事務量が増え続ける
「事務山積 医師の重荷に」と題し、日本対がん協会会長の垣添忠生氏は、医師の事務負担の増大が医療の発展を妨げ、医療不信を増大しかねない問題を指摘しています(7月1日付読売新聞朝刊)。これは、医療だけでなく、教育や福祉の現場にも共通に見られる大問題なのではないでしょうか。
障害者総合支援法は、2014年度までに計画相談の実施を現場に求めています。計画相談の実施によって、サービスの質の向上することに私は異論がありません。先日開催されたさいたま市地域自立支援協議会の議論においても、計画相談を実施すること自体に誰からも異論は出ないのですが、2014年度までの実施には相当の困難があるのではないかとの議論が噴出しました。問題の所在の一つは、現在の人員配置では事務量の増大に対応できない点にあります。
冒頭でご紹介した垣添氏の論説は、事務量の増大について二つの側面から問題指摘していると考えます。
一つは、患者に治療方針を説明し同意書を取るというインフォームド・コンセントに関する手続きに必要な事務量の増大です。この問題は、医療だけでなく、教育や福祉・介護サービスも含めて消費者契約法の対象となって以来、サービスの提供者側が利用者(=消費者)から訴えられないようにする意味も含めて、神経を消耗する事務手続きになってきたように思います。
もう一つは、「コンピューターに診察結果や検査予約、次回来院予約、必要があれば処方箋などの入力」までも医師に求められるような、医療サービスのマネジメントに関する事務量の増大です。この点でも、教育や福祉・介護の領域でも全く同様の事務量の増大が指摘できると思います。
もっとも重要な問題は、これらの事務量の増大が医師の重荷になることによって、医療の質的向上には何ら帰結せず、医療不信の増大という真逆の問題を生み出していることにあるのです。つまり、「消費者主権」にもとづく支援方針と同意の手続きはともすると法的責任を問われないようにしておくための手続きに終始し、支援サービスのマネジメントに労力と時間が費やされはするが肝心の支援サービスそのものには時間を割くことができないというパラドクシカルな現実が出来することです。
このような現象は、一部の特定のフィールドに生じているのではなく、医療・教育・福祉・介護という対人社会サービスに共通している問題です。つまり、このような問題のある社会システムが作られてきたとみるべきでしょう。一体どうしてなのでしょう?
事務のOA化が進み、20~30年前の事務の進め方とは比較にならないくらいに効率的な実務が可能となりました。私の生きている世界だけで考えても、授業や講演のレジュメに資料等は手書きの時代と比べれば、圧倒的な美しさとスピードで処理することができるようになりましたし、これらの電子ファイルをインターネットを介して瞬時にやりとりすることもできます。ところが、実務の量は間違いなく増大しました。
研究費でボールペン1本購入しても、エクセルのファイルを作成して捺印し、事務に届出をしなければなりません。授業の学生の出欠も、成績もすべて、電子的なファイルとして作成し提出することとなりました。この20年間の労力と時間の消耗の度合いを考えてみると、電子的な書類作成のための消費時間だけは増大していますが、学生指導に費やす時間はまったく増えていない―これがまさに、事務のOA化と教育サービスにおける「消費者主権」を進める中で生じた、嘘偽りのない現実なのです。
垣添氏は、医療現場に事務の担い手である診療補助員(医療クラーク)を配置すれば、このような問題は片付くと主張されます。事務量の増大にふさわしい人員配置を手当てする以外に、肝心要の医療の質を担保することはできないという点に指摘の重大さが認められます。
これだけOA化が進んだのだから、あらゆる対人サービスの現場で、「最新のPCとソフトが入って事務が減って助かっているよ、その分、サービスの質を上げることに専念できるね」という声が聞かれてもいいのに、このような声を耳にすることはこれまで全くありません。もし、このような声を耳にした方がおられれば、ぜひともご一報いただきたいと思います。すぐさま、さいたま市地域自立支援協議会の会長として、実情視察に参りますから…。
この間の事務量の増大は、一方で、補佐的事務の担い手を現場から削ぎ落し、他方では、専門的な対人サービスの担い手にそのしわ寄せを強いたということではないのでしょうか。
点検すべき問題点は、サービスの質が向上したかどうかであり、したがってまた、サービスの向上に資する条件整備が政策的に配慮されてきたかどうかにあるでしょう。
コメント
