浪江町一帯をお花畑に
4月26日の参院本会議は、福島復興再生特別措置法の改正案を全会一致で可決しました。「仮の町」の整備、企業立地促進のための優遇税制拡充、国が公共事業を代行する区域拡大などが柱となっています。地域の深刻な問題である福祉・介護領域の人材確保については、残念ながら、ここには何も盛り込まれてはいません。
この改正法について、27日付福島民報朝刊は「産業再生と住民帰還の加速化が期待される」と報じる一方で、朝日・毎日・読売の全国紙朝刊は何ら報じていません。原子力発電を推進する国策の下で生じた災害ですから、福島の復興は特定の地域問題ではなく、わが国全体の行く末に係る重大事です。
福島復興再生特措法の報道をめぐる地方紙と全国紙の温度差に著しい不審を感じるとともに、「全会一致で成立」したこの特措法が、果たしてこんな貧相な内容でいいのかという疑問を払拭することができません。
福島原発の事故による被害は、広範囲な地域の自然環境に放射線による甚大で長期的なダメージをもたらした点に、一般災害との決定的な違いがあります。この点が特措法でどれだけ重視されているのかに大きな疑問が残ります。川内村が全戸の除染作業をしたとはいえ、農地はこれからですし、川底などは除染のしようがないために数万ベクトルの放射線量が継続しているのです。
その上、福島第一原発の廃炉作業が安全で確実に進むのかどうか不明です。今でも毎日400トンもの汚染水がとまらず、汚染水漏れの事故など、その安全確実な保管さえ見通しが立っているわけではありません。廃炉作業の序の口でこれだけのトラブルに見舞われてもたついているというのに、原子炉の格納容器から圧力容器に至る中心部の廃炉作業を楽観的に見通せる人など、現時点ではこの世にいないと考えます。
それでも、今回の特措法改正によって「産業再生と住民帰還の加速化が期待される」と言うのです。原発事故が「終息」していない厳然たる事実と自然破壊の問題をスルーしたまま、このような主張を産む法制度にどのようなリアリティがあるのでしょうか?
配電盤でネズミが感電するたびに電力供給が止まって燃料プールの冷却装置がストップするは、地下貯蔵タンクからは汚染水が漏れ出してこのままでは汚染水の行き場のなくなる恐れさえあるはと、アクシデントが絶えません。住民は、このような「事故」が発覚するたびに、帰還するか否か、農業が可能かどうか、子どもと共に住めるどうかの不安と逡巡に悩ましい思いを強いられてきました。多くの地域住民は、公表されていない「小さなアクシデント」なんて数知れずあると疑っています。これまでの事故の成り行きからすれば、それは当然の疑いでしょう。
人生のほとんどを相双郡に暮らしてきた年寄りの郷愁は尊重されるべきだとしても、若い子育て現役世代の人たちにとっては、自分たちの「故郷を変更する」という選択をするのも当たり前です。これ以上、見通しのない不安と逡巡に振り回されるよりも、働くことと暮らし・子育てに利便性のある新天地を求めるのは、決して「これまでの故郷を捨てる」行為ではなく、自分たちにふさわしい「新たな故郷を求める」権利の行使に過ぎないからです。
そして、「除染」作業といいますが、それは果たして、広大な地域全体の放射線量を減らすに十分な有効性を担保するものなのでしょうか。
除染作業の実際は、まさにローテクそのものです。高圧洗浄機で洗う、枯葉をかき集める、表土を切除するか天地返しする等。除染作業のはじまった段階からしばらくの間は、この作業さえいい加減にして、枯葉は川に捨てる、高圧洗浄機の使用で出た汚染水はそのまま垂れ流すなどの問題が指摘されてきました。ここに作業員に対するピンハネで45%の事業者が違法行為をしていたというのですから、作業の信頼性自体が崩壊しています。
よくよく考えてみれば、「除染業者」なるものが以前からあったわけではなく、原発事故の以降に突然現れてきました。土建業者のにわか作りで「除染業者」になっただけで、相双郡の除染にあたる業者のほとんどが外部から入ってきた業者だと言われています。
地元の人たちからは、次のような話を伺いました。
「除染」作業が始まった段階で、まず多くの地元の人たちは治安の悪化への懸念を感じたということでした。業者が宿舎とするホテルとその周辺では、「外からやって来た元気な業者の作業員」が夜中まで騒ぐことが問題となったため、若い女性には早い時間の帰宅を促しています。
