実)」という詩をご紹介させていただいています。
この詩は、日頃かかわる利用者の皆さんから、さまざまな表現方法で私たちに伝えてもらった「思い」をベースに作ったものです。今までと変わらない「思い」に気づいてほしい。そして、認知症ということに対して、目に見える事実だけですべてをわかったつもりにならずに、その言動で表現しきれないことについてどうか察してくださいという内容のものです。
そのような一人ひとりの「思い」から、私たちは多くの気づきや学びを得て、毎日の仕事をしています。
昨夜、独居で最近物忘れが顕著になってきたKさんから電話が入りました。
不安そうな小声ですが、ていねいな口調で「あの~っ。永島徹さんのお宅でしょうか?……。実は私、○△□※★でしてね。それで……」と話が始まりました。
最愛の夫と別れてから、何十年もたった一人で生きてこられたKさん。ここ数年は、近隣の理解を受けて任意後見制度も活用しながら、「一人でできるうちは、自分で何とかしていきたい」と、自宅での生活を続けています。ソーシャルワーカーとして相談にのる過程で、Kさんの思いを自身の言葉で伝えていただいてきました。また「もしも、私がいろいろとできなくなってきたときは、よろしくお願いしたい」という希望もうかがっていました。
私はこれまで、Kさんを支えている民生委員や地域の方々と連携しながら、Kさんの思いを尊重する形で、見守り、かかわってきました。しかし、いま必死に、認知症からくる混乱の中で、「私の思いはね……」と、うまく言葉にできない状況で伝えようとしています。
いよいよ、Kさんの「もしものとき」が近づいてきているように察しました。
「そうですかぁ。それでは、またお話をうかがいたいですね。ただ、今日は遅い時間になってしまいました。でも、Kさんのお話はわかりました。早速いろいろと考えて、うまい方法をみつけたいと思います。大丈夫ですよ、安心してください。お電話いただいて感謝します。今日は安心してお休みください。安心してお休みにならないと、お身体をこわしてしまいますからね」
と伝え、数分間の会話の後に、Kさんは「そうですか、よかった~ぁ。よろしくお願いしますね」と言って、電話を切りました。
表面的な事実だけで理解すれば、認知症により混乱している一人暮らしの高齢者の「わけのわからない電話」と解釈される場合が多いかもしれません。しかし私は、「私もいろいろと大変だから、約束していたように進めてちょうだいね」と、言葉にならな声(思い)を伝えていただいたように感じました。
たとえ言葉として、これまでのように表現できなくなっても、私はKさんがこれまでどのように生きてこられたのか、幾度も教えていただきました。だからこそ、うかがったその思いを、私はしっかりと受け継ぎ、Kさんから聞いていたようにすすめていきたいと思いました。
今後は、安心して生活していくために、在宅から生活の場を移していくことも含めて、Kさんと向き合いすすめていく必要があります。近日中に、表面的な言葉のやりとりではなく、Kさんの真の思いの確認をさせていただき、これからのことをていねいにすすていきたいと考える私です。
コメント
ぜひ 「私の思い(真実と事実)」をご披露ください。大切に読ませていただきたいと思います。
「私の思い(真実と事実)」
その方の思いをお聴きし、受け留めていく過程と時間と空間の共有って、とても大切ですね。
今日、統合失調症+認知症の88歳、ひとり暮らしの女性が永眠されました。
昨日の朝まで、街の中のアパートで、まさにその人らしく生きていました。
初めてお会いしてから8年、その方からたくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。
悲しいけれど、天晴れな人生と安らかな寝顔を見て、思わず仲間と顔を見合わせて、泣き笑い。
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