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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

さいたま市の虐待対応から

 さいたま市は、「誰もがともに暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例」の全面施行に伴い、この4月から虐待対応を本格化しています。処遇困難度の高い虐待ケースについては、できる限り私がスーパーバイザーとして関与しながら、市内全域の支援の水準を上げるように努力してきました(そのおかげで、夏休み何てなかったんだよ~!)。

障害者虐待 その理解と防止のために
『障害者虐待 その理解と防止のために』-もうすぐ刊行です

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 この間、ある支援者から次のような感想を聞きました。虐待対応を進める中で、「従来の支援がどこまで障害のある人の権利を真中に据えてきたのかが、改めて問われている。これまでは、家族や支援者の都合を含めて、何とか関係者が丸く収まるような支援を組み立てることに終始してきたのではないか」と。

 暮らしの営みは、多くの場合、生活の単位を構成する家族を抜きにして考えることはできませんから、生活現実とどこかで折り合いを見出して支援を考慮する作業は避けて通ることができません。しかし、本人よりも周囲のコミュニケーション能力の高さや意見の押し出しの強さなどがバイアスとなって、知らず知らずのうちに障害のある人の要望が脇に置かれる事態のあったことは、否定しがたい点のように思います。

 私の虐待研究の出発点は今から12年前に遡り、それ以来、さまざまなフィールドや研究会を通じて障害者虐待だけでも100事例を越える検討をしてきました。それでも、さいたま市で始まったこの4月からの本格的な虐待対応の中では、これまでの私の経験の範囲に収まらない文脈を持つ虐待ケースが見受けられます。丸で「パンドラの箱」を開けたように、未知の災いが噴出するかのような感が漂います。

 さいたま市では、すでに分離保護のための「居室」の不足が深刻化していますし、緊急性の判断や虐待の状態像をめぐる理解に関して、支援者の研修を強化しなければならない課題も明らかになりつつあります。このようにして、虐待防止の視点が明確になることによって、支援者の専門性の内容や水準とともに、地域のネットワーク改善と社会資源整備のあり方が改めて問われていくのです。

 支援者の一部には、障害者虐待への対応を通常の相談支援の延長のように捉える向きがあるやに聞いていますが、それはとんでもない誤解です。条例や虐待防止法を根拠とする虐待防止の取り組みがはじまれば、これまで関係者が看過しがちであった問題を改めて問い直す必要に迫られるでしょう。

 たとえば、施設従事者等による虐待防止だけを取り上げても、次のような点検がすぐさま求められます。
 その一つは、リスクマネジメントの強化です。
 これまでの支援現場のリスクマネジメントは、利用者の傷病につながらないような事故の防止に重点を置いて「ひやり、はっと」の事実確認とそれに対する対処法を積み上げていくものが主流ではなかったでしょうか。ところが、虐待防止の視点からは、心理的虐待やネグレクトにつながる不適切なケアについて、アクシデント・インシデント報告を積み重ねていく必要があります。

 もう一つは、特定の利用者に関する個別支援計画策定やサービスの担当者を一人の職員に固定しない取り組みです。利用者の支援課題については、常に複数の職員の日常的共有が虐待防止の上では不可欠です。

 さらに、ユニット・ケアやグループホームなど、暮らしの単位を小規模化してきたことの点検が必要です。虐待は施設のあり方に関連して問題視されがちですが、私の知り得た虐待事例の中では、周囲に対して閉じられやすい小規模な暮らしの単位で発生する虐待の方が、むしろ程度が重く陰湿な場合が多々見受けられました。

 養護者による虐待や使用者による虐待を含め、家族支援と就労支援のあり方についても、施設従事者による虐待と同様に、さまざまな支援の文化的刷新が求められるでしょう。このような取り組みに資する内容にしようと努めた私の編著書『障害者虐待』は、今週ようやく刊行される運びです。本書が虐待防止に向けた皆さんの取り組みに役立つことを願うとともに、皆さんのご意見をお寄せいただければと願っています。


コメント


周囲から閉じられた環境での虐待は、被害を受ける側に逃げ場のない恐怖を与え、加害者には閉じられた場であるがゆえに、罪悪感をあまり感じないということがあるように感じた。そのため、開かれた環境を作り、地域と共に活動を営むという姿勢はとても大切なことであるように感じた。


