地域の基幹産業としての福祉
北海道新得町は、人口約6,500人の内、およそ1,200人が福祉関係の職員とその家族から構成されています。町民の5~6人に1人が福祉に係わる仕事によって暮らしている計算になります。新得町の元助役で、現在、社会福祉法人厚生協会理事長の鈴木政輝さんは、「福祉は町の基幹産業です」とおっしゃいました。
厚生協会の鈴木政輝理事長と鈴木睦わかふじワークセンター長
新得町は、1907(明治40)年の鉄道開通から鉄道の町として栄えたほか、新得営林署の開庁による林業・木材加工等製造業の発展があり、ここに農業(畑作・酪農)を加えて主要な産業としてきたところです。しかし、現在の就業人口を産業別に見ると、福祉関係の就業者が一つの産業領域としては最大規模であり、その大部分は16事業所からなる社会福祉法人厚生協会の職員です。
新得町のような地域の産業・就業構造は、もはや特異なものではありません。少子高齢化が急速に進展するわが国において、「全世代型の社会保障・社会福祉を拡充することが喫緊の課題」というのですから、全国すべての自治体が、遅かれ早かれ新得町のような就業構造に傾斜することは免れ得ないのです。
すると、さまざまな自治体・地域づくり関係者が<自治体―福祉―地域産業>の未来を考える場合、新得町にはさまざまなヒントや経験値が詰まっているということになるでしょう。
厚生協会は、1953(昭和28)年開設の身体障害者授産施設とそれに併設された生活施設(両者が現在のわかふじ寮)から出発しました。ろうあの人たちの職業訓練は、地場産業である木材加工を中心にして取り組まれ、授産施設から地域の工場へ150名以上の訓練生たちが巣立っていきました。
ところが、数年も経つと、加齢に伴って工場を離職した一部の人たちがわかふじ寮に戻ってくる現実に直面することになりました。少なくともこの時点で、法人創設者の一人である田中皎一さん(元理事長)は、高齢化への対応の必要を考えていたそうです。つまり、就労を柱とする若者期の自立支援から中年期の就労継続支援と高齢期の生活支援のすべてを含めて、障害のある人たちの生涯を見通すことのできる支援を実現する社会資源群の必要を構想していました。
そしてついに、1981(昭和56)年聴覚障害者養護老人ホームやすらぎ荘が開所します。これが、「新得町にとっての画期となりました」と現理事長の鈴木さんは指摘します。高齢期を支援する社会資源の拡充は、すべての町民の必要にも直結する施策です。
やすらぎ荘で
そこで、時代を画することとなった一つは、障害のあるなしにかかわらず「町民として、すべての人を大切にする」という町政の基本理念が明確になった点です。「町民を生産人口と非生産人口に区別するような考え方は絶対に採らない」とのことでした。
もう一つは、「町の基幹産業としての福祉」を育む町政の方針が明確になった点です。
前者は、町民の幸福追求権を等しく保障するという考え方を明確にした施策の理念です。後者は、北欧の地域社会にみられるように、すべての住民の労働と生活の質的向上に資する富の地域循環を、産業分野としての社会福祉を育むことよって実現してきたということではないでしょうか。この2点こそ、社会福祉が「選別主義から普遍主義へ」と転換していく柱となるべきものです。
生涯にわたるケアをつうじて、障害のあるなしにかかわらず、誰もが「町民として」大切にされるという考え方は、実際の地域の施策に貫かれています。保育所は町営で整備され、小中学校では手話教育が実施され、すべての町民が利用できる介護保険サービスも施設・居宅・相談のいずれの面でも充実への努力が積み重ねられていました。
特筆すべきことは、これらの努力の礎を支えたものに、新得町における「社会福祉法人の助成に関する条例」(昭和51年3月27日条例第2号、改正平成12年12月1日条例第35号)があったという点です。社会福祉法の前身である社会福祉事業法の時代は、社会福祉事業の整備に係る経費については、「すべての町民を分け隔てなく大切にするための経費」であるから、社会福祉法人の負担を皆無として、すべての経費を町で負担する形を採ってきたのです。
そして、障害のある人のケアの観点からいえば、さまざまな居宅支援サービスに障害者枠を持つ養護老人ホームと特別養護老人ホーム(新得やすらぎ荘)を併せて、「ターミナルケアが地域として整備されている」ということになるのです。
やすらぎ荘の「みんなの」お墓
しかも、これら二つの老人ホームは、ターミナルケアで支援が終わるのではなく、必要に応じて、死後の弔いまでを保障します。身寄りのない方や親族との実質的なつながりがなくなっている方などが、荼毘に付された後、無縁仏にならないようにする「支援」までが取り組まれていました。いうなら、「魂の孤立」を予防する支援です。
身寄りのない利用者がお亡くなりになった場合は、生前の本人希望を尊重して、必ず職員や利用者の皆さんでお葬式を執り行い、老人ホームが設けているお墓に納骨されることになっています。これらのセレモニーを見た他の利用者の中には「私もこのように弔って戴けるのですか?」と質問する方もいて、職員が「もちろんです」と応えるととても安心されるということでした。
魂の孤立を予防する支援は、死後の安心を保障するにとどまらず、生前の生きる意味をエンパワメントする取り組みでもあるのです。
新得町の福祉は、20世紀の福祉国家型福祉をギリギリまで追求した、わが国では数少ない自治体・社会福祉法人・町民全体の取り組みであると考えます。それは、町民すべてが知恵と力を尽くし、新得町にふさわしくつくり出してきた「共に生きる」システムと文化であるという意味において、わが国の中で独自に芽生え育まれてきたノーマライゼーションに他ならないと思います。次回は、働くことの取り組みからの報告をしましょう。
オソウシ温泉
さて、新得町は大雪山国立公園の東大雪からのアクセス拠点でもあり、大雪山系の山々やトムラウシ温泉をはじめとするゆたかな自然に恵まれたところです。今回は、オソウシ温泉に立ち寄りました。強アルカリ性(pH10)の単純硫黄泉です。温めの源泉かけ流し、鄙びた感ありで、おすすめです!
コメント
近年、高齢者施設の職場の実態は厳しいものとなっている。人手不足や低賃金という現状のために、そのような職に就きたいという若者も減少する。そうするとさらに人手不足を招く……。このような負のスパイラルに陥る実態もある中で、この記事のような取り組みが町を挙げて行われていることに感動した。「町民として、すべての人を大切にする」という考え方は、人々が一緒に暮らしていくうえで当たり前のことのようで、実際には実現されていない場合が多いだろう。また、私が特に印象に残ったのは、死後のサポートまで行っている点である。きちんと葬儀まで行ってもらえれば、お亡くなりになった方々の魂もあたたかい気持ちで成仏することができるのであろう。
この新得町のような取り組みが広がっていくことで、高齢社会という現状に、社会のしくみをうまく合わせていくことができるようになるのではないかと考えられる。
このように社会福祉を地域産業の中心に据えて自治体を運営し、成功していることはとても素晴らしいと思います。社会福祉を中身のある形で充実させることは、住民の方の老後の不安を減らすことができるだけでなく、新しい雇用をつくりだし、その地域を活性化することができるという効果もあると思いました。このように地域全体で社会福祉を進めていくことは、近年希薄になっているといわれる豊かな人間関係や、自分たちの暮らしている地域に対する愛着を生み出していくのではないでしょうか。
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