「福祉介護サービス・ミシュラン」の提案
この間、一流のホテル・百貨店などで明るみに出た食材の「偽装表示問題」は際限のない様相を呈しています。搾りたての「フレッシュジュース」が容器入りの濃縮還元ジュース、「和牛ステーキ」が牛脂注入の加工肉、「車海老」がブラックタイガー等々に加えて、「欧州産マロン」が実は中国産、「ばくらい宮城」が岐阜で加工されたもの(「ばくらい」とはホヤとコノワタの塩辛)などの産地偽装も含まれていました。
このような偽装表示についての当事者企業の説明の多くは、消費者の納得できるようなものではないというのが、私の率直な感想です。しかし、それにもまして、なぜ今になって、あちらこちらの食材偽装表示がぞろぞろ明らかにされているのでしょうか。大阪の船場吉兆の問題のときにも、和牛の産地や食材の偽装が大問題になっていたはずです。客からのクレームが偽装を隠せないまでに大きくなっていたという報道も、今のところありません。
今回の偽装表示問題の口火を切った阪急阪神ホテルズの発表以降、一流のホテルや百貨店は同様の問題があったと一斉に公表しはじめます。いっそのこと、「当社では一切の偽装表示はございませんでした」と言い切る記者会見を開いてくれるようなところは現れないかと期待したくなります。消費者にとっては、食材偽装のないホテルや店を明らかにしてくれた方が有難い情報だからです。そんなところは、やっぱりないのかな~?
この背景には、ブランド化した高級食材を求める消費者の志向と、そこにつけ込んでもうけを優先する企業側の問題があると指摘されています。また、大手ホテルでは「料理を考える調理担当」「それをメニューにする表示担当」「食材を発注する購買担当」に現場が分かれていて、これらが「きちんと連絡をし合わず、メニュー表示を考える『宴会担当』が見かけを良くしようとして、偽装表示につながった可能性がある」(11月6日朝日新聞朝刊)と言います。
後者の方は、担当間の連絡調整を含むマネジメントの問題だと思いますが、それにしても疑問が残ります。実際に調理をするコックや料理人も、メニュー表示には眼を通すでしょうから、食材が偽装表示されていることくらい分かっていたでしょう。そうすると、このホテルのレストラン部門は、食材と料理に関する責任の所在が組織としては不明確なまま、トップから指示された利益率だけを守ろうとする構造になっていたのでしょう。
しかし、冒頭で紹介した寿司屋の親爺のいうとおり、「旨いものは旨いし、不味いものは不味い」のだから、消費者は「のれん」のネームバリューや食材・産地の表示に惑わされることなく、「自分の舌」で料理の良し悪しを判断すればいいのではないでしょうか。たとえ「消費者の高級志向」があるとはいえ、「自分の舌」よりも「のれん」や「表示」を信用するというのは、倒錯した話だと思います。
実際、私には大分県のある温泉旅館で、「豊後牛ステーキ」とうたうメニューに出されたものが輸入牛だと結論づけた経験があります。生肉で出されて自分で焼く形だったのですが、生の状態での脂身の入り方・赤身の色、焼いて頬張ったときの肉の風味など、これらのどれをとっても輸入牛そのものでした。
日常的に利用するレストラン・食堂・惣菜店であれば、地域を共有する顔の見える信頼関係がお店と客の間に作られていることと、食材のブランドよりも「旨いものは美味しい」「不味いものは不味い」と「自分の舌」で消費者が選択できることが基本でしょう。
しかし、何かの記念日や特別の旅行でホテルのレストランを利用する場合は、のれんと表示を信用する以外に有効な手立てが見いだせないことがあるかも知れません。ここでは、自分の舌だけを信頼することが難しく、のれんや食材の「表示」に信頼を置くほかないような不安が消費者に出てくるからこそ、食材偽装がまかり通るのです。
3つ星評価で有名な「ミシュラン」は、このような消費者サイドの不安を払拭するためのグルメ評価システムと考えることができます。サクラ評価の投稿がまかり通っていたインターネット上のグルメ評価とは異なり、評価の基準と隠密のように店舗に入って味を確かめる審査者については、厳密に定められています。「ミシュラン」日本版に登場するお店は、ほぼすべてがあまり規模の大きくないレストランや料理店で、お客さんとの顔の見える信頼関係が料理と店舗経営の基本になっていることが分かります。
地域を共有する顔の見える信頼関係を土台にして、「表示」よりも「実態」が重要であるというのは、福祉・介護サービスも同様です。「有資格者の数」とか「施設設備」などのネット上の情報では、サービスの実態など到底分かりません。