投稿者: yamazaki | 2012年10月03日 13:04

自分が教員を目指す上で、生徒の虐待については、これまで学び、考えてきたが、その虐待の対象が障害者の場合については、あまり深くは考えたことがなかった。人間は、自分とは異なるもの(人)をを避ける傾向にあり、むしろ障害者の方が、虐待される可能性があると思う。やはり、この問題については考えていかなくてはいけないと気付かせてもらえる文章だった。


投稿者: mishima | 2012年10月03日 13:10

虐待対応のためには、二番目に挙げられた、担当者を一人の職員に特定しないということが重要であると感じました。
一人の職員に特定してしまうと、その職員が虐待をしていたとしても、他の人が関わることがないので、虐待の事実に気づくことができないと思います。
そのため、第三者が間に入ったり、数人で一人を担当するべきだと思います。
これは、グループホームなどの暮らしの単位の小規模化を見直すということにも繋がるでしょう。
家で家族が支援をするという形をとるとしても、閉ざされた狭い空間の中でずっと家族が支援をしていると、家族にストレスが溜まり、ネグレクトに繋がる可能性もでてくると思います。
支援される障がい者の方が過ごしやすい環境を作ることを考えると共に、支援する家族や担当者の心のケアについても考えていく必要があるでしょう。
このように、障がい者の方をどのような施設や環境で支援すべきなのかなどの最適な環境作りが必要とされるということを考えさせられました。


投稿者: himawari | 2012年11月27日 21:35

私がこの記事を読んで感じたことは、
虐待を発見することと対処の困難さです。
グループホームやユニットケアのほうが
患者さんと近い距離で接することができるので
いいのかという考えがあったので、虐待が
多く陰湿であるものが多いという事実が
驚いたし、意外でした。
報告を徹底させることが対処の方法として
よいということは思いますが、
現実的に考えたら、難しいんじゃないかと思います。
そのために私は、担当者を分担させるということが
一番の対処法だと考えます。
たとえば、一人の人が患者さんに虐待をしていて、
それが、担当者が一人であれば隠すことができますが、
複数いた場合、誰かが発見して上の人に報告できる
という利点があります。
お互いが注意し合って虐待を防止できると考えます。
家族の支援をすることもまた、重要な対策だと思います。
介護のストレスによる虐待も多いと思うので
それを事前に防ぐことが必要だと思うからです。
障害者が安心して社会に出れるような社会を作って
いくことが私たちがしていくべきことなんだと
考えます。
その社会づくりの手助けをしていきたいなと
思いました。


投稿者: mikan | 2012年11月28日 23:06

この問題は、要介護高齢者などにも当て嵌まるのではないかと私は思います。障がいのある方だけを介護していくという形ではなく、記事にもあったように家族や養護者、使用者を含めた障がいのある方を支える全ての人々のことを考えた対策をとっていく必要性を感じました。また、介護する人のストレスがあるのは、当然のことだと思うので、一人で介護しない、複数の人で一人を担当するというシステムはこの虐待を減らすのにいい取り組みだと思います。一人一人への対応も必要ですが、職員も一人で介護するとなると、色々と人間なので思いつめることがあると思います。また、複数の人を複数の職員で交代で見ることで、様々な性格や症状の方と触れ合うことができ、職員のスキルアップにもつながると私は考えます。
しかし、一番大事なのはやはりお互いが暮らし易い環境を目指していくことです。今後、日本は介護や福祉といったことがもっと必要になっていきます。そこで虐待が増えてしまうという事態は避けたいのでこれからこの問題についてもっと考えていきたいと思いました。