インターネットの普及はあらゆるビジネスにおいて飛躍的な成長を遂げました。しかしその一方で様々な面で不利益が生じていることもまた事実です。
知人に医師として働いておられる方がいるのですが,インターネットが普及したことで人件費は削減できたが一人一人の仕事量が増えたと言っておられました。さらにインターネットの普及速度が非常に速かったためインターネットを使える人と使えない人との間にデジタルデバイドが発生し作業効率に支障をきたしたとも言っておられました。
どうすればもっと効率的にインターネットを使ってサービスビジネスができるのでしょうか。
私はもっとゆっくりとインターネットが普及していればこんなことにならなかったのではないかと思います。最近のインターネットの進化のスピードはついていける人がどれくらいいるのかと思うくらいに速いと思います。だからこそ便利な面だけが浮き彫りになってダメな部分が後から後から続々と生み出されています。もう今更こんなことをいったとしてもどうにもなりません。
これから先は今以上にインターネットが普及していくでしょう。これからの世界がどのような状況になるのかが不安です。
お疲れ様です。私はパソコンや携帯が普及したために便利になったことしか見れてなく恥ずかしいかぎりですが、やはり先生はいろんなところに目がいってさすがであるなぁと感じています。
よくよく考えてみると、簡単が故にみんながファイルを送ることを求めるために膨大な事務量へとなっていくそんな気がします。それに対して質が上がっていないのは問題があると確かにそう思います。
しかし、この状態が変わるのはなかなか難しいとそんな気がします。というのも、みんなが私みたいに利便性にしか目を向けていないからです。それは、メディアや時代のせいかもしれませんが、いいことしか伝わらないのも問題あるかもしれません。
これからも、様々なことに目を向けていろいろ変えていってほしいと思います。
過度な「消費者主権」は如何なものかと思う。最近は消費者が絶対だという風潮が流れている。アメリカ合衆国元大統領のジョン・F・ケネディーの提唱した消費者の権利に対する考え方は、大切かつ重要ゆえに現在まで続いている。しかし、消費者の権利が大きいためにサービス側が自由に力を発揮できない。その上、無計画なIT化による事務作業の増加だ。それではより良いサービスを提供するどころか、より粗悪なサービスになってしまう。消費者主権にもIT化にもそれぞれ利点はある。それらどう利用していくかが大切だとおもった。
私も先生の意見に同感です。私は教育学部に所属しているので視点が最初に述べていたように教育面においてもこのような状況が見られるという意見に対して賛成をせざるを得ません。インフォームドコンセントが形骸化してしまう事態は避けなければなりません。それは医者の負担を減らすことのみを考えてしまって結果としてインフォームドコンセントが意味をなさなくなり、患者のニーズをまったく取り入れることができない危険性をはらんでいると考えます。
コンピュータにより多くの事務的作業が効率化されたが、実際には他の仕事は一部の人に集約されてしまい、現在の雇用問題等にもつながっていったのだろうと思います。一部の人の負担が増えるようでは労働問題に発展するかもしれませんし、以前と比べてサービスは向上するよりはむしろ低下せざるを得ない気がします。垣添氏が言うように医療現場であれば補助員導入はサービスの向上に繋がるでしょうが、教育現場も含まれますが精神科などのメンタルを扱う分野においては単にスキルのない補助員を導入してもサービスの向上には繋がらずトラブルを増やし、負担が増大するだけのように感じます。早急に解決できる問題ではないだけに、ひとりでも多くの専門家を育てることが将来的にサービスの向上につながっていくのではないかと思いました。
私は一ヶ月の間、教育実習に参加させて頂きましたが、先生がご指摘された様に地域教育の最前線である学校現場でも事務量の増加が教職員の大きな負担になっていると感じました。確かにメディア機器の発達によって、従来に比べて指導要領や授業プリントの作成に割く時間は減りましたが、それ以上に「消費者主権」、つまりは生徒や保護者に対する責任が大きな足枷になっていると思います。勿論、従来の様に教職員が消費者に配慮せずに一方的な指導を行うことが良いことだとは私は思いません。いじめ問題や不登校などが社会問題として扱われる今の時代には、熱血教師がみんなを引っ張っていくスタイルよりも、家庭との連絡を密接にして教育の質を高めていく事が大切でしょう。ただ、40人近くの生徒やご父兄に対して神経をすり減らす現場の教職員に対しての支援は決して充分とは言えません。日が変わるまで学校に遅く残って事務作業を行っている教職員の方々をみればその負担の大きさが分かると思います。職員の中には事務作業が増えるばかりで本職である教育指導の質が上がらないことに自己矛盾を感じ、教職を辞する人も年々増加しています。精神論だけではどうにもなりません。今一度、医療や社会支援における問題と並行して、学校で起こる生徒間の問題だけではなく、教職員の負担や問題についても社会全体で考えて欲しいと思います。