その上、サービスの「良し悪し」を利用者が自分で判断するのは、とても難しいことです。ましてや、福祉・介護における「サービスの良し悪し」やサービスを活用した「生活の質の向上・低下」について、的確な判断をすることのできる利用者が一般的だと考えるには無理があるように思えます。ここに、サービス提供事業者に対する「第三者評価」の意味があると思います。
ところが、これまでの「第三者評価」は、利用者目線からサービスのあり方の改善問題を明らかにするまでに機能しているのでしょうか。一般市民や利用者とその家族の生活者目線を基本に、福祉・医療・法律等の専門家の客観的基準を含めて実施する「福祉介護サービス・ミシュラン」を作ってはどうでしょう。
もちろん、3つ星評価の客観性と社会的信用度が担保できるような組織が必要ですから、日本では「ブリジストン」辺りがしっかりした評価組織を作ってくれませんかね(笑)。だって、福祉・介護サービスでは、タイヤのついた送迎車をすごく使っているのですから。
やはり、質の高いサービスを共につくり上げていく、顔の見える事業者とサービス利用者の間柄が、地域に育まれていくことが最も大切なことだと考えます。
コメント
ブログのタイトル、『「福祉介護サービス・ミシュラン」の提案』、これはおもしろいといっては語弊がありますが興味深いものです。選挙では新聞社、グルメではミシュラン、など今の世の中色々なものが調査の対象になっています。そう考えてみると、福祉介護サービスが調査の対象になっていないのが不思議なくらいです。将来日本は今より高齢者が増え福祉介護サービスの需要も高まるでしょう。しかし、量がふえても質が下がってしまえば意味がありません。この“福祉介護サービス・ミシュラン”が導入されれば質を一定以上に保つことが可能になります。しかし3つ星評価には反対です。5段階評価ぐらいが望ましいと思います。でもそれじゃあ“ミシュラン”じゃなくなりますけどね(笑)。
この食品偽装問題、ある組織が「偽装表示をしていた」と発表した途端にどさくさに紛れて自分も「偽装表示をしていた」と発表する組織が相次ぎました。性根が腐っていると思いました。消費者を裏切っておいて反省の色が見えなかったので。
食品の産地が違ったからと言って生活自体にはさほど影響は出ないでしょうが、福祉介護サービスが巷に出回っている情報とサービスの実態が全然違うとなれば、これは生活にダイレクトに影響が響いてしまいます。やはり生活に直結するようなサービスには信頼のできる「お墨付き」が欲しいですね。
福祉介護サービス・ミシュランの提案について私は全面的に賛成です。
福祉介護サービスを提供する側も採算が取れなければ運営していくことができないので、自分たちのホームページなどでは、当然良い点ばかりを挙げると思います。それでは、そのホームページを見て利用し始めた方々は、ギャップを感じてしまうかもしれません。
そこで、信頼できる外部機関からの評価を取り入れることによって、サービスを利用する側も、他の施設との比較が容易になり、自分にあったサービスを選び、受けられるだけでなく、サービスを提供する側も高評価を得るために、提供サービスの向上や、ほかの施設との差別化のために、その施設特有のサービスが生まれたりなど、日本の福祉介護サービス品質が全体的に向上することが見込めると思います。
また、その外部機関が提供側を定期的に評価することにより、利用者に対する虐待などが明るみに出る可能性や、虐待そのものを抑制することにもなりうると思う。
評価をする機関の面や、金銭的な面や、サービスを評価する基準の設定や、その評価が一般的に認知されるまでの時間など様々な課題がありますが、利用者の方々が安心して利用するためにも、家族の方が安心して任せられるようになるためにも、そして日本の介護・福祉サービスをよりよいものにするためにぜひ実現してほしいと思う。
私は、食品偽装問題のニュースで、レストランや百貨店が偽装を発表したときに、多くの人々が失望した、騙されたと言っているのを見て、偽装していた側が悪いのは当然と考える一方で、どうしてここまで偽装が見破れなかったのかと不思議に思いました。
それは、食材はともあれ、コックの腕が一流であることに変わりはなく、消費者の中で一流の食材を一流のコックによって調理された料理を食べたことがないからだと思いました。私も消費者の一人として、食材の真の美味しさが理解できる舌を鍛えようと思いました。