投稿者: 横投げ | 2012年11月29日 11:05

私の親戚にも、生まれつき重い障害を持ったおじさんがいます。母に聞くと、昔は障がい者というだけで差別されたり、軽蔑されたりすることが当たり前の世の中だったと聞きました。また、少しの時間外に連れて行くだけでも周囲の反応はひどかったそうです。この考え方が現代でいう障がい者虐待にもつながっているのではないかと私は考えました。現代こういった虐待の対応の本格化が行われているだけでも進歩であるとは思いますが、昔からの考え方をなくしてもらうよう、障がい者の周囲の人も家族も変わらなければならないと思います。また、このブログにもあるようにいくつかの問題点も挙げられます。今後、対策や対応を重ねるにつれて今挙げられたものとは違った問題点も浮上することが考えられます。そのような状況でわたしたち支援する側の工夫が必要となってくるでしょう。将来を見据えつつ、支援することが非常に重要だと思います。加えて、このブログを読むことで私も親戚のおじさんへの接し方について考えさせられました。また、家族が考え直すだけでなく、家という枠組みでの支援で良いのかなど、より深く考える必要性があるなと感じました。このブログを読むことにより、考えさせられる良い機会となりました。『障害者虐待』を手に取ってみたいと強く思います。


投稿者: Milky | 2012年11月30日 02:14

私は、小学校、中学校共に障がい者の方と一緒の空間で勉強したり遊んだりして過ごしてきました。正直、私のなかでは障がいを持つ方はある意味特別で、優しく丁寧に接しないといけないいという気持ちが幼い頃からありました。他の人も障がい者の方に特別優しく接していた所を見ると、きっと少なからずそういった気持ちで接していた部分があったのだと思います。なので、私は障がい者はみんなから優しく丁寧に接しられて当然という感覚があり、虐待の対象が障がい者の方の場合を全く考えた事がありませんでした。しかし私の障がい者は特別といった他の人と異なるという考えこそが虐待に繋がるのだということを気づかされました。
また、障がい者の方は好奇の目を受けやすい外の環境よりも、家族や施設の職員の支援のもと、家庭や施設などの閉ざされた環境の方が精神的な安心が得られるという風に思いますが、閉ざされた環境では、家族や職員の日々溜まっていくストレスから虐待に繋がる可能性もあり、逆に閉ざされた環境だからこそ、周囲に気づいてもらえないという状態に陥るのだと感じました。虐待を受ける側にいつでも逃げ場を作るという意味でも障がい者の方にとって最適な開かれた環境を作っていく必要があるということを考えさせられました。


投稿者: one mooon | 2012年11月30日 13:30

まず、虐待対応を進めていく中の支援を、いかに障害のある人を中心にして考えていかなければならないかという問題はとても重要であると共感した。やはり本文にある通り、どこかしらに、障害のある方の意見がないがしろにされたり、脇に置かれてしまったりしてしまっては、本当の意味での支援というものにはならないのではないかと考えた。周りを支える家族や協力者は必ず必要ではあるし、支援を考えていくなかで問題が出てくるのかも知れないが、そことの折り合いをしっかりとつけることで、今まで以上の支援が実現出来ると思う。
次に虐待から分離するための「居室」が不足している問題は、さいたま市に限らず他の市町村でもおこりえる問題であると思う。これは、早急に対応しなければいけないし、虐待から救出するための第一歩であると思うから、整備は急がれるべきである。
そして、施設のあり方であるが、職員を一人にしないであるとか、閉ざされた空間にしないことであるとか問題はまだまだ多くあると思った。外部からの監視や点検は必要であるし、もっと開かれた空間に改善する必要はあると思われる。
最後に、虐待をなくしていこうとしていく中で、多くの問題があると思うから、被害者側に立って改善点を見つけていくべきだと考えた。もっと生活しやすくするために、このように改善していくことは急務であると考える。


投稿者: rn75tk | 2012年11月30日 15:11

「虐待」という問題と「障がい」という問題が切っても切り離せない問題であることは前から知っていましたが、でもその虐待への対応についてまでは考えが及んでいなかったように思います。
確かに、言い方が悪いですが普通の虐待にも支えああいは大切で複雑ですが、障がい者虐待はより複雑でより人と人との助け合いや支えあいが必要なものであると感じます。
福祉について考える時に、どうしても利用者が使いやすいようにとか、支援者のあるべき姿とかという一定の部分しか見えてない事が多いし、ニュースなどで取り上げられるときも支援者としてどうあるべきだったなどの面からしか話されていない事が多いように感じます。
しかし、それも大切だとはおもいますがそれだけではなくて、利用者や支援者の心理面のサポートについてだとか、支援者がどのような状況で支援していたのかなどについてももっと深く掘り下げて考えていくべきなんだと宗澤先生に気づかされました。


