ぜんしれん全国大会in札幌
紅葉のシーズンを迎えた札幌で、全国知的障害者施設家族会連合会(ぜんしれん)の全国大会が開かれました。全国から700名近い大勢の関係者が集い、熱い議論と楽しい交流のひとときとなりました。
全国から集う大勢の参加者
昨年、ぜんしれんは「新しい生活施設のあり方に関する提言」をまとめました。これは、従来型の「入所施設」を守ろうとするのではなく、安心して生涯を見通すことのできる暮らしの根拠地のあり方を提言したものです。
この「新しい生活施設」の実現を具体化するために、私は基調講演の中で3つの提案をしました。
一つ目は、「少子高齢化」を見据えて暮らしの根拠地を構想することです。少子高齢化は、わが国における家族の縮減・解体の進行であり、それぞれの家族の努力だけでは安心した暮らしを見通すことのできない現実に誰もが直面します。
だからこそ、慈しみあう間柄を育む暮らしの根拠地を、「血のつながり」によらずみんなで地域に築いていくことが「新しい生活施設」をつくる基本です。「障害のある人」の問題にのみ目を奪われるのではなく、少子高齢化の現実を見据える視点が障害領域ではとくに重要でしょう。
二つ目は、このような暮らしの根拠地は、みんなの社会資源としての内実を持つことが大切だという点です。高齢期を含めた障害のある人の生涯を見通すことは、家族はむろんのこと、すべての地域の人たちの高齢期を支える社会資源づくりにつながっていなければなりません。
つまり、障害のある人の施設なのか高齢者のための施設なのかという制度上の区別が大切なのではなく、障害のあるなしにかかわらず高齢期までを安心して暮らすことのできるような根拠地の実現が重要なことなのです。たとえば、親御さんが障害のあるわが子と暮らすことのできるような新しい型の「施設」なども構想されるべきです。そのために、現行制度をいかに活用し改善していくかを具体的に展望することが求められます。
三つ目は、このような新たな暮らしの根拠地をコアに地域の社会資源群をゆたかにしていくことです。相談支援、移動支援、ホームヘルプ、日中活動、就労支援、医療ケア…等、安心した地域生活を見通すためには、暮らしの根拠地とともに多様な社会サービスの充実が必要不可欠です。
中島公園の紅葉
それぞれの人にふさわしい「暮らしの根拠地」は、制度上「施設」と呼ばれる場合もあれば「グループホーム」と呼ばれる場合もあるでしょう。「グループホーム」は地域生活の根拠地にはなるが、「施設」は地域生活ではないとするような理解は誤っています。いずれの場合であれ、地域社会の一員としての生活の質が問われるだけです。
残念ながら、わが国には「暮らしの根拠地」を支える制度が形骸化しています。施設であるかグループホームであるかにかかわらず、「日割り」で利用者負担と事業者報酬が計算される仕組みは、これらがいかに「暮らしの根拠地」からかけ離れたものであるかを端的に示す問題点です。「日割り計算」では、「ビジネスホテル」か「木賃宿」に過ぎないからです。
日割り計算による利用者負担が、「利用者主体のサービス」になる訳でもありません。特別養護老人ホームや障害者施設・グループホームの利用者が、病気で1か月も入院を余儀なくされた場合、利用を打ち切られて施設から追い出されることなど珍しいことではないからです。暮らしの根拠地にかかわる支援サービスについては、日割り計算の制度を改め、利用者負担を増大することなく、利用者の暮らしも事業者の経営も安心して見通すことのできる仕組みに替えるべきです。
小樽運河
さて、札幌までやって来たついでに、小樽に立ち寄りました。穏やかな秋日和の中で、紅葉が実に美しい。小樽での美味求心は、ガイドブックに紹介される観光客相手の寿司屋や海鮮丼屋には眼もくれず、地元産の海産物と野菜を扱う「ぴあっと」というイタリア料理店に入りました。画像から美味しさをどうかご想像下さい!
ぴあっとのランチ―し・あ・わ・せ
コメント
初めての書き込み失礼します。
障害者を支えたり高齢者のための施設というものはいくつもありますが実際にそのサービスが利用者を満足させるに至っているかは難しいところだと思います。介護職に就く人はここ最近減っていて人手が足りないというような話もたまに耳にします。せっかく施設があっても法令やきまりによってある障害の人は入れるがある人は入れないなどといったこともあると聞き、働く人や利用者にとっては疑問や不満が絶えないのではないかと感じます。しかし、実際には私たち学生はここまでの教育でほとんど高齢者や障害を持った人々への介護の実情などは学ばず、大学に入ってようやくそういった授業がある。これでは関心を持つ若者も減ってしまい、高齢者が高齢者を助けなくてはいけないという形が生まれてしまうのではと思います。また、私が実習で介護施設にいた時は、経営が厳しく今季で数人辞めてもらうといった話も出てきていました。もちろん利用者主体の施設であるべきことには間違いないのですがそういった背景から変えていかないと施設もサービスも良くしたくてもどうすることもできないという実情があるのではないかと感じました。
障害者も高齢者も、またそのような家族を持つ人たちも彼らを支援する施設や制度を必要としています。仮に健常者と変わらない生活をしていても、そのような仕組みがあれば手助けが必要だと思っている人はいるに違いありません。彼らが生涯を通してよりよい生活を送るためには私たちが彼らの支えになる行動や意識づくりをしなければならないのではないでしょうか。そのような支援施設に関するこんな話を聞いたことがあります。障害者や高齢者などの生活支援を必要とする人たち、又その家族も一緒に暮らすことのできるコミュニティー社会を作るというものです。そこには住居はもちろん、レストランや簡易的なお店、さらに公園も設置されています。社会の中にそのような小さな町を作り、生活することができれば多くの人がより良い生活を送れるのではないでしょうか。
生活支援について知識が少ないところ、コメントさせていただきありがとうございました。
少子高齢化が進んでいくにつれて、このような、高齢者や障害のある方のための施設の重要度はさらに増していくと思います。サポートを必要とする人々が増える一方で若者の割合が減り、それぞれの負担が大きくなっていく。そんな中で、血のつながりだけでなく、地域みんなで慈しみあう間柄を育む暮らしの根拠地をつくっていくべきだという意見に共感しました。また一方で、多様なサービスを充実させるには、それを支え、実現していくための制度や経営の仕組みを考えていく必要があるとも感じました。誰もが必ず年をとってゆき、障害者にもなり得るのだから、このような社会資源への投資は必ず自分たちに還元されるはずです。そのため、現状に甘んじることなく、利用者のためになるよう最大限力を尽くしていくことが大事だと思います。
少子高齢化が進んでいる今の時代、地域ぐるみでの高齢者や障がい者の見守りは重要性が増していると私は考えます。特に一人暮らしのお年寄りは地域が一体となった見守りや活動への参加の呼びかけなどより細かい気配りが必要になってきます。この様な状況の中で、私が一番気をつけなければならないのは都市部の高齢者たちだと思います。私の地元は地方の農村部なのですが、高齢者が多い中でも、「~には~さんが住んでいる」などといったような地域の意志疎通がある程度しっかりできていました。この様な状態だと、日常的なあいさつや声がけが生まれます。これは田舎の良いところとも言えると思います。一方で東京などの大都市群の住宅地ではお隣との関係がない場合などが多くあります。それではお年寄りや障害を持った人が住んでいたとしてもほとんど認知されません。今回、地域と暮らしについて考えてみて都市部が必ずしも住みやすい所ではないのだと感じました。
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