生活保護2法案参院可決
生活保護法は、戦後初の本格的な「改正」に直面しています。11月13日に生活保護改正案と生活困窮者自立支援法案は参議院で可決され、衆議院に送付されました。
今回の改正の特徴は、不正受給の罰則強化、民法上の扶養義務履行の強化、就労促進のための給付金制度の創設の3点にあります。これまでにも、生活扶助基準の改定や加算部分の改廃が行われてきましたが、今回は制度の原則そのものを変更する点に特徴があります。
たとえば、民法上の扶養義務にかかわる内容は、次のようです。扶養義務者の中に、保護申請者の扶養が可能とみられるのに応じない場合、自治体が説明を求めることができるようになるということです。これまでのように、自治体が扶養義務者に文書による扶養紹介状を出して、扶養義務者が文書による回答で済ますようなことはなくなるのでしょう。
一言でいえば、「補足性の原理」が一段と強化されたということです。補足性の原理とは、生活保護を受給しようとするものに対しては、(1)自らの資産・能力の活用、(2)親族扶養、(3)他法活用の三つが優先して適用され、それでもなお生活保護制度の定める生活水準を下回る場合にはじめて保護を実施するというものです。
補足性の原理をめぐっては、窓口における「水際作線」のような抑圧的運用がつねづね問題に取り上げられてきました。貧困原因は個人の「怠惰」によるものではなく失業・就労形態(不規則雇用など)・低賃金にあるとする20世紀福祉国家型の基本理解に立てば、水際作戦など言語道断で、補足性の原理の抑圧的な運用は間違ったものとみることができます。
他方、水際作戦を正当化する側の議論の特徴は、財政状況の厳しさから生活保護予算を削減することに目標を置き、「不正受給が目に余る」「ブラブラしている人間を保護することには国民の納得が得られない」などの世論拡大を行政と政治の両面から追求していく方法にありました。ここでは、身内に保護受給者のいる「お笑い芸人」の扶養義務問題まで俎上にのぼらされました。
生活保護法が成立した敗戦直後から今日までの長い間、「抑圧的な運用は生活保護の原理から逸脱している」という立場と、「簡単に生活保護を受けることができるかのような風潮を排し、厳格に運用する」という考え方の二つが、常にせめぎ合ってきたのです。ところが、今回の改正では、「不正受給への罰則」(これまでも不正受給した場合には、支給した保護費の「返還命令」がありましたが、これに加えて罰則が規定されたということです)や親族扶養の強化など、生活保護の受給が実現するまでのハードルの数と高さが大きくなった点で、戦後における公的扶助の原則が根本的に変えられたのだとする批判的見解がでてくるのでしょう。
したがって、国会においても、参院厚労委は窓口申請について「これまでの取り扱いに変更がなく、水際作戦はあってはならないことを自治体に周知徹底する」との付帯決議を採択しています。
しかし、500余りの自治体が「家族が扶養義務を果たさないと申請者は保護を受けることはできない」とする誤認通知をしていた事実が、今回の改正案を審議していた参院厚労委で明らかにされています(11月13日朝日新聞夕刊)。生活保護受給の要件として、親族扶養を前提することは法律違反です。扶養義務者が扶養を拒んでも、保護の受給決定には影響しないというのが法の定めたルールです。
この自治体の誤認通知の背景には、多くの自治体が「秋田市の会社が開発した生活保護用情報システムのひな形文書を、扶養義務者への通知文にそのまま使っていた」からだと指摘され、厚労省はこの表現を不適切と認めて自治体に通知したとのことです(同新聞記事)。
これはきっと、行政実務の安易なアウト・ソーシングによる問題が顕在化した一例に過ぎないでしょう。仕事の外部委託を進めることによって、気づいたら内部に点検する能力がなくなっていたということの運びが、事態の深刻さを表わしています。
今回の生活保護2法案については、戦後せめぎ合ってきた生活保護をめぐる対極的な考え方を背景にして、見解も分かれています。ただ、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を具体化する法制度が、生活保護だと法文に高らかにうたわれています。
私は、この間の議論が「最低限度の生活」のあり方に拘泥し過ぎで、もっと「健康で文化的」なあり様になぜ目を向けようとしないのかについて、いささか不信感を募らせてきました。
11月3日朝日新聞朝刊の「日曜に想う」は、論説主幹の大野博人さんが「美術館まず見てほしい『作品』は」と題し、「パリのルーブル美術館で見逃せないのはモナリザやミロのビーナスだけではない。入り口のわきにも目を引くものがあった。入館料金表だ。」
そして、「入館無料」の項の中に「失業者、生活保護受給者」とあることについて、論じています。
大野さんの取材記事によると、次のようです。
「特権階級のものだった芸術作品は、革命で国のものになった。ならば、国民だれもが無料で接することができなければならない」(仏文化通信省公共政策部長ジャクリーヌ・エデルマン氏)
「美は余裕のある人たちのためだけにあるのではない、困難にある人ほど、文化をとおして苦しい境遇以外のことに思いをはせる時間が必要だ」(仏NGO「失業者と弱者の国民運動」ピエールエルドゥアール・マニャン氏)
「貧しくて(ルーブル美術館に)来ない人たちにとってブレーキはお金だけではありません。恥ずかしいという気持ちや芸術作品への気後れもある。こちらから彼らの手をとりにいかなければ」(ルーブル美術館副館長エルベ・バルバレ氏)と、ルーブル美術館は市民団体と組んで、貧しい住民や学校の生徒たちをバスを仕立てて連れてくる活動に取り組んでいます。
働くことによって生活保護からの自立を果たすことは大切なことです。しかし、貧困の世代間継承を社会全体で克服していくには、健康で文化的な生活を共有する慈しみあいが、国民全体に培われていかなければならないこともまた、私たちが忘れてはならない大切な真実だと思います。
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