投稿者: Y.Y | 2012年11月30日 16:54

中学時代に、軽度の知的障害をもつ友人がいました。その子に対して、教師や私を含め多くのクラスメートは「手伝おう」というより、「あれもこれもやってあげる」「助けてあげよう」という意識で生活していたように思います。今思い返せば、その子の言葉をゆっくりと聞くことはほとんどなく、つまり「知らず知らずのうちに障害のある人の要望が脇に置かれる事態」になっていたのではないか、とハッとしました。また、これは実際に行っていたことですが、「黒板の書き取りが間に合わないから代わりにノートを書いてあげよう」という支援をクラス全体で行っていました。この支援の裏側には「授業の進行が遅れないようにしよう」という、自分たちに害が生じないようにする意識が存在していて、つまり、これは「何かと関係者が丸く収まるような支援を組み立て」ていたことに当てはまるのではないかと思いました。身近な支援の中で忘れてしまっていましたが、"障害のある人の声を聴くこと"を最も大切にしなければならないと気づかされました。


投稿者: vitamin | 2012年12月11日 08:26

養護者による虐待やその使用者による虐待など、掘り下げていけばいくほど連鎖のように虐待を受けてしまう人がいる。虐待について教育的に考える上で、障がい者の問題は、障がい者が身近にいる学校内において、ここで言うその小規模な単位は厳しく重視する必要があるようですね。また、さいたま市をはじめとした数々の自治体がさまざまな支援をしている分、その問題の深刻さが伺えました。しかし、一方でこのような多大な支援をしている団体にどれだけの人間が気付き、行動しているのか、その点が気になりました。


投稿者: sarai | 2012年12月27日 11:45

「虐待」というと児童虐待や高齢者虐待というイメージがあったが、障碍者虐待も大きな問題であることが分かった。介護するということは、介護者にも少なからずストレスがかかってしまうものであり、一人でこなすのは非常に難しいと思う。そのようなストレスが虐待につながる前に、政治制度をしっかりと固め、専門家が支援すると同時に周囲の社会や地域が協力して様子を見に行くことが重要であると感じた。その中で、かき消されてしまいがちな障碍者の声にも耳を傾ける必要があると思う。社会が耳を傾け、取り入れようと行動を起こせばそれが反映するだろう。


投稿者: りんご | 2013年01月16日 14:00

私がこれまでに接してきた人の中にも、気づかれない程度の障がいを持った人がいたのではないかと思うことがある。そのような人たちにもそれなりの配慮をするべきである。知らないよりも知ることで、親や周りの人の対応が変化するかもしれない。また、生徒自身に障害がなくとも、家族に障害を持っている人がいると、親の精神状態の疲れから生徒が虐待を受ける可能性を考えると、虐待を受けている生徒だけではなく、介護している親の精神状態にも気を配るシステムなどが必要である。教員を志している立場から、障がいを持っている生徒や、その両親への対応についても大学で学んでいるうちに考えるべきであると感じた。


投稿者: tamimato | 2013年01月16日 22:49

このブログの記事を読んで、障害者への虐待の現状や発生の仕方が初めてわかりました。僕は今まで障害者の人たちは、施設などで守られているから虐待などの被害は受けないのではないかと思っていました。しかしこの記事を読み、そういった閉じられた空間で生活しているほど、お世話をしている職員の人たちにストレスがたまった時に、それを向けられるのは弱い立場である障害者の人たちになるのかもしれないと感じました。施設にいるということはそれだけ周りから隔たれた空間にいるということになると思うし、虐待などの暴力が発見されるのもより遅くなると思います。そのような現状を解決していくためにも、担当者を複数にしたり、今の小規模な暮らしの単位を変えていくことが必要です。それが虐待の減少にもつながるし、障害者がより外の世界とつながりを持っていけるようになると思いました。


投稿者: てんほー | 2013年01月17日 13:54

 障害者への虐待を防止するために、特定の利用者に関する個別支援計画策定やサービスの担当者を1人の職員に限定しないということが重要であると私は思いました。仮に1人が障害者へ虐待を行っていたとしても、職員が複数であれば、その虐待に気付くことのできる可能性が大幅に広がるからです。記事に書いてあった通り、職員が1人であるなど、周囲に対して閉じられやすい小規模な環境の暮らしの単位で虐待が多いにも分かる気がします。
 障害者への虐待は決して看過されてはなりません。虐待を防ぐためには、小さなことから1つずつ改善していくことが大切だと思いました。