教育現場では、子どもに関わる仕事以外の事務的な作業があまりに多くそれが教師の過重負担となっているそうだ。また近年では教育委員会への提出文書等もデジタル化されているが、パソコンが苦手な年配の教師などにとってはこうした作業自体も負担となり、余分な苦労を強いられるだろう。教師が事務作業に追われパソコンに向かい続け、教師同士の会話が十分に交わされない職員室をもつ学校が、一体どのようにして質の高い教育を行うことができるのであろうか。
私は、事務量の増大によってサービスの質が向上せず、サービスの向上に資する条件整備が政策的に配慮されてきたかどうかに問題があることに対して、全くその通りだと思います。電子機器の発達によって仕事の効率を上げたから、"補佐的事務の担い手を現場から削ぎ落し、他方では、専門的な対人サービスの担い手にそのしわ寄せを強い"ることになり、質を下げてしまうのでは意味がありません。まして、医療・教育・福祉・介護という生きていく上で絶対に必要なサービス業であるのに、質のよさが確保されていないのは誰も納得しないでしょう。このような職種に関しては、更にお金をかけてもいいので、質の良さを売りに出していってほしいと思います。
医療にも教育にも福祉にも言えることですが、まず働く人に対する待遇がよくないことも原因のひとつとして言えると思います。賃金が安かったり、勤務時間が不定期だったり、体力的にきついにも関わらず休日が減らされたりと、一人一人にかかる負担が大きくなっているように感じます。それに加えて、人件費削減や効率化のための事務員削減。どう考えても働く人にとって負担が大きすぎ、従事しようという人が増えないような気がします。サービスの質的向上を目指して事務の効率化が図られているのに、事務作業に追われサービスの質的向上にまで手が伸びないのは本末転倒ですが、そうかと言って今更アナログに戻すのは難しいでしょう。やはり事務専門のスタッフを増やすしか可決策はないと思います。
私も事務負担の増加は大変な問題と感じています。私は学校現場でもこの問題が深刻になっていると知り合いの教員の方から伺いました。すべての記録を残し、管理しなければならないというのは、百歩譲って仕方ないにしても、その負担を全部現場に立つものに負わせるというのは納得がいきません。現場にたっておられる方々はその仕事をあらゆるものをかけて成し遂げようとしているのに助けるのではなく、むしろ邪魔になっているというのは仕方ないで片付けるものではなく、その構造が間違っている、もしくは、不完全であると判断すべきだと思います。それを改善するための行政の動きが必要だと思います
事務負担が大きくなって本来の仕事ができないということは本末転倒だと思います。しかし、現状は仕事の効率は良くなったものの、そのせいで細かい雑務が増えてしまいました。ボールペン1つ買うのにいろいろ手続きがいるというのも驚きでした。しかし、どの雑務も必要なので怠るわけにはいかないと思います。なので、仕事量を減らすためには人をもっと雑務専門の人を雇ったりするのも1つ方法だと思いました。しかし、そうすると人件費がかかったりしてしまいます。すぐに解決できるという問題ではなく長期的な目でやっていくしかないのかなあと思いました。
コンピュータの普及によるOA化の進行について、私はメリットばかりに目が行ってしまっていたので、実社会においてはデメリットも生じているということに気付けていなかったのは情けないです。特に現在医師の不足が深刻化している医療現場においても、このような問題が起きているというのは、非常に由々しき事態であると思います。人員不足に加え、事務負担の増大、それによるサービスの質の低下という悪循環は、特に地方や離島などといった場所での医療においては、致命的な問題であるため、やはり事務人員を雇用するという即効性のある対策を行い、そのための経済支援を行政が実施するという対策しかないのではないでしょうか。
本来、実務が効率的になれば他のことへ時間を回すことができるはずですが、先生の記事を読んで、OA化は本質的な意味では効率化してないのではと感じました。
