虐待対応の初動段階
障害者虐待防止法の施行を前後し、私は慌ただしい日々が続いています。10月5日には、さいたま市のノーマライゼーション条例実務者を対象に虐待対応の初動段階に焦点を当てた研修を実施しました(この辺りの内容については先週刊行した『障害者虐待―その理解と防止のために』(拙編著、中央法規出版)に詳しく論じています)。
さいたま市条例実務者研修
虐待対応の初動段階におけるさまざまな実務的問題点は、この4月から虐待事案への対応を進めてきたさいたま市の事例から明らかになったものです。虐待対応を進めなければ、研修課題やネットワーク・社会資源の改善課題も決して明らかにはなりません。
まず、初動段階における高齢者虐待防止法との相違点です。高齢者虐待防止法は、通報、届出の受理、安全確認および事実確認という初動段階における一連の業務を高齢者虐待対応協力者(地域包括支援センター等)に委託することができます。それに対して、障害者虐待防止法は、安全確認と事実確認を市町村の責務としています。
両者にこのような法制度上の相違があるのは、高齢領域では介護保険体制の下で全国のすべての市町村に地域包括支援センターが配置されているのに対し、障害領域では指定相談支援事業の委託事業所が市町村単位で設置されていないため、「障害者虐待対応協力者」を法で特定して明記するだけの社会資源配置に不足があると判断されたからです。「市町村の実情に応じて」といえば聞こえはいいかも知れませんが、障害領域の社会資源整備はそれほど確かなものではないというのが本当のところです。
そこで、市町村職員には、虐待対応の初動段階の担い手にふさわしい知見とスキルが求められるのですが、ただでさえ難しい虐待対応の初動段階に的確な判断ができようになるまでには、しばらくの時間が必要でしょう。合同研修と事例研修を組み合わせたインテンシヴな取り組みを進めることが必要不可欠だと考えます。
次に、「やむを得ない措置」の運用についてです。障害者虐待防止法にこの用語は登場しませんが、他の法律の条項を明記する形で虐待対応に求められる「やむを得ない措置」を規定しています。元規定は、身体障害者福祉法第18条1項・2項、知的障害者福祉法第15条の4・第16条第1項第2号であり、精神障害者と障害者手帳を持たないものについては、身体障害者または知的障害者とみなして「やむを得ない措置」を適用することとなっています。
虐待対応の初動段階では障害のある人の「安全の確保」を最優先しなければなりません。つまり、障害者虐待防止法第9条2項が「養護者による障害者虐待により生命又は身体に重大な危険が生じているおそれがあると認められる障害者を一時的に保護するため迅速に(…中略…)入所させる等」(下線は筆者)とする点です。生命や身体に重大な危険が生じていると事実確認された段階ではなく、そのような「おそれがあると認められる」場合には「迅速に」分離保護を実施しなさいとなっています。
会場の様子
このような初動段階における分離保護の実施は、さいたま市の事例でみる限り、ほとんどの場合、「自己決定・自己選択」によるサービス利用とはなりません。障害のある人やご家族の意向に拘らず、安全確保を要する緊急度が高いと客観的に判断することによって、速やかに保護を実施しなければなりません。ここでも、高齢領域との実情の差異が間違いなく存在しています。
介護保険法の下では、社会資源整備の市町村格差はあるといっても、分離保護を何らかの形で実施する社会資源はひとまず全国で市町村単位に配置されていますし、要介護状態にある高齢者であれば、保護から介護保険による「契約によるサービス利用」に移行することが実務的に想定しやすい現実もあるでしょう。そこで、必ずしも「やむを得ない措置」を用いるのではなく、「契約によるサービス利用」を分離保護の手立てとすることに一定の現実的根拠があるということはできるでしょう(ただし、私は制度上の再検討を要する論点は多々残っていると考えます)。
しかし、障害領域では分離保護をするための社会資源配置は市町村を越えた広域で整備してきましたし、共依存や経済的困窮の深刻な実態も無視できないため、分離保護の入り口の手立ては例外なく「やむを得ない措置」にするべきであると強く主張します。事実確認と安全確認については社会資源配置に関する高齢領域との実態の相違を踏まえて「市町村の責務」とするのに、分離保護に関しては高齢領域との実態の相違を汲まないというのは片手落ちというべきではないでしょうか。