投稿者: 四暗刻 | 2013年01月18日 19:56

障害者虐待の実態や対策について考えているつもりでも、実際には自分の視点から物事をとらえがちで、実際に保護された障害者の現状や保護施設の実態というものに対して、まだ自分の関心が足りなかったことを痛感した。また、多くの健常者が「障害者を守るべきだ」という意識を持ちながらも、実際の現場について深く考える機会は少ないように感じる。まずは障害者への虐待の問題について関心を持ったうえで、障害者が安心して生活できる社会にするための環境づくりをしていくことが、私たち一人ひとりの責任であると思う。


投稿者: ttt | 2013年01月21日 15:23

ブログを読み、障害を持つ人の要望や必要なケアは、支援者をはじめとした障害を持つ方を取り巻く環境や状況に左右されるのではなく、やはり障害を持つ人の権利を中心に構成・実現されていくべきであると感じた。この考え方は、教師になった際もとても重要であり、子どもの権利を第一に考え環境を整えていけるような教師になりたいと感じた。また、これからの教育制度の改革でも以上のような精神が念頭に置かれなければならないと感じる。


投稿者: FTNY | 2013年01月21日 21:47

確かに、障がい者の支援をする際に、家族や支援者の都合を含め、何とか関係者が丸く収まるような支援になりがちなのは、想像がつきます。障がい者が生活していくためには、支援が必要です。狭くまわりの目が届かないような密室で、支援者(家族)がこのことを負担に感じ、虐待に手を染めてしまわないように複数の支援者が障がい者の意志を大切にしながら生きていくことが理想です。


投稿者: natsumikan | 2013年01月23日 01:29

 この記事を読んで、障害者虐待の複雑さや恐ろしさを感じました。虐待というと、学校内での生徒間のいじめや親子間での児童虐待をイメージしがちですが、この記事を読んで障害者に対する虐待についても理解が深まりました。
 私の母は障害のある人の介護をする仕事をしています。母に話を聞いたところ、障害のある人は当たり前のことができなかったり、理解できない行動をとったりで介護の仕事はとても心配で、時にはストレスを感じることもあるといっていました。しかし、大変な分やりがいのある仕事だとも言っていました。
 この中で、大切なことは障害のある人やその周囲の人たちとのコミュニケーションを取ることで、介護する人の負担を少しでも減らすことが虐待を防ぐことに繋がるのではないかと私は考えます。


投稿者: L.C.W | 2013年01月23日 14:05

現在の日本の障害者に対する支援について様々な問題が浮かび上がっていることは日々のニュースでも承知していたが、この記事を読んで改めて障害者支援の問題点に目を向けることになったと思う。児童虐待や生徒虐待などよくTVなどで取り上げられているが障害者虐待という問題解決にも私たちは取り組む必要があると思う。虐待という発見されることの困難な問題を防止するためにも支援する側のサポートは大変必要なものと考えるべきであると感じた。担当者と患者さんはあくまでも人間同士の関係であるため、双方の負担が減らせるようにユニット・ケアやグループホームのあり方を考え直すべきだと考えた。
ユニット・ケア、グループホームのメリット、デメリットを改めて考えることにより、よりよい障害者支援の環境づくりができるのではないだろうかと感じた。


投稿者: あーもんど | 2013年01月23日 15:26

なぜさいたま市での障害者虐待は「パンドラの箱」のようだったのでしょう。さいたま市には他の地域とは違う特徴があるのでしょうか。その原因を隅々から探り、早期発見し、解消することが大切だと思います。ブログにもあげられたようにリスクマネジメントの強化と特定の利用者に関する個別支援計画策定やサービスの担当者を一人の職員に固定しない取り組みの点検をするのが良いのだと思います。


投稿者: Kitty | 2013年01月24日 18:18

 虐待は様々なケースがあると思います。だから、その様々な状況に適切に対応できるように、支援者の研修は絶対必要であると思います。そのためには、過去の虐待のケースを知るだけでなく、学校教育や家庭教育の場に実際に行って今の社会の現状を知ろうとすることが必要となります。
 そして、支援者だけが対応方法を知っているだけでは十分ではありません。地域社会を構成する全員が虐待に関心を持ち、お互いに助け合うことも大事です。