次に、手配師や業者による危険手当等のピンハネの被害者の中には、どうも障害のある人たちが含まれているらしいということでした。危険な地域での作業はなかなか人が集まらないため、事情をよく説明されないままに連れてこられた軽度の人たちのようです。一日の仕事が終わって作業員が解散する駅では、切符の購入の仕方が分からずに右往左往しているというのです。
以上のような地域の抱える様々な問題は、福島第一原発を中心とする少なくとも浜通り全体の問題であり、市町村単位の復興計画や町づくり構想から克服可能な課題ではありません。放射線被害による自然環境・生態系の破壊が土台にあって、これからさらに不透明な廃炉作業が何十年も続くというのに、インフラ整備や企業誘致の税制優遇策で地域再生が見通せるかのように主張する言説と政治家は、事態の本質を隠蔽しすり替えているのではないでしょうか。
NPO法人Jin代表の川村博さんは、障害者支援事業の展開とともに「サラダ農園」を経営されてきました。川村博さんは、「浪江町一帯をお花畑にしたい」とおっしゃいます。
私は、川村さんの提案にもっともリアリティがあると考えます。
廃炉作業を含むこれからの50~100年を、生態系と自然環境の再生のための国家的プロジェクトを実施する特別地域として浜通り全体を指定し、住民帰還や産業再生は当面の課題からは外すべきです。拙速な復興幻想に住民を振り回すのではなく、日本の原発政策の失敗がもたらした世界中の人たちと地域環境に対する冒涜について、世界史に類例をみない反省と信実さによって大地を回復させていくプロセスの中に、真の復興に向けた一筋の光がはじめて差し込んでくるでしょう。
コメント
被災地の方々の中でも特に、農業や漁業などの自然環境と関わりの深い仕事をなさっていた方。今でもなかなか復興の兆しを感じることができず、先が見えない、苦しい状況であると思います。
被災地の方にとって、本当の「復興」とは何なのでしょうか。私たちの考える復興は、何か違っているのかもしれません。「産業再生と住民帰還の加速化が期待される」この言葉がテレビから流れれば、私はああそうなんだ、とほっとしたような気分になっていたでしょう。反省します。
ただ、この、リアリティのない言葉にさえすがりたい人もいるのかもしれないとも考えます。原発の被害が比較的小さい(あくまで、「比較的」小さい)地域であれば、やはり活気が戻るかもしれないと期待すると思います。人の賑わいを感じたいと希望すると思います。そこに住み続けたいのならばなおさらです。必ずしも、政府が行っていることが無意味なわけではないと信じたいです。
しかし、被害の大きい地域の除染作業については…
ピンハネ問題、そこに暴力団が関わっていること、ずさんな作業、除染業者の素性が把握しきれていないという事実など、数多くの問題が新聞でも取り上げられていました。
被災地の方にどれだけ心の負担をかけたら気が済むのだろう、というのが率直な意見です。不安や苛立ち、政府への不信感は募るばかりだと思います。
復興予算は復興のために使う。被災者に経済的な支援を続ける。そして、真摯にひたすら除染作業に取り組む。これらのようなことが順調に進んでいる、と聞ける日が来てほしいです。
テレビでのインタビューで「政府は自分たちの利益を優先している。」というようなことを言っているのを見たことがあります。復興に対する行政は疑問点が多いです。復興予算が目的とはかけ離れたことに使われている。金銭面の打ち切りが早すぎる。Twitterでの高官の信じられない発言など。そのようなことが報道されると政府は利益優先と考えられてもおかしくない。「被災者様たちのために精一杯・・・」なんていう言葉は建前に過ぎないのだろうと思います。
地元の除染業者の話では、(福島フクシマFUKUDHIMA 「除染の現場からある親方の証言」http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-75.htmlより)特に子供たちにとってここはもう住む場所ではないとまで話している。自分の故郷をこのように表現する心境を考えると心苦しい。故郷を除染するのに手を抜くわけがないのに外部の業者と一緒くたにされる、やるせなさは相当のものだろう。除染が難航する中、インフラ整備や税制優遇策で地域再生を主張する政治家は、被災地のことを考えていますよというアピールをしているだけにも思えた。
