折り重なる困難と歪み
福島名物といえば、円盤餃子とイカ人参。円盤餃子は一皿30個が地域の標準単位です。ボリュームを感じさせますが、あっさりとした味わいが身上のため、一人でも一皿ぺろっと頂くことができます。これはもうビールを注文するほかないでしょう。
表面カリッ、食むとモチッ、旨!
お店には、こんなポスターが張り出されていました。このポスターは、独立行政法人放射線医学総合研究所のホームページから作成したものだと小さく書かれていました。(http://www.nirs.go.jp/search/?q=%25E3%2583%2593%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AB)
こんなポスターが
私は、ビールに放射線防護効果のあることをはじめて知りました。ただ、美味しい餃子を頬張りながらこのポスターを眺めていると、やるせない気持ちが込み上げてくるのです。このポスターの意味は理解するとしても、一息つくために訪れた呑み屋にこのポスターが貼りだされているのは、どことなく筋違いのような感じが否めません。客がこのポスターを見て、「じゃっ、生ビールおかわり!」となるのでしょうか。少なくとも私は、気持ちが重くなりました。呑み屋で酒を注文するときにも、「放射線防護効果」を考えなきゃならないのかと。
さて、前回のブログでお伝えした福島における「支援者支援の課題」についてです。「大変な状況に追い込まれかねない支援者を支援する課題が存在する」という点は、よく理解できます。しかし、このような問題が出来してしまう背後には、そもそも筋違いな事の運びがあるからなのではないでしょうか? 私見を先に言えば、この問題は支援者と事業所・地域の課題に収まるものではなく、国家的な特別のプロジェクトによる問題の克服が急務です。
避難指示の解除された地域に、子どもたちとお母さんは戻ってきません。お父さんたちも、地域産業が壊滅的打撃を受けて雇用の場がありませんから、戻って暮らす術はありません。避難指示の解除とともに真っ先に戻ってくるのは、行政職員と高齢者・障害者だけだというのが地域の現実です。
これらの人たちには、公務員としての給料か年金の収入があるため、地域の産業と雇用の喪失にかかわりなく、ひとまず糊口をしのぐ術があります。ところが、少数の行政職員と大勢の要援護層の人たちだけが帰還することは、子どもたちから壮年期の人たちの欠けた歪な人口構成をつくります。この状態のままで、地域社会が成立するわけはありません。ここに、支援者の慢性的なマンパワー不足と要援護ニーズの累積という、この地域における特別の問題構造があります。
さまざまな支援事業者が求人をかけているため、看護師やケアワーカーなどは奪い合いです。ある事業者が求人をだしたところ、応募してきたのは60歳以上の人たちばかりで、重介護に求められる基礎体力への不安が治まらないとおっしゃいます。このようにして一向にマンパワー不足が解消されないとなると、どうしても人手を要するサービスは、たとえば入浴サービスを典型として、供給量を抑制せざるをえないのが実情です。
避難所から仮設住宅への入居が進んだ段階では、行政の「想定外の問題」(さすがにこの言葉は聞き飽きましたね!)が数々と起こりました。
仮設住宅は、原則として世帯単位で割り振られます。福島の浜通りの住宅は、漁師や農家の一戸建てを中心に居住面積が広く、三世代の暮らしが一般的でした。この家族員すべてが狭い仮設住宅一つに押し込まれるのですから、子どもは体を思うように動かすことができず、夫婦生活はなくなり、些細なことから諍いや苛立ちが生じるようになって、家族内部に不適切な関係性が醸成されていきます。
息詰まるような仮設住宅の暮らしに起因して、老夫婦だけを仮設住宅に残し、若夫婦と子どもたちはアパートを借り上げて引っ越していく事態が続いています。つまり、仮設住宅が暮らしの営みを長年紡いできた三世代家族の破綻と離散を招いているのです。
仮設住宅に元からバリアフリー仕様のものはありません。障害のある人たちを締め出す構造で設計されています。そこで、地域の支援者の皆さんは、要介護状態や車いす利用者でも入居できるようにスロープの設置を行政にかけあってきましたが、スムースに行政がこの要望に対応してくれることは最後まで無かったそうです。
バリアフリー化への対応がはじまった段階でも、チグハグだらけでした。
仮設住宅の入り口は、風よけをつけるか、スロープをつけるかの選択が可能となりました。しかし、仮設住宅は庇のほとんどない造りのため、スロープをつけても雪が積もればスロープの意味はまったくないのです。右片まひのある人の住む仮設住宅で、入り口の右側だけに手すりをつけることまであったそうです。
目に不自由のある人たちにとっても、仮設住宅は過酷な環境でした。
仮設住宅は、同じ造りの棟の連なったものを1ユニットとして、複数のユニットが広い敷地に平行して配置されています。どれもこれも同じ造りのものが並んでいるのですから、白杖でどこを叩いても違いは出てこないし、弱視の人ならどこもかしこも同じ色の同じ風景に見えます。これでは、仮設の敷地内で自分の居場所を定位することはできなくなります。
住み慣れた地域であれば、目に不自由のある人でも街や道路の造り・色などに経験値があって、空間定位と移動にさほどの困難がないのに、仮設住宅に移ってきた途端に著しいモビリティの困難に襲われました。モビリティが不自由になれば対人交流も乏しくなるため、情報面でも孤立化が進むことになります。
そして、目の不自由な人たちが仮設住宅に移り始めた段階から、移動支援の申請が急増する運びとなったのです。相談支援センターは目の不自由な人たちの仮設住宅における困難を十分にアセスメントしていますから、同行援護か移動支援サービスをつけようとします。ところが、地域にガイドヘルパーは皆目いないのです!!