投稿者: ねこさん | 2013年01月24日 23:33

私は高齢者介護福祉施設でアルバイトをしています。このブログを読み、いつか自分が加害者側になってしまうのではないか、(このブログでは障害者について語られていますが)、高齢者の方を傷つけてしまうのではないかと置き換えて考え不安になりました。
理性的に考えれば、そんなこと絶対にあってはならないことですし、断じて私はそのような人間にはならないつもりです。
しかし、余裕がなくなり頼る人もいなくなったらどうなるのだろう、想像すらできません。
人と人がともに生きていくためには本当に「助け合い」が重要だと思います。抱え込んでしまっては余裕がなくなるし、支援をする側も支援される側も孤立してはいけないと考えます。みんなで支えあう環境作りが最も重要な気がします。


投稿者: たけたけ | 2013年01月24日 23:52

正直わたしはグループホームなどでもそれほど虐待があるとは思っていなかった。周囲からとじられやすい空間は、被害者には助けを求められず恐怖の場所となり、加害者は周囲から閉じられやすいゆえ、罪の意識が消えていきどんどんエスカレートしていってしまうのかと感じた。ユニット・ケアやグループホームでの生活を見直すことで、障害者の環境づくりをよくできるのではないかと感じた。


投稿者: たわ | 2013年01月25日 07:35

今までは障がい者虐待はグループホームなどでは起こらないだろうと安易に考えていましたが、この記事を読んで考え方が変わりました。周りに対して閉じられた空間というものが、かえって虐待を生んでしまうのだなと感じた。
やはり家族だけであったり、1人の職員だけが担当しているとどうしてもストレスが溜まってしまいます。こうした負担を減らすためにも、外部の協力、そして数人で担当していくといったことが重要だと感じました。小さなことではあっても、こうした協力が虐待の防止につながっていくと思いました。


投稿者: SC504 | 2013年01月25日 10:34

虐待について、私は高齢者虐待や、小児虐待のイメージがあって、障碍者に虐待がされているのは知らなかった。虐待される人は身体的弱者である場合が多く、虐待自体を外部に通報するのが困難な状況が多いと思う。また、記事にもあるように、本人よりも周囲の方がコミュニケーション能力が高く、意見の押し出しが強いので、なかなか本人の要望を伝えられないと思う。こうした場合は近所のコミュニティーにヒアリングして、家族間に問題はないか調べるのが解決の手助けになると思う。また、周囲から閉じられた環境の場合虐待は悲惨さを増すので、例えそこが都会であっても、やはり近所同士の付き合いを大切にしたらよいと思う。


投稿者: アスカ | 2013年01月25日 15:47

虐待を防ぐために家庭に対して開かれた環境づくりが必要という意見に賛成です。ですが、作ろうといって一般の人が簡単に為せることではないと思います。条例など法の整備があり、それを世間に広め、みんなが実行していくまでには長い時間がかかります。一刻も早く動いていかなければならないと強く思いました。本読んでみたいです。


投稿者: saty | 2013年01月25日 16:02

私は虐待事件について前にテレビやウエブで見たけど、自分が全然あったことがないから、深い感情があまりなく、あの虐待された人たちに可哀そう、何故人間が虐待のようなことをやるかと思うだけ。最近の数回の授業を受けて、今回のビデオを見た、なんか何があの人たちに助けるのをやりたい気持が起きった。我々の周囲に虐待な問題があるかもしれない、だが、我があまり関心しない。虐待問題の解決は我々人間たちの共同な努力が必要だ、それならば、虐待を絶つことが可能だと思う。


投稿者: 毛 | 2013年05月08日 15:40

障害者への虐待について、養護者による虐待もあると知り、驚きました。障害者の人は、日常での生活が困難なため施設などに身を預けているのに、その施設でも虐待が起きてしまっては、障害のある人々の安息の場がなくなってしまうと思ったからです。
そのため、障害者の人々が安心して暮らすことのできる世の中を作るためには、支援者の方の虐待対応への支援はもちろん、私たち一人一人も、こういった現状があるということを頭の中に留めておく必要があるのではないかと思います。