私も浜通りではありませんが福島県内に10数年住んでいたので地震と突然始まった「除染」には異質な雰囲気を感じました。除染内容はブログ内にも登場したとおりローテクで、要介護施設や子どもたちが通う学校で行われていた大々的なものを挙げても、せいぜいグラウンドの土をはがして入れ替え、一箇所にまとめるといった程度で放射能に対する知識が希薄な近隣住民の不安をかえって煽るようなものになっていたという印象でした。
ブログに登場した、障がい者が適切な説明を受けないまま作業員として派遣されるという現実があるということを耳にする機会も少なくはなく、このままでは福島県事態が「悪者」扱いを受けてしまうのではないかと我ながら身勝手にも思える不安を覚えてしまいます。
現状の責任を国にのみ押し付ける気はありませんが、「福島県に行く」という行為が「問題」となるような現状だけは打開してほしいものです
東日本大震災によって引き起こされた、福島の原発事故。もう2年以上もたってしまったのに、まだ「復興が進んでない」「除染が終わってない」など今でもたくさんテレビなどで聞きます。しかし、いくら被災地にためにと思って、支援したり、対策したりしたことでも、それはあくまでも私たちが勝手にこれが必要だろうと思っているだけで、被災地の方からしたら、本当はもっと違うことが必要だったりしているんじゃないかと思います。なぜなら、震災を実際に体験したり、原発事故に近くにいた方にしかわからないことが、本当にたくさんあると思います。よって、被災地の支援をするときは、ただ一方的に物資を送ったり、援助の人を送ったりするのではなく、被災地にいるそこに住んでいる方々とよく話し合いをして、相談をして、その土地にいる方の意見を踏まえて、これから支援いていった方が良いと思いました。
現状、被災者を故郷に戻すというのは、行政の被災者への支援の状況を考えるとあってはならない考えだと思います。この記事を読み、被災者の不安・恐怖が解消されていない現状があると知り、それなのに行政は被災者を「危険な場所」へと返そうとしているのかと考えると、強く不満を感じます。なぜ除染作業や住まいでの介護・福祉問題のような、現時点で不安や恐怖の源となっているはずである部分への対策が徹底されないのか、甚だ疑問です。
わたしは福島県出身なのですが、やはり原発でうけた被害は大きく二年以上たった今でも故郷に帰れない友達もいます。浪江町をお花畑にするというアイデアはほんとうに素敵だと思いました。一日でもはやくもとの生活ができるといいなと思います。
核分裂を利用した発電で事故を起こしたということは、事態を収束させることは非常に難しいと言わざるを得ません。それこそ除染した所でどうにもなりません。セシウムの半減期が30年そこらで今も排出し続けているという現状から鑑みるに少なくとも私が生きている間に事故以前の状態に戻すことはまず不可能でしょう。言い方は悪いですが福島原発まわりのかなりの範囲で、もはや長期的に住むことは出来ない地域となっています。そこに人を戻すという試みは、まるで現状を理解していない馬鹿げたものだと言えるでしょう。むしろ私は出ていくための支援すら必要だと思います。
このブログを読んで改めて外からの復興支援がいかに建前のもので薄っぺらいものであるかを感じました。ニュースなどで中央の人間が被災地を視察した話はよく聞きますが、彼らは本当に被災地のかたの声を聞いているのだろうかとよく思います。今もたくさんのかたが仮設住宅での暮らしをしていますが、雨漏りがしていたり、暑さ寒さをしのげないものであったり、生活するのには十分ではないものが多くあります。バリアフリーに配慮していないものも多く、お年寄りや障害を持ったかたたちがここで生活することを考えているのかと思うものもあります。地震か起きてから2年以上もたっているのにこの現状が続いてることに憤りを感じます。最近は全国区での被災地での状況を伝える報道はあまり見なくなりました。私自身、震災のことを意識することもだいぶ減りました。被災地のかたの生の声を聞ける機械はほとんどありません。しかし、被災地の復興のために必要なのは外からの意見よりも、現地の声だと思います。現地の声や現状をこれからも私たち外の人間が知ることと、知るための努力が必要だと感じました。
私の実家は清掃会社を経営していて、南相馬市の小中高の学校の除染の一部を任されていたときがありましたが、実際その他の業者には、外部の会社、業者もいたと聞きました。