効率化を図ったところで、サービスを向上させることに役立っていないのは効率化と言えません。私も含めて、なんでも機械に頼る世の中になってしまい、目先の利益、便利さなどに目を奪われて本当にやるべきことが見えてないのではと思いました。何のための効率化なのか考え直す必要があると思います。
いくらコンピュータや情報機器の発達により事務が効率的に進めることが出来るようになったと言っても、その分の余裕を人件費の削減に当ててしまっている現状ではサービスの向上に繋がらないのはある意味当然と言えますね。
根本的に考えると例えば家電製品の進歩により30年前より明らかに家事仕事なども楽になっているはずなのに生活は苦しくなる一方という不思議な現象が起こっていると思います。我々日本人は特にですがどれだけ便利な世の中になろうと本質的な労働量は変わらないのではないかと感じました。
現職の先生からお話を聞く機会があり,教育現場においても事務量は多く,場合によって教材研究の時間も取れないくらいの負担になっているそうです。事務員を増やすなどして,適切な人員を配置すれば負担は減りますが,その分お金がかかると言う方もいます。
しかし,事務作業によって児童生徒にかける時間が少なくなったり,長時間労働で体を壊してしまったりするのは,本来の「教師」という仕事とは違うと思います。いじめなどの問題がメディアで大きく取り上げられがちですが,一生懸命時間を費やして働く先生方もたくさんおられます。もう少し「教師」という職に気遣いがあってもいいのではないかと考えます。
病院までもがサービス業のようなことをする社会になったのですね……。これから、様々な業種でサービス的労働が一般化していかないか不安です。「して当たり前」のような風潮が広まらなければいいのですが……。
事務員の確保は絶対に必要なことだと思います。お医者さんが機能しなければ、それこそ医療や健康に問題が発生し、最終的には国民全員が被害を得ることになってしまいます。電子機器の発達は確かに社会を便利にしましたが、だからといって個人の仕事の負担が増えてしまっては本末転倒です。事務仕事内容によっては医師免許など特別な資格も必要ないと思いますし、何より雇用が増大して失業者などの救済としても効果があると思います。今はまだそこまで問題が複雑化していないようですし、これ以上悪化す前に、早急に対策を立てるべきだと思います。
医者は本来、人を治す人、人の病気を治す人であってしかるべき人です。権利などの問題から医者だけでは解決しおえない問題でもあると思います。法的責任を恐れ、医療へ向かうまでの手続きの上で時間をとられ、サービス(医療)そのものが怠慢となっているのでは、消費者(患者)が不信感を抱くのも当然のことだと思います。人件費はかかるでしょうが、事務のための人材を雇い、また、医者は本来のサービス(医療)の向上に目を向けることがあってしかるべき姿だと思います。先生のお話を読んで、医療現場について新たな視点から再認識させられました。
「OA化による時間短縮・効率化」といったイメージが先行しており、OA化によって「事務作業の増大」「何事も管理・記録」というような問題点について、このブログ記事を読んでハッと気づかされました。特に医療や教育、介護といった、人と人とのつながりや信頼が大切となる場において、この問題は深刻であると思います。医師や教師、介護者に何よりも求められていることは、患者や生徒、要介護者への対人サービスであるはずです。しかし、現代においては、その情報を記録することが求められてしまいます。誰に求められるのか。現場にたっている人。これでは、最も大切にすべき対人サービスがおろそかになってしまい、本末転倒であると感じます。この問題を解決するには、やはり、事務作業を行うスタッフの導入だと思います。医師や教師、介護者といった方々が、対人サービスのほうに力を注げる環境を作っていく必要がありますよね。
私は事務量に関しては、電子化したからといって必ずしも減少しているとは考えられないと思います。物によっては効率よく事務をこなせるようにはなったとは思います。しかしすべての物に対してOA化するというのもどうかな、と思う部分はあります。そのシステムを使う人が使いやすいと思ったら使えばいいと思いますし、ここはアナログな方がいいと思ったらそうするべきであると思います。研究費でボールペンを買うのに書類をきちんと作成しなければならないというのも、確かに研究費をどう使ったかは明確にしなければならないというのはその通りですが、何を買うかによって書類も簡潔にするとかできると思います。他にもOA化したことで人員削減できるというように言われたりもしますが、それによってサービスの質が落ちるのでは削減も何もないと思います。最新の媒体が入ったのであれば、それに詳しい人を担当の役職につけたりしなければならないと思います。それができれば少しは改善するのではないかと思います。