投稿者: F | 2013年06月12日 19:39

 この記事を読んで,さいたま市では親子の分離保護のための居室不足するほど児童虐待が深刻化していることに驚きました。
 虐待は,同じ事例はなく,それぞれの家庭で様相が異なるので,その家庭への対応や支援を決めることは非常に難しいと思います。
 しかし,分離保護は本当に効果があるのでしょうか。親子の分離保護に私は反対していませんが,一度子供を保護し,その後再び親と暮らすとなった場合,離れていた親子の時間は必ずしも子供にとってよい時間だったとは言えないような気がします。


投稿者: みいさん | 2013年07月04日 15:04

 少し前にほかの授業で障がい者の方を対象にした会社で働いていらっしゃる方のお話を聞く機会がありました。そのときの印象から、障がい者の方が互いに共生していけるグループホームはひとえにとてもすばらしいもの・平和なものだと思っていました。
 しかし、この記事を読んで今までは考えたことのなかった観点からグループホームについて考えました。グループホームにも勿論メリット・デメリットがあるなかで、そのなかの問題点のひとつとしてグループホームという閉じられた空間内での虐待があることを知りました。
 本来障がい者のかたにとって「家」のように暮らしやすくするために生まれたグループホームであるはずなのに、そのような問題が内在していることには驚きました。利用者の方にとって心から落ち着けて快適なグループホームにすることが求められると考えます。


投稿者: まるこ | 2013年07月05日 19:49

"虐待"と聞くと児童虐待やDVなどのことを思い浮かべるが、障害者に対する虐待について教授のブログや講義を聞いて知ることになった。障害者を施設へ受け入れることは、障害者の権利を考えたことだと思っていたが、そこには周囲の意見の強さにより障害者の要望が脇に置かれている状況が存在していると知った。障害者が1人で暮らして行くのは難しく、周囲の支えは不可欠であるので障害者の意見をしっかりと取り入れて支援していくことが大切だと思う。しかし、支援していく側であるはずの者が障害者を虐待してしまうのは大変ショックである。これは閉鎖空間によるストレスが原因だと思うので、地域と協力して広い範囲で共存していくことが必要だと思う。


投稿者: コックローチ | 2013年07月22日 11:35

障害を持つ方というのは望んでそうなった方はいないのではないかと思います。
そのようななかで私が先生から講義で学んだ内容はとても衝撃をうけた内容でした。
その内容は家族を中心に虐待が行われているという内容でした。本来家族というものは、
誰にとっても安心のできる環境で生まれたばかりの赤ちゃんにとっては、最初に触れる社会だと思います。そこに虐待が起きているということが私には信じられない話でした。
 今回さいたま市の虐待対応という記事から私は、障害者虐待が私の考えていたものより深刻化しているものだと思いました。周囲に対して閉じられやすい小規模な暮らしの単位で発生する虐待のほうが、むしろ程度が重いという一文では、考えさせられるものがありました。一見障害者の方を養護する施設では、その施設に任せておけば安心し注意を向けることがありません。むしろ安心して任すことができると思う部分もあり中でどのようなことが行われているか完全には知らないこともあるのではないかと思いました。では虐待を見つければその場で虐待を行った人は罰を受けさせられるかとそうではありません。日本では法的に体罰についての法も定めていますがそのグレーゾーンの定義の難しさは否めません。どこまでがしつけで虐待かなどの定義は難しいと私も思います。また、障害者の方には実際におこった虐待を伝えることが難しいこともあります。講義中での虐待事実確認用ピクトグラムでは、その絵を見るだけで健常者の方も障害者の方もわかりやすいものでした。これにより私は、私たちが互いに自分の住んでいるお隣さんと交流を持つなど互いに干渉しあい興味をもって生活していれば自然と閉鎖的な空間も開放的なものになると思います。