除染作業については、充分に対応できないところ(樹木など、そのものを除去しなければならないもの)などを除けば、線量をある程度減らすことはできていると思います。しかし、外部の業者については問題しかありません。学校では「不審者の声かけ事件が発生しているので、登下校時は注意するように。」と集会で伝達があったり、業者の仮住まいとして建てられた仮設アパートの近くのコンビニなどでは、万引きなどの問題が急激に増加し、警察の取り締まりも厳しくなっていきました。復興のために作業を行ってくれていることには感謝していますが、行政ももう少し考えることはできなかったのだろうかと思います。
今回のブログを読んで中央からの復興支援がいかに建前上で薄っぺらいものであるかを感じました。ニュースで中央の人間が被災地を視察した話は聞きますが、彼らは本当に被災地の方の声を聴いているのかと思うことがあります。被災地には仮設住宅で生活しているからがまだたくさんいます。仮設住宅には雨漏りがしていたり、暑さ寒さをしのげないものなど生活に適しているとは言えないものもあります。また、バリアフリーに配慮しているものは少なく、お年寄りや体に不自由がある方は非常に苦労していると言います。震災から2年以上たっていますが、このような状況がいまだに続いていることに憤りを感じます。最近、全国ネットでの被災地の今を伝える報道はだいぶ減りました。私自身被災地のことを考えたり、被災地の方のためにと思って行動する機会は減り、現地の方の声を聴く機会もほとんどありません。しかし復興に必要なのは外の人間の意見よりも、現地の方の生の声です。現地のニーズに合った支援をするためにも、被災地の声を聴くこと、その機会を自分から探していくことが必要だと感じました。
私は宗澤さんの意見にとても共感しました。地元が福島なのですが、記事にもあったように「浪江町一帯をお花畑にしたい」というほうが非常にリアリティがあると感じられます。しかし現実では、国の復興対策にはリアリティがあまり感じられないように思われます。とても難しいことではあるが、もっと現地の人々の不安を解消できるよう、国全体が努めていくべきだと思います。そして、絶対に原発事故を忘れてはいけないと思います。
私も去年の夏に大学の企画の一つとして飯舘村と南相馬市の視察に行ってきました。そこで、放射能により全村避難となっている飯舘村では常に国との戦いが起きているという話がありました。いきなり避難させられたけど避難地域の盗難や、お年寄りが避難先で亡くなるなどの問題に対する対策がない。また放射能に対するリスクと避難生活によるストレスに対するリスクの割合は、若者とお年寄りや夫と妻などの立場の違いでとても大きく違う。現場にいる人しかなかなか現状は分からないと改めて思いました。現場と国がもっと話し合ってつくる法も必要だと思います。
報道されていない日々の「小さなアクシデント」や「除染業者」のずさんさなど、これまで全く考えたことがなく、自分がこれほどまで震災の被害を他人事としてとらえていたのかと反省しました。にわか作りの除染業者や除染業者としてよくわからないまま連れてこられた障害者たちを責めてもどうにもなりません。全国みんなが納得できる日がくるまで、日本全体で取り組むべき問題です。
浪江町の鶏卵を出荷しています。次に、野菜が出荷できるよう頑張ります。
原発事故で影響を受けた土地を、お花畑にしたいという提案が胸に響きました。原発被害を避けるために違う土地へと移住した人々はたくさんいます。同級生と離れ離れになったり、地域の人々とのつながりが切れてしまったりと、原発事故は人と人とのつながりにまで影響を与えてしまいました。この記事を読み、除染作業の問題や、そこで働く人々たちの問題、その影響を受ける地元の人々のことについて知りました。すぐに以前のような環境を取り戻すことはできなくても、将来に希望をもてるような取り組みが行われてほしいと願います。その土地に残った人々だけではなく、いつかその土地に帰りたいと思っている人にとってもそのような希望はとても大切だと考えるからです。被災した土地をお花畑にするという提案は、具体的なイメージをもつことができる素敵な提案であり、また、将来への希望につながる提案であると思いました。
いとこが福島に住んでいて、やはり原発で受けたダメージは大きく、僕の実家がある長野県の小学校に転校しました。本当に被害が大きいところでは今もまだ帰れない人がいるそうです。浪江町をお花畑にしようとする提案はとてもいいと思いました。このようなアイデアが被災地に元気を与えると思います。
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