発達障害のあるお子さんを育てる親御さんたちにも、過酷なしわ寄せを強いました。仮設住宅は防音機能が脆弱なため、行動上の困難のあるお子さんがいる場合、住宅の床には毛布やウレタンを敷き詰めて近所に迷惑がかからないよう心を砕きます。
しかし、避難所から仮設に移ってくるプロセスに強いられた劣悪な生育環境があったわけですから、狭い仮設住宅の中に雪で閉じ込められるような局面で、子どもが大きな声を出すことや床をドンドンと踏み鳴らすことは起きて当然です。でも、親御さんはご近所の手前、いたたまれない。
そこで、お母さんは仮設の中で暴れがちな子どもを車にのせてドライブに連れ出します。昼間から延々とドライブを続けて夜中となり、子どもが疲れ果てて寝入ったら仮設住宅に帰ってくるという毎日を余儀なくされたというのです。震災以降、地域で障害のある子どもを育てているお母さん方からは、「一切の笑顔が消えた」と伺いました。
発達障害のある子どもに向って、「仮設住宅の状況を理解しなさい」だの「音をたてたらお隣に迷惑でしょ」なんて説教をすることは、車いすを利用する下半身不随の人に向って「ここは段差があるから立って歩きなさい」と言うのと同じくらいの不見識であり、人権侵害です。
このように、過酷な避難所生活から仮設住宅に移れば、「健康で文化的な最低限度の生活」がひとまず安心して送れるのかと思いきや、とんでもありません。「一難去ってまた一難」(いや「十難」か「百難」かも知れない)の現状は、まさに社会的虐待というほかないと考えます。
現地の支援者の皆さんは、懸命の努力を続けています。その中から、こんな話がこぼれました。
「東京からやってくる政治家と役人には、これまでできる限りのことを訴えてきました。
政治家は昼前に福島に来て「陳情」を型どおりに聞き終わったかと思えば、夕方に新幹線で東京に帰ってしまいます。
役人に支援者のマンパワー不足を訴えると、『福島だけに特別なことはできない』の一点張りで2年余りが経ちました」と。
支援者の慢性的な不足と要援護ニーズの累積が生み出すギャップは、決して福島だけの問題ではありません。高齢化が急速に進展する今後の、わが国すべての地域の抱える共通の問題であり、その意味ではあらゆる地域の抱える深刻な問題の縮図に過ぎないのです。そうであるにも拘らず、国策に責任を負うべき人たちが何ら知恵も出さないまま、無策を続けていくというのでしょうか?(続く)
コメント
地震が落ち着いてくると同時に、放射能チェッカーが売れ始めたり、風評被害もすごい勢いで広がったりしました。そのような不確かな情報はあっという間に広がるというのに、現地の苦労など伝わるべきことが伝わらないのは悲しいです。支援支援とうたってはいるものの、必要最低限の暮らしをできていない人がいる事実こそ広く知られるべきだと思いました。
政治家たちは現場をあまり見ず、椅子に座って復興について議論しあっていたように思える。そのため、大きな法律としての欠陥が見られたり、被災者のニーズに応じたものが出来てないと感じる。今回ブログに挙げられている仮設住宅の問題やマンパワーの不足などは典型的な行政の失敗といえるだろう。行政が本当の支援とは何か、被災者が求めていることは何かということを早急に考え、実行する力があれば、このような事態は続かなかったし、起きなかったのだろう。今、そしてこれから必要なのは、相手の揚げ足を取ることに精いっぱいの政治家、票と支持を得るための口だけの政策ではなく、柔軟な対応と行動力だろう。
私も政府の介入が不可欠だと思う。
はずかしながら、私も健康者の視点で、仮設住宅の作りを考えていたのもまた事実である。
だが、宗澤さんの意見を聞いて、確かにと納得した。健康者はバリアフリー構造で損をすることはないが、障害のある人は、バリアフリー構造でないと損をする。国の予算の関係など、難しいのはわかるが、両者が生活しやすいようにするには、バリアフリーが理想的であろう。