投稿者: ジャム | 2013年07月22日 23:21

障害を持つ方というのは望んでそうなった方はいないのではないかと思います。
そのようななかで私が先生から講義で学んだ内容はとても衝撃をうけた内容でした。
その内容は家族を中心に虐待が行われているという内容でした。本来家族というものは、
誰にとっても安心のできる環境で生まれたばかりの赤ちゃんにとっては、最初に触れる社会だと思います。そこに虐待が起きているということが私には信じられない話でした。
 今回さいたま市の虐待対応という記事から私は、障害者虐待が私の考えていたものより深刻化しているものだと思いました。周囲に対して閉じられやすい小規模な暮らしの単位で発生する虐待のほうが、むしろ程度が重いという一文では、考えさせられるものがありました。一見障害者の方を養護する施設では、その施設に任せておけば安心し注意を向けることがありません。むしろ安心して任すことができると思う部分もあり中でどのようなことが行われているか完全には知らないこともあるのではないかと思いました。では虐待を見つければその場で虐待を行った人は罰を受けさせられるかとそうではありません。日本では法的に体罰についての法も定めていますがそのグレーゾーンの定義の難しさは否めません。どこまでがしつけで虐待かなどの定義は難しいと私も思います。また、障害者の方には実際におこった虐待を伝えることが難しいこともあります。講義中での虐待事実確認用ピクトグラムでは、その絵を見るだけで健常者の方も障害者の方もわかりやすいものでした。これにより私は、私たちが互いに自分の住んでいるお隣さんと交流を持つなど互いに干渉しあい興味をもって生活していれば自然と閉鎖的な空間も開放的なものになると思います。


投稿者: ジャム | 2013年07月23日 08:45

自分は施設の中では虐待はないだろうというイメージを持っていました。
しかし周囲に対して閉じられやすい小規模な暮らしの単位で発生する虐待の方が、むしろ程度が重く陰湿な場合が多々あるということにおどろきました。これにはやはり先生のおっしゃる通り、特定の利用者に関する個別支援計画策定やサービスの担当者を一人の職員に固定しない取り組みが必要だと考えます
担当者が一人だけだと担当者が虐待をしていることに周りは気が付かないこともあるかと思いますが、常に複数の職員が目を光らせていれば虐待はほとんど起きるようなことはなくなると思います。しかしそれと同時に施設の職員だけでなく行政などの第三者のチェックも必要なのではと感じました。
担当者を複数するということは担当者一人あたりの負担を減らすことにもつながるのでとても良いことのように感じました。
記事の中で本人よりも周囲のコミュニケーション能力の高さや意見の押し出しの強さなどがバイアスとなって、知らず知らずのうちに障害のある人の要望が脇に置かれる事態があるとのことでしたが、これは心理的虐待にあたるのでしょうか。このような事態は、言われてみれば私自身以前からよく見かけていたように思います。見かけるだけでなくそのような事態を作る一因になっていたかもしれません。親切にしなければいけないという先入観が一番大事な障害のある人の声を聴くということをないがしろにしていたのかもしれません。自分の中にある親切を押し付けるのではなく、障害のある人の声をきちんと聴くことがとても大事なのだと改めて気が付かされました。


投稿者: のし | 2013年07月23日 15:20

小規模な暮らしの単位の中での虐待がより程度が重く陰湿になるのは、やはり閉じられた環境の中で障がい者とだけ向き合う生活を行うことで、支援者あるいは介護者が自分の境遇が周りにわかってもらえずストレスが溜まることで起こってしまうのではないのでしょうか。1対1の関係では相談する相手もなく精神的に辛いのも確かだと思います。記事にもあったように、サービスの担当者を一人にしない取組はとても有効だと思います。これと同様に家庭での介護者を一人にさせないように社会からの支援も必要だと思います。市の職員が週に1度顔を出し相談をするといったような支援制度があるといいかもしれません。虐待を止めるのではなく起こる前段階で起こさない取り組みがより増えていくといいと思いました。


投稿者: ぷらね | 2013年07月24日 10:02

今日の日本ではよく両親による子供への虐待の事件がニュースなどで報じられていますが、高齢者施設などでの虐待についてはあまり目にしたことがありませんでした(私が気づいていないだけかもしれませんが)。この記事を読み、このような高齢者施設での虐待を防ぐにはやはり発見する側、いわゆる行政がとても大事であると感じました。ただ、行政がいくら対応をとっても発見できないケースは生じてしまうと思います。となると行政だけでなく社会全体で虐待を発見できる社会を創っていかなくてはならないのではないでしょうか。具体的にどのようにすれば良いのかが今後の課題になると思います。


投稿者: どさんこーれ | 2014年01月27日 21:36

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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