あるホテルでは、国産牛を使用したステーキを提供していたが、お客様からかたくておいしくないとの声を多くいただいていたという。そこで厨房は、牛脂を注入した加工肉のステーキを提供し始めたところ大変な好評をえられたが、和牛ステーキと表示したまま提供していたため問題になった、という事案があった。なんとも皮肉な話ではあるが、こういった実態が各所で起きているのではないだろうかとも思う。安い素材でいかにおいしく食べられるか研究がなされた結果が加工牛なのだ。牛脂を注入すれば肉汁があふれるし、寿司でもヒラメとカレイのエンガワなんか大半の人は区別がつかない。私たち庶民からすれば、食べ慣れているものがおいしいし、中途半端に良いものは慣れておらずおいしくは感じられない。スーパーでの食材生産地の表示の背景には、BSEや鳥インフルエンザなどの影響で、どこの生産地かわからないものは怖くて食べられない、というものがあったからだと思う。しかし昨今の食材表示はお客様のニーズと競争相手の板挟みで偽装表示につながり、より不安をあおる形になってしまっている。こういった問題ははたして本当に提供側だけの問題なのか、甚だ疑問であるが、しかし結局のところ、どこを指標にしても納得がいくものを自分たちで判断し選んでいくことが正しいと私は考える。
偽装表示問題が世間を賑わせていまいたが、果たしてそれは企業側だけの問題なのか、疑問に思います。というのも、私の知人の女性に、偽装とは知らずに食べて「美味しい美味しい」と言っていたのに、偽装であったと知った途端に「やっぱりね、美味しくなかったし。偽装するなんて最低、ありえない。」と言っていたのを聞き、まず彼女が可哀想に感じたことを覚えています。可哀想に感じたのは企業に騙されたからではありません。彼女がその表示に左右されたこと自体を哀れに思ったのです。もちろん悪いのは偽装した企業側であり、かばうつもりは毛頭もありませんが、彼女にも多少なりとも非があると思うのです。私は、私たち消費者は企業側にたいして受動的であることが全てとは思いません。情報に左右されないことも消費者のすべきことの1つであると思います。企業が不正なことをしないに越したことはありませんが、まず私たち自身が情報を鵜呑みしないことが大切だと思います。
「福祉版ミシュランガイド」というものはあったら、きっといいのだろうなとブログを読ませていただき思いました。ただ、今そういった試みはされていないのだろうかと疑問に思い調べてみると、下記のURLを参考にしてもらえればわかるように存在していました。
ただ、結局評価機関として社会的信用度がまだまだのところが多く、ミシュランのような大組織でないことはわかります。
評価すること自体はあまり重要ではないと自分は考えます。重要なのは評価の質とそれが多くの人に知れ渡ることです。
ミシュランのような大組織がやったとしても、地域のNPOがやったとしても、福祉事業者と裏でつながっていたり、評価結果が十分に広まらなかったりした場合意味がありません。
さらに言えば、専門家がいいというところが実際の利用者にとって本当に素晴らしいところなのか微妙なところだと思います。利用者同士の人間関係や事業者として理念だけでなく採算性も考えた事業展開など評価が難しいこともあります。また、ただでさえ今足りないといわれている中で、サービスの質が高いところに人気が集まり、低いところは淘汰され過ぎて施設自体の数が減ると利用者にとっても不幸なことになるでしょう。
どういった評価をどんな組織がどのように行うのか、そして利用者は評価をどう受け止めるのか、難しいことだと思います。
私の家庭にも要介護状態の祖母がおりますので、この利用者目線を基準として福祉介護サービスを評価して目に見えるものにする、というのは賛同できます。しかし、ある事業所が高評価をつけられ、そこにランクのようなものが出来てしまうことにより利用者が集中し、規模を拡大せざるを得なくなり、地域一体を一つの事業所で見て回らなければならない、といった状況が生まれることは考えられないでしょうか。統廃合が進み、地域と密接な関係を築くことが難しくなってきている病院のような道を歩むことがないよう、十分な配慮が必要なものだと思います。
私は食品の偽装表記問題については大きな関心を抱きつつニュースなどを見ていた。私の舌ではどんな偽装表記をされても気づくことはできないと思ったので対策はとても難しいと感じた。偽装を偽装と見抜けない消費者の質も偽装表記を助長させた要因の一つではないかと考えていた。福祉や介護のサービスにも食事のミシュランのような外部から客観的に評価をつける組織ができることは利用者にとってはとても助けになると考える。さらに介護に従事する人間の環境改善にも役に立つのではないか。介護の現場では低賃金で重労働を強いられる現場が多いことが問題になっている。福祉や介護のような対人のサービス業の質は労働者の質にも左右されるだろう。サービスを外からしっかりと評価する組織があれば労働環境も整備せざるを得なくなるのではないか。そうなれば消費者と労働者がともに満足するような業種になっていくのではないか。
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