身体障害者福祉法と知的障害者福祉法に規定する「やむを得ない措置」は、虐待だけを要件するものではありませんから、虐待の「おそれがある」と判断するだけで分離保護の手立てを講じることができます。それによって、確実な「面会の制限」も担保することができます。
この「面会の制限」の元となる「引き取り要求」については、いささか厳密な理解が求められる点です。子ども虐待の場合には、親権者の引き取り要求に法的根拠があるために、被虐待児童の安全確保を優先するためには、児童虐待防止法によって「面会・通信の制限」や「接近禁止命令」を定めなければなりませんでした。しかし、障害のある成年が被虐待者である場合、扶養義務者に過ぎない家族に「引き取り要求」をする権限はそもそもないと解するのが妥当です。
つまり、「契約によるサービス利用」による分離保護で家族からの引き取り要求があったとしても、虐待対応を図る支援者側の判断で、面会を制限することは法的に可能です。ただ、子ども期と同じような親子関係が延長するところに障害領域の虐待発生要因がありますから、「やむを得ない措置」を根拠とする「面会の制限」措置を明確にしておくことの方が、虐待対応における無用な混乱を回避するためには現実的であると考えます。そうすることによって、障害のある人を人権主体とし、生活と人生の主人公とする暮らしに向けた支援の組み換えと再構築に速やかに接近できるようになるはずです。
コメント
テーマ「虐待対応の初動段階」読ませていただきました。
障害のある方と養護者介護者は共依存の関係にある。近い距離にいるからこそ虐待の初動段階における分離保護の実施は必要不可欠と言える。危険が及ぶおそれがある、という段階で発見するためには見極めも難しくなると思うが、多くの人が虐待されないようにするためには役所の職員だけでなく近所の方や家族などがアンテナを張り巡らせておく必要があると私は考える。
障害者虐待防止法が施行したようですが、私自身、障害者虐待というキーワードを恥ずかしながら今回初めて知りました。虐待防止の取り組みは、生活や労働にかかわるすべての領域によってなさなければならないものだとしても、あまりに認知度が低く、政策への道のりは困難なものではないかと考えます。それは私の環境がそうさせているのかもしれませんが、障害者虐待について考える上で一つの課題としてあげられるでしょう。
障害者虐待防止法や身体障害者福祉法、知的障害者福祉法など、様々な法律が施行されつつあります。これは非常に前向きな政策であると思います。しかし、これ以上に重要視すべきなのが、実際に身体障碍者に関わる周囲の人々の接し方であるように感じました。政策と家族などの身近な人々との良い相互関係ができあがるもとを願っています。
「虐待の際の初動対応」は判断が難しいものである。初動対応においては、事態の発見の為に専門職以外の一般の方の目が重要になってくる。しかし、一般の人々に対して与えられている知識・情報と言ったものはとても限られた物であるようにも感じる。一般の方が障害者虐待等の分野に対して興味を持ちづらい事も理由ではあるが、より広くそういった方々に実情を伝える事が、今後より迅速な虐待対応の為に必要な課題であるように感じた。
虐待対応の初期対応の難しさについて考えさせられました。虐待を防ぐためにも、早期発見のためにも、周りの人々の目が必要であると感じました。障害者虐待ではないのですが、祖母がアルツハイマーになってしまったので家族で協力して暖かい支援ができたらいいなと感じました。
高齢者や障害者の虐待は高齢者や障害者の介護を行う家庭内や、老人ホーム・介護施設などの社会福祉施設内でも発生しています。特に、家庭内での虐待は、介護疲れの肉親が精神的に追い詰められて行うというケースが多く、被害者が認知症患者や寝たきりなどの場合は会話自体もままならないため、虐待が表面化しにくいという特徴があります。こうした問題を防ぐためには、介護を行う人を孤立させないようにしたり、周囲が早めに気づき相談窓口につないだりすることが重要だと思います。
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