私も教育の場で、事務のOA化により教師の仕事量が減り子どもとのふれあいの時間が増えたという状況ではなく、逆に事務仕事量は増えたのではないかと感じることがありました。
当たり前のことですが、医師の本当の仕事は病気の患者を治すことであり、教師の仕事は子どもたちに教育をすることです。しかしこの当たり前のことが当たり前ではなくなってきているのではないかとも感じます。
様々な事務作業の電子化を進めている世の中では、いかに正確に速く情報を伝達するのかばかりに目がいきがちになり、一番大切なことが見えなくなっていると思います。
患者や子どもたちにしわ寄せがきているのに、なんのために事務作業のOA化を進めているのかわからなくなってしまいます。
せっかくの便利な機能をもっと有効的に使えるように考えていかなければいけないと思います。
事務量の増大が、医師の負担となり、医療不信を生み出す…。医師が医師として最も肝心なことができない状況というのは、とても深刻な問題だと思いました。そして、これと同じ問題が教育など様々な現場で起きているということに危機感を覚えました。学校でも、教師は膨大な事務処理に追われ、子どもとの関わりが減ってしまったり、教材研究が満足にできなかったりするという現実があると思います。どうにかして人員を増やしたりすることはできないのでしょうか。医師として、教師として、より質の高い仕事ができるようなシステムを作ってほしいと思います。
事務のOA化に関してもちろん大きなメリットがあるのは間違いありませんが、やはりそれに見合ったデメリットも存在することは否めません。本文では医療に関することでしたが、医療だけでなく他の職業でも特別な資格を持っていない限りその本人しか扱えない書類は多数存在すると思います。その資格者にかかる負担は医療と同様大きいので、事務のOA化はあまり効率が良く無いように見えるかもしれません。しかしだからといってこの情報社会のなかで一つの企業や機関
だけが手作業で仕事を進めるわけにはいかないというのが今の現状であるように思います。
技術が発達する分、メリットとデメリットが同時に出現するのは当然と言えば当然なのですが、それを予測できないというのはなんともやるせないことです。
事務用の人員を配置するというのは至極もっともな解決方法だと思います。もちろんその分の人件費などはかかるのでしょうが、ただでさえ就職難の時代なのですから、そういったところで就職口を増やせば社会への貢献にもなるのではないでしょうか。
医療の質を上げるための手続きが逆に医療の質を下げてしまう、本末転倒な状況です。これから先、このような体制が改善されることを祈ります。
便利になればなるほど仕事量は増えると感じます。20年~30年前と比べものにならないほど便利になりましたが、効率が上がり短時間で仕事が出来る分、はっきりいって無駄な書類作成を要求される機会が増えたと思います。記事内でも触れられていたようにボールペン一本を購入するだけでファイル作成、捺印、提出。研究費の使途を透明化することは大切だとは思いますが、雑務により指導の時間が削られては便利にならない方がいいくらいです。サービスの利用者である私たちはこのような点に目を向け、無駄な雑務を増やすことより、サービスの質が向上しているかについて消費者主権を行使するべきだと考えます。
自分は教育学部に所属しているのですが、様々な教育についての講義の中で、いま学校現場において事務負担の増加がとても大きな問題になっているという話をよく耳にします。その問題がより深刻になっていっているという話も聞きます。現場に立つもの事務負担が増加することによって、本来の仕事に支障が出てしまっては本末転倒です。私はそのシステム自体が間違っているか、改善すべきだという判断が必要だと思います。
医療、福祉、教育において、自己決定権が患者・子ども・保護者にあるとされ、医者も教師もインフォームドコンセントを求められ、それがますます大きな流れになっていることに、私は疑問を感じます。歴史的に見て、ある時代ではそれが必要であったことは確かだと思います。しかし、それが新自由主義の流れによって肥大化され、患者・子ども・保護者には自己決定・自己選択をする権利があるという主張に隠された、患者・子供・保護者の自己責任という問題に気づく必要があるのではないでしょうか。自由があるとされている一方で、その責任は患者・子供・保護者に押しつけられます。医者や教師のもつべき責任ということも考えるべきであると思います。