少し内容と合わないかもしれませんが、『福島だけに特別なことはできない』の言葉に疑問を覚えました。放射能の影響と地震の影響を受けた福島に「特別なこと」をしないでどうするんだと思いました。役人はかたちだけで、ほぼ何もしてくれない。必死に訴えていた人の思いが届かない、そんな政府ではいてほしくありません。
仮設住宅や避難所で暮らす人、とくに障害者の方への配慮はとても重要だと思います。というのもバリアフリーなどの環境が整っていないという物理的な壁と、閉じられた空間でずっと生活していくことへのストレスという精神的な壁の二つの障害があるからです。これらの負担を減らすには他の人の協力が不可欠です。地震の被害を直接にうけていない人たちができる限りサポートすることが大切だと思います。
避難が解除され、行政職員と障がい者と高齢者しか戻ってこない福島の状況は、未来の日本の姿を映し出していると私は思います。政府が今福島に何らかの介入をしなけらば、今そこに暮らしている人たちが困るだけではなく、実際に日本全国でこのような状況が起こた時に政府が迅速で適当な行動がとれなくて、本当に日本は終わってしまうと思います。議員はまず実際に足を運んで自分の目で実態を見てから国民の生活を守るための討論をしてほしいです。一刻も早く他政党の揚足を取るような討論は止めてほしいです。
震災後の支援には不十分な点が多かったように福島県民として強く感じた。身近に仮設住宅があったが、若い世代は放射能の影響もあり県外避難することが多く、高齢者のみの世帯が非常に多かった。しかし仮設住宅の設備は高齢者にとって苦しいものだと思った。段差も多く、落ち着いた生活ができるものではなかったと思う。状況に合わせた有効的な支援が必要不可欠だと感じた。
私は留学生で、中国人です。
皆は知っているように、中国の四川省は2008年に大きな地震があって、十万人以上は遭難しました。今までもう5年を経って、四川省の人たちはどんな生活を暮らしているのは私が知りません。でも当時のことはまだはっきり覚えています。
四川省は人口が一億を超えるから、難民の数も想像できないほど多いです。なので、すごくすばらしい避難所を建てるわけがないです。キッチンもトイレも公共的なのだから、たっだ最低の生活を維持することができます。まだ、地元の求人は足りないので、人たちは四川省を出て、故郷を離れて仕事を探します。しかし、地震後で建てる建物はすごく丈夫で、安全なものだから、皆を少々慰めました。
先生のブログを見て、日本の場合もいろいろな問題があることがわかりました。私から見ると、これらは政府しか解けない問題です。政府は解決しないと、人民は我慢して、最後自分で解決します。ちょっど消極的な考え方ですけど、私はそう思えています。
私も、ビールに放射線を防護する効果があることを初めて知りましたが、やはり看板にそのような効果があることを書いているには違和感を覚えました。
福島=放射線汚染
という偏見が消えず、現地のひとはそれを払拭するために大変なんだと思いました。
そのような偏見、風評被害が一日も早くなくなることを祈っています。
放射線の問題に関しては、全国民が重大な問題だと感じていながら、何となく他人事のように感じている人が多いのではないかと思います。なぜそう思うのかというと、正直、私もその一人だからです。震災直後よりも注目が離れてしまった今こそ、今までの自分を反省し、この問題について考え始めたいと思います。先生のおっしゃる通り、国の行う政策により苦しめられている人がたくさんいるのだと思います。そこで私達ができるのは、ボランティア活動を行うこと、後は、各政党がこの問題に対してどのように考えているのかをちゃんと比較して、選挙投票を行うことだと思います。
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