私は今のところ、将来教師を目指しています。そんな私にとってこの問題は目をそらしてはいけない問題です。技術が発展し、便利になった一方で情報の流出など問題も多くなっています。しかし、そんな便利さを常に求めてしまう私たちは、便利になっていく一方で生まれてくる問題に向き合わなければなりません。私たちは技術の発展を止めることはできないのですから…。教師で言えば、教師にも成績をつけたり、授業の準備をしたり、それに加えて生徒だけでなく、保護者への対応などたくさんのすべきことがあります。すべき事務作業などが多くあり時間は減る一方で、生徒とも関わらなければならない。この狭間で生活しなければいけないのが教師です。地域の人がテストの丸付けを行うなど、教師の仕事をすこしでも少なくして、教師に生徒と関われる時間を作ろう、という取り組みもありますが、それが行われていない学校があるということも現実です。サービスそのものを重視すべきなはずなのに、サービスのためのマネジメントに時間をとられてしまうというのは矛盾していると思います。事務のOA化が進んでしまい、昔のようには戻れない今、こうなってしまった状況の中でそのマネジメント作業を周りの人がサポートして行い、支援サービスの質をすこしでも高めようとすることが必要なのではないだろうか。
医師の事務量の増加は、看護師や助手など、周りのひとたちに上手くサポートしてもらえば少しは状況は良くなるのではないかと思いました。もっとも、これは大きな病院にしか当てはまらない意見かもしれませんが。
授業の出席のとりかたや成績の付け方などは電子機器とアナログのさじ加減をうまいこと調節すれば実際アナログだけの時代よりもプラスなことが多いとわたしは思います。
しかし学校側はもうすこし現場の講師たちにすきなようにやらせてもいいのではないかと個人的には思います。
サービスの効率化を目指した結果、事務量の増加・サービスの質の低下という矛盾した事態を引き起こしてしまった点に問題はあると思います。OA化は便利な一方、問題点もあります。例えば、1つのデータの入力ミスが大きな事故につながるということや、現在大学内で問題となっているタブレットに学生証をタッチしたら帰る生徒が現れるということです。このような事態を防ぐためには人間による監視が不可欠です。しかし、それを医師や教育者などが行うのではなく、垣添氏が述べているように事務の仕事のみを担当する人を雇用する必要があると思います。
教育学部の学生として、教育の現場にも関わる大きな問題であると感じた。
コンピューター技術が進み、便利になることは良いがそのことにより事務量が増加し、生徒たちに費やす時間が少なくなってしまうこの現状ではOA化を進めた意味がないと感じた。
教授のおっしゃっている通り大切なことはサービスの質の向上であり、今のこの状況ではむしろサービスの質を低下させていると感じた。
しかし、補助員を増やすとしても専門的な知識を持たない者ではむしろトラブルなどを引き起こしてしまう可能性があるので、今すぐ解決できる問題というよりは長い時間で解決していかなければならない問題だと考えている。
医師の負担が大きいという話は、ドラマなどでよく取り上げられているが、それらはほとんどが医師が不足によるものとして扱われている。
そのせいで、多くの人は医師を増やすことでしか、負担を軽減できないと思っている。
しかしこの記事を読んで、医師のように育成の大変な職業の人を増やさなくても、事務をこなす人を増やすことでも負担経験につながることがわかった。
この記事のに書かれているような、事務仕事の増大による、医療の質の低下などという、おかしな事態は事務仕事をする人を増やすことで、早急に解決すべきだと思う。
消費者の権利とサービス提供側の労働量のバランスというのは確かに難しいものです。やりすぎではと思うようなサービスを目指すあまり事務の量が増え、末端のサービスの質が下がるという話もあるかもしれませんね。
更に、いわゆるデジタルデバイドの問題も重なりうまくサービスの質が上げられないということも納得できます。消費者はサービス供給者に少々奉仕精神を求めすぎなのかもしれませんね。
多くのことが電子化されるようになった現代において、物事を効率よく時間を短縮するために行なってきたことが逆に事務量を増やし、様々な面において問題が発生していることに、とても違和感を感じます。まだ電子化によって不便さを感じたことがないから分かりませんが、宗澤さんがおっしゃっていることが正しいならば、これ以上、物事を電子化することに意味はあるのか疑問に感じました。
私は先生の意見に賛成です。
インターネットの普及は確かに今の社会に多大な利益をもたらしたと言えると思います。
それは膨大な情報を管理し利用することが可能となったからです。
しかし、そのことが今回のことのようにインターネットを使用する現場に悪影響を及ぼしている状況を生んでしまいました。
コンピュータが発達することで得られた利益を活かしていくには現場の1人に任せるのではなく、その仕事をサポートしていく人の存在というのが必要不可欠であると思います。
事務のOA化によってサービスの質が落ちるという本末転倒なことが起こることを防ぐにはその方法が必要だと思います。
わたしは教育学部に所属している学生で、先日小学校に4週間の教育実習に行ってきました。先生の記述にもあるように、教育現場でも事務の増大による教師の仕事量増大、就労時間の過多、授業準備時間や子ども・保護者との関わりに割く時間の減少、そのために子どもや保護者と適切な関係を築けずに学級崩壊、モンスターペアレント問題、いじめなどのさまざまな問題が起きているとわたしは考えています。解決方法としては、事務員の配置や事務量の削減なども考えられますが、少人数学級化というのがその他の面においても最も有効な手段であるのではと考えます。医療においても教育においても、サービス化が進められている現状を受け止め、その中で有効な手立てを考えていく必要があると思われます。
医師の負担を減らすことはとても大切な事であると思っています。確かに、医師は職業柄、裁判沙汰になる事が多く、そのため様々な同意書を要します。このことは、必要なことであると思います。ですが、唯でさえ忙しく、医師不足が騒がれてるのに先生のおっしゃる通り事務の手続きに手一杯になってしまったら、それこそ本末転倒だと思います。医師も人間ですから医師の負担も考えてやはり、医療クラークが必要なのではないでしょうか。
今回、教育、福祉、介護でもOA化によって便利になった事の側面を知ることができました。私はまだ、サービスの提供される側の人間であるので、先生のような視点を持ったことがありませんでした。これを期にこれから考えを深めていきたいと思います。
本来あった日本の社会システムや文化そのものが、便利さや効率性を求めるがゆえに失われている現実が間違いなくあります。それは、「教育」においても「医療」においても同じことが言えると思います。常に、技術の飛躍ばかりに囚われていることに気づいていながらも、見て見ぬふりをしているような、そんな気がしてなりません。IT化が進み、技術改革ばかりが早とちりしていく一方で、わたしたち人間の倫理観が果たして追いついていけていけるのだろうかをもう一度見直す必要性があると考えさせられました。
教員志望であるので教育の場面を想定して書いてしまうが,教育に関する問題を後を絶ちません。それどころか,問題は増え続ける一方です。問題が増え,事務的な仕事も増えるが,教員にとっての本来の仕事は子どもの教育であるべきだと感じています。事務の仕事が多いと,子どもに目を向けることが十分にできなくなるので,また問題が増える。日本人は理想論として教育の重要性を語るが,どんなに語っても結果的には,教育に手を抜けないという価値感を持っていない。教師には子どもと人間関係を育む時間を与えるべきである。教師のように使命感が重要とされる職業から使命感がなくなってしまう時代もそう遠くはないのではないかと考えてしまうと恐ろしい。教師だけでなく職業には1つひとつ明確な役割を与え社会に扱われる個人ではなく,自ら現状を見極め動いていく集団社会を目指すことが大事であるように思う
ここ数十年でOA化が進み、何をするにもパソコンのデータ化を伴うようになった。パソコンは人々の生活と密接に関わっている。私たち学生でさえもパソコンなしに過ごす日はないほどだ。パソコンなどの機器が日々の生活に大きな利便性をもたらしたことは疑いのないない事実である。しかし、利便性は今までにはなかった、さらなる事務を生み出すことになった。
私をはじめとして、多くの人は利便性に目を向けがちである。私自身も、宗澤先生のこの記事を拝見させていただくまで、OA化がもたらしたデメリットに目を向けることはほとんどなかったが、記事を読み、本当にその通りだと思った。私たちは物事をデータ化、OA化することに気を取られてばかりで、本質の部分、本来時間を割くべきである核の部分に目を向けることを忘れてしまっているのではないか。その部分は早急に改善するべきである。特に医療・教育・介護の場面では。この問題を解決するには、事務的処理をこなす役職を設定するか、事務的処理が増えすぎないよう、節度を持ってOA化を進めるか、の二択しかないのではないかと思う。しかし、技術が目まぐるしく発展していく今の社会では、後者の方法をとるのは難しくもあるだろう。なんとも考えさせられる課題であると思った。
OA化が進み、短縮された時間と新たに増加した時間、そのバランスとOA化に伴う事務の増加の中で本質の部分にかける時間をどう創出していくのか、私たちはよく考えていかなくてはならない。
コンピューターにより、OA化されたのはいいですが、医療の現場において、事務量の増加によって、医師に負担がかかり、サービスの質が下がってしまうのはあってはならないことだし、サービスの質が向上させるための人員配置がされることを願います
私も以前、「事務業務のOA化によって業務ははるかに効率化し短い時間でできるようになったにもかかわらず、人々はどんどん忙しくなっている」というような内容の本を読んだことがあります。これを読んだときはビジネスマンについての話だと思って読んでいたのですが、このブログを見て考え直しました。私たち利用者が質の良いサービスを受けられるかどうかにもかかわってくるのですね。
このような事態がさらに広く適切に認識されれば、私たちのような消費者も状況を深刻に受け止めることができると思います。
たしかに現在の社会は消費者に権利が大きく傾いていて、サービスを提供する側の権利との差が大きいように感じられます。実際に大学に入ってバイトを始めてからその差はとても感じられるようになりました。実際に働くことで、どちらの視点からもみることができ、こんなにも消費者というのは傲慢なのかと気づかされました。消費者もサービスする側の人も対等な権利を持つべきだと私は思うのですが、今の日本では難しいみたいですね。
PCやインターネットが普及し、それによる様々な利便性がもたらされたが、同時にデメリットも生まれているという話はいくつか聞いたことがあります。しかし、このような医療、教育、福祉のサービスの質が低下するというケースは、その中でも特に問題視すべきだと思いました。利便性に取りつかれ、物事の本質を見失ってしまっている最悪のケースだと思います。OA化が進むのは悪いことではないと思いますが、それを利用する本来の目的を忘れないことを願います。
インターネットが広まって事務的な作業効率は格段に上がったということは明らかです。そのことによって処理できる仕事量も増え、それを見越し事務の仕事も増えました。これは近年の「消費者主権」という考えが広まる中では必要不可欠です。だからこそこういった事務処理を専門とする人材が必要なのですが、逆にそういった専門の人を減らし、対人で仕事を行う人が多くの事務作業を処理しようとすると肝心の対人サービスがおろそかになったり、事務処理ミスのもとになったりする可能性があります。これからの情報化社会ではこういった人員削減という考えは早急に見直されるべきだと思います。
現在は以前に比べて電子化が大きく発展し、確かに事務の効率化が進んだと一見思われます。初めは私自身もそのように感じました。しかしこの記事を読むとそうではないことに気づきました。以前に比べ事務が煩雑になったのは、電子化が進んだからというだけでなく、社会全体が厳格になったからだと思います。細かいこともしっかりと記録を残す、など社会が求めていると思います。これを解決できる唯一の方法はやはり事務員の配置強化だと考えます。現段階では私にはこれ以上思いつきません。これは自分にとってこれからの考えるべき課題になる気がします。
インターネットの普及を、便利であると捉える人が多い中、それにまつわる弊害で苦しむ人もいるということを考えさせられました。そして、このシステムを教育において利用する場合は、教育に費やす時間が増えるという前提があるべきなのではないかと思いました。そこにおいて、教育の時間は増えていないということなので、事務をこなす人にとってはただ膨大な量の事務を消化しなければならなくなっているといったところでしょうか。時代の流れにのって何かを取り入れるときは、何を目的として、どのように取り入れておくかを改めて考える必要があり、その成果を踏まえて続けるか続けないかを選択するというプロセスも問われるようになった方がよいと